#01 シュウ 50
-シュウ 50―
夕方6時、シャッターを開ける。立て看板を通りに出す。入口の足元にあるコンセントを差し、看板用の電気を点ける。外はまだ明るい。見上げれば、ビルの隙間から覗く赤い夕暮れ空。オレンジ色に照らされた街並み。
お店は開店時間を迎えたものの、買い物帰りの主婦や、犬を連れたおじさん、部活帰りと思われる自転車に乗った学生、慌しく人が行き交い、その風景はまだ日中のそれだ。人が入れ替わり、街が夜の装いに変わるのにはもう少し時間がかかりそうだ。
このお店を始めて5年目。どこの街にもひとつやふたつはある、いわゆるロック・バーだ。カウンターが6席にテーブルが二つ。裏通りのそれも二階の小さなお店。従業員はいない。ぼく一人でやっている。
ロック・ミュージックを流し、お客さんのリクエストなんかに応えたりして、ゆるい空気が流れるその空間は、外から中が見えないこともあってめったに一見さんは来ない。気心知れた常連さんや顔馴染みのお客さんを相手にやっているようなもんだ。経営的にもなんとかやっていけてる。特別なことなんてそうそう起こらないけれど、まぁ穏やかに毎日を過ごせてる。それがぼくの日常だ。
ロック・バーのマスターなんて言ったら、世間のイメージはどうだろう。長髪で、いわゆるロックTシャツなんか着て、昔バンドやってました~みたいな、いかにもというイカつい男がやっている感じだろうか。ぼくはあんまりロック・バーのマスターという感じではないかもしれない。自分で言うのもなんだけど、穏やかで腰は低く、まぁ親しみやすい感じだと思う。なんというか、もうカッコつけたくないんだな。自分という人間を演じるのに疲れてしまったのだ。ただただ無理をせず、自分に正直に、自然でいたいと思っているのだ。
人間は大人になれば誰しも、いろんな顔を持つようになるし、自分という人間を演じるようになるもんだと思う。職場では仕事のデキる上司を演じ、家庭では子煩悩な父親を演じ。誰しも、いろんな顔を使い分けるのはあたり前だ。
例えば若い頃。まだ可能性しかなかったような青春時代、ぼくは自分を大きく見せようとしたのかもしれない。好きな女の子の前では、自分をよく見せようとしただろう。人前に出る時、違う自分になろうとして無理をしたのかもしれない。もうそんなことがどうでもよくなってしまった。
今はこのお店で、好きなモノに囲まれて好きな音楽を流し、自分のペースで過ごしている。
カウンターの隅に置かれたプレーヤーでレコードをかける。ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』。金属的な音の塊。しゃがれた歌声が店内に流れる。
ぼくは手元のスマートフォンで、あるお店のブログをチェックする。今日は更新ないかなぁ。
そのお店は、大阪のとあるカフェだ。店の名前は『ホーボーズ・カフェ』と言って、もう20年以上続いている老舗だ。一度だけ訪れたことがあるんだけど、ぼくが自分でお店を始めるきっかけになったお店なんだ。
2000年前後くらいかなぁ、いわゆるカフェ・ブームなんてのがあって、個性あふれるおしゃれなカフェが流行った時期があった。そのさきがけになったようなお店なんだ。喫茶店でもなく、レストランでもない。バーでも居酒屋でもない。オーナーの個性で、自由に飲み物や料理をメニューに並べる。それまでの飲食店の常識みたいなものに縛られず、自由な雰囲気に溢れている。
衝撃だったなぁ。こんなお店をぼくもやりたいって思ったんだ。当然、話題にもなり、いろんな本や雑誌にも紹介されてたなぁ。ぼくは自分のことのように嬉しかったんだ。なんてったってそこのお店のオーナーは、ぼくの、、、うーん、まぁ友達だったから。
今日もいつもと変わらない。そんな一日のはずだった。そう、あのコが来るまでは。
煙草の煙をくゆらせながら、夏の気呆さにぼんやりと過ごしていると、入口のドアが開いた。
「お、やったぁ、一番乗りぃ」
「やぁ、勇也くん。いらっしゃい」
勇也くんは近所に住む大学生の男のコで、学業の傍らバンドを組んで音楽をやっている。3年になり、就職するか、音楽の道に進むか、あれこれ悩んでいるみたいだった。ぼくとは親子ほども歳が離れているけれど、なんとなくぼくに親しんでくれてるようでいろんな話をしてくれる。
「夏休みだよね。どうしてるの?」
「バイトしてますよ。あぁ暑いぃ。あ、ハイボール」
「あいよ。そういやもうすぐライヴでしょ。どう?」
「そうなんだ、マスター。前に話したスター・レコードの人が来てくれるみたいで。
まぁ、インディーズだけどさぁ、気に入ってもらえたらいいんだけど」
「おぉ、すごいねぇ」
4人組のバンドでヴォーカルの彼は自分で曲も作っている。ぼくが言うのもなんだけど、いい曲を作るんだ。YouTubeの手作りミュージック・ビデオもかなりの再生数で、それなりに健闘していると思う。当然、プロのミュージシャンに憧れていて、いろんな所にデモ音源を送ったりしているらしい。ぼくは自分の息子みたいな気分で応援しているんだ。
「ねぇ、マスター、山口ケイタなんて聴く?」
山口ケイタ。ぼくはその名前に一瞬とまどってしまった。
デビューして25年くらい経つだろうか、ずっと第一線で活動しているシンガーソングライターだ。大きなヒット曲はないかもしれないけれど、確実に一定の人気を保ってる。音楽に取り組む真摯な姿勢は、若手アーティストからも慕われてる感じだ。
ぼくは動揺した姿を悟られまいと冷静さを装った。
「山口ケイタ、好きだよ」
「いいんだよねぇ。曲がいいし、人柄もさぁ、飾らない感じがね。50歳だからマスターと同じくらいだよねぇ。実はさぁ、YouTube見てたらさぁ・・・」
勇也くんが上目使いでぼくを見つめてくる。むむ?
「山口ケイタってデビュー前、二人組で活動してたらしいんだ。で、その頃のライヴ映像が上がっててさぁ。もう一人の方が、なんかマスターに似てるんだよねぇ」
「へぇ、そうなんだ」
「ちょっと待って、えっと、あ、これこれ」
勇也くんが差し出すスマートフォンを覗き込むと、そこには薄暗いステージでアコースティック・ギターを鳴らす二人の若者が映っていた。
「おー、山口ケイタ若いねぇ」
「違うよぉ、マスター。この右側の方、マスターに似てない?声も似てると思うんだ」
「そうかぁ?」
「調べたら、ホーボーってユニット名でそこまでしかわからない。まさか、マスターじゃないよねぇ」
「はは、あたり前だろ」
スマホから流れるケイタの歌声。思わずぼくは口ずさみそうになっていた。
お店の壁には、エレキ・ギターがぶら下がり、レコード・ジャケットや有名なロッ
ク・アーティストの写真なんかが飾ってあり、音楽が好きな人なら何かしら反応する
ような、そんな空間だ。初めて来るお客さんは、たいていみんな壁を見回しキョロキ
ョロする。
壁のレコード棚から、リッキー・リー・ジョーンズのファースト・アルバムを取り出した。ジャケットには、若くてきれいなリッキー・リー・ジョーンズが微笑んでいる。
都会を感じさせるサウンドに乗って、鼻にかかった歌声が流れるとそっとドアが開いた。入口に背の高い女の子が立っていた。手にしたアルバムのジャケットから飛び出してきたのかと思うような、かわいらしいコだった。初めて来るお客さん特有の、不思議そうな、警戒するような表情で店内を見回していた。
「いらっしゃい。カウンター、どうぞ」
横を見ると、勇也くんがぽかんと口を開けて女のコに見入っていた。確かにこのお店は女性のお客さんは少ないし、ましてやこんな若いコだ。お客さんの方が驚くのも無理はない、かな。
「初めてだよね。この辺にお住まい?」
長い黒髪。水色の何気ないワンピース。目立つような服装ではないけれど、ぼくは独特のオーラを感じるのだった。それは選ばれた者だけが持つ、人を惹きつけるオーラだ。ぼくはそのコの口元が少し笑っていることが気になった。カウンターに座ると、そのコはぼくのことをじっと見てくる。はて、前にも来たコだっけ?
「加瀬シュウさんですよね?」
「えっ?」
その女のコが、なぜかうれしそうだったことが不思議でならなかった。そして、そのコの顔をよく見てみると、なぜだろう、胸に熱いものが込み上げてくるのだった。遠い過去に感じた記憶。若い頃特有の、胸が締め付けられるような痛み。そんな、言葉にできないような感情が溢れてくるのだった。そして、この感情の正体がわかるまでには、もう少しの時間がかかるわけだけれど。
「なんでぼくのこと知ってるの?」
そのコは安心したような、柔らかい顔で笑っていた。そして、その横では、話しかけたくてしょうがないといった感じで、勇也くんがたたみかけるのだった。
「ねぇ、学生さん?働いてるの?名前は?どこに住んでるの?」
おいおい・・・。
彼女の名前は、片山ミチルちゃん。ある芸能プロダクションの育成タレントという
ことで、芸能人を目指しているらしい。女優さんになりたいってことなんだね。
「今度、テレビドラマに出るんです。少しだけだけど、ちゃんとセリフもあるんです」
「えぇ、すごい」
勇也くんはそれはもう興味津々で食いついていた。はは、そりゃそうだ。
「で、高校を卒業して大阪から東京に出て来たの?この春に?じゃぁ18?19?」
「あれれ、まだ未成年だねぇ。お酒飲ましちゃったよ」
「自称ハタチです!」
夜も深い時間になってきた。お店もお客さんでにぎわい出した。来る客来る客みんなして、カウンターに座っているミチルちゃんに驚き同じことを聞くもんだから、ミチルちゃんは何度も同じことを話さなくてはいけなかった。それでもみんなが温かく接してくれていることに安心したのか、居心地が悪いような空気ではなかった。
「あ、そろそろ帰らなくちゃ」
ミチルちゃんが時計を覗き込んでつぶやいた。すると周りのお客さんたちがざわめき出す。
「えー、帰っちゃうの?」
「遠いんだっけ。残念だなぁ」
「またおいでよ」
立ち上がったミチルちゃんは、やはり笑顔で、カウンター越しにぼくに聞いてくるのだった。
「マスター、浅川詩織って憶えてますか?わたし、浅川詩織の娘なんです」
「えっ・・・」
その名前を聞いた時、ぼくはそれまで引っかかっていたモヤモヤとした気持ちが、スーッと消えていくのを感じるのだった。
ぼくはこのお店の前は、別のお店をやっていた。
念願だった自分のお店を開いたのは、31歳の時だった。結婚したのを機に、奥さんと二人で始めたのだった。というよりも、一緒にお店をやってくれることが、結婚の条件だったといってもいい。多大な借金をして、都心の街外れにカフェ・レストランを開いた。
自分で壁をペンキで塗り、椅子やテーブルなどの家具は自分で板を切って作り、カラフルに塗った。手作り感で溢れたそのお店は、まるで秘密基地みたいな不思議な空間だった。
開店当初はお客さんが来なくて苦戦したものの、すぐに情報誌やファッション誌が取り上げてくれて、だんだんとにぎわうお店になっていった。カフェ・ブームなんていう時代の波もあって、若い女の子が列を作って順番を待ってくれるお店になっていったのだ。スタッフを何人も雇うようになり、忙しい毎日を送るようになった。本や雑誌だけでなく、テレビにも何度か出た。有名なタレントさんが来て、一緒に映ったりもしたもんだ。
そして14年続けて、そのお店は終わりにした。建物が老朽化してきたことも原因のひとつだったけれど、一番はぼくがもう若者ではなくなってしまったからだ。若いお客さんやスタッフと一緒に過ごす毎日が、なんとなくしっくりこなくなってしまったのだ。惜しまれてやめるくらいがちょうどいいと思っていたし、ぼくはもう満足していた。人生でひとつ自慢できることを成し遂げた、そんな気分だった。
そしてこの小さなお店を始めた。自由気ままに、自分一人でやりたかった。なんというか、人気店のオーナーを演じるのも疲れるもんだったし。
若い頃はなりたいものがあった。自分がどれほどのものか知りたかったし、架空の人物にでさえなれると思っていた。いろんなことを経験して、バーのマスターになった。自分じゃけっこう気に入ってるんだ。
あの時、あの恋が始まりだったんだ。あのコ、浅川詩織と出会っていなかったら、今頃ぼくはどうしていたのかなぁ。
ーつづくー
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