二重《ドッペルシュトリッヒ》

第31話「坑道」

 五体目の小鬼ゴブリンを打ち倒し、ベルはブラスナックルで風を切る。

 ひゅんと小さく音を立て、ブラスナックルについた血が周囲にはねた。

 坑道に立ち入ってわずか数時間後のことである。

 いくらベルより小さな体のモンスターとはいえ、この遭遇エンカウント率は尋常ではなかった。


「カール、さすがにこの数はおかしかろう」


 息を整えるベルに代わって、ヒルデガルドが不平を漏らす。

 岩陰に隠れていたカールは懐から取り出した地図をカンテラの明かりで透かし見ると、周囲を確認していた。


「しょうがねぇだろ。もうこの坑道は使われてねぇんだ……です。人が立ち入らなくなればすぐにモンスターは湧くもんだ……です」


 一応ヒルデガルドが王族に連なるものだというのはわかっているのだろう。

 無理矢理つけた丁寧な語尾にサシャは小さく笑った。

 息の整ったベルが水を飲み、肩をぐるぐると回す。


「いい、ヒルダ。これくらいで目的の村まで二日で着けるなら問題ない」


「だろ?! それにもう少し進みゃあ雑魚モンスターはいなくなるさ」


 ベルの言葉に勢いづいたカールがそう告げると、うれしいことのはずなのに、ヒルデガルドとサシャの表情は曇った。


、ね」


「それはそのとおりじゃろうがのう」


「なんだよ! 姉ちゃんたちも納得しただろ?!」


 この道を進めば、やがて火竜リントヴルムの縄張りに近づくことになる。

 その危険性は納得づくのはずだった。

 縄張りとは言っても、かの暴虐の王が四六時中うろついているわけではない。

 多くても数か月に一度、翼をもたぬ竜は岩肌を溶かしながら見回りをする程度なのだ。

 ベルたちが縄張りを通り抜けるのにかかる時間は半日ほど。

 鉢合わせする確率は高くないというカールの説明に乗った形で、ベルたちはここまで進んできた。

 それでもやはり、坑道の奥から立ち上る油の燃えたような匂いに、不安を掻き立てられずにはいられなかった。


「あんちゃん、いいペースだ。その先の三差路を左に進めば、溶けた坑道に出る。そこからは休憩なしだぜ」


 地図を懐にしまいながら、カールがあごをしゃくる。

 サシャはごくりと喉を鳴らし、背負っていたリュックを地面に下した。


「じゃあ一度きゅ、休憩しよう」


「サシャ、俺は休憩なんかいらない。ドラゴンの気配がないうちに突っ切ってしまったほうがいいだろ」


「あんちゃん、何にもなくても半日歩き詰めになるんだぜ? 姉ちゃんの言うとおり休憩したほうがいいんじゃねぇか?」


冒険者おれたちはそんなヤワな鍛え方はしてない。余計な心配だ」


「んだと! 親切に言ってやってんだろうが! 余計とはなんだよ!」


「お前はただ案内すればいい」


 怒鳴り始めるカールをサシャがなだめ、今にも先に立って坑道へ進んでしまいそうなベルをヒルデガルドが抱きしめる。

 振り払おうとするベルを異能者ギフテッドの力で抑え、ヒルデガルドは泣きそうな顔でベルを見上げた。


「何を焦っておる? あの教官めを見返そうというのか? それともカミルより強くなろうとしておるのか?」


「……そんなことじゃない」


「ならばハルトとマリーのことじゃな。心配せぬでも、あの二人はベルのことをちゃんと待っておるよ」


 ぎゅうっと背中から抱き着いているヒルデガルドに言われ、ベルは思い悩む。

 それでもふっと体の力を抜いて、その場に腰を下ろした。

 腰にしがみついていたヒルデガルドが、振り回されるようにしてベルの膝の上にころんと転がる。

 驚いた顔で見上げる王族の髪を、ベルはゆっくりと撫でた。


「わかった……もうそんな目をするな」


 ヒルデガルドの表情がパッと明るくなる。

 薄暗い坑道の中で、その笑顔はまぶしいほどに輝いて見えた。

 サシャが保存食を全員に配る間、ヒルデガルドは嬉しそうにベルの膝枕でごろごろしている。

 その姿を不思議そうに見ていたカールが、サシャにそっと耳うちした。


「姉ちゃん、あのお嬢は王族なんだろ? あの二人ってどういう関係なんだ?」


「ぼ、ぼくもよくわからない」


 ヒルデガルドに対するベルの感想はサシャも聞いたことがある。

 小さいころからギフトの影響で身体能力の高かったヒルデガルドは、同年代の友だちもなく、王族でもあるため、まるで腫れ物に触るように扱われてきた。

 そこに養子としてもらわれてきたベルは、身体操作に優れており、彼女の力をうまくことができた。

 何度もけがをさせられたらしいが、ヒルデガルドにとって自分ベルは「思いっきり遊んでも壊れないおもちゃ」なのだと、そう言っていた。

 でも……とサシャは思う。

 二人の関係はそんな言葉通りのものではない。

 何とも言えずうらやましくなるような信頼と思いやりを、時折サシャは感じるのだ。


「……わからないけど、い、いい関係だなって、ぼ、ぼくは思うよ」


 自分から話を振ったくせに、興味なさそうに「ふ~ん」と保存食を口に放り込んで、カールはごろんと硬い岩の上に寝転がる。

 サシャもそれ以上は口を開かず、膝を抱えて少しの間目を閉じた。

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