第04話「戦いの記憶」

「俺は――」


 ベルは視線を落とし、話し始めた。


「――戦場に置き去りにされたアングリア人の赤ん坊だった」


 そんな子供は毎年の戦争で幾百幾千と命を落としていたのだ。

 ハルトムートたちの世代は、よほどアングリアとの国境に近い町でなければ、直接戦争を経験しているわけではなかったが、歴史としてそれは知っていた。

 ベルがそこで生き残ったのだとしたら、それはとても幸運だったと言えるだろう。


「……運が良かったのだな」


 ハルトムートの言葉に一瞬驚いたように顔を上げたベルだったが、もう一度視線を落とし、少し笑った。


「そう……かもな。考えたこともなかったが、たしかに戦場で生き残れたことは幸運だったんだろうし、あの頃は幸せな時間だったのかもしれない。……だけど良かったとばかりも言ってられなかった。俺を拾ったのは『砂漠の子猫隊デザート・キティー』……ドゥムノニアの有名な傭兵部隊でな。あの人おやじたちは常にその実力に見合った仕事をしていて、当然それはいつも戦場の最前線だったからな」


 キティーの皆はロバートと名付けた少年を大切にし、実の子供でも連れて歩くようにして、戦場を駆け回った。

 そんな生活は、彼がまだやっと立って歩けるくらいの年齢から、八年間続いたのだ。


「そこで俺は対人用の戦闘術……『べオウルフ式戦闘術』を学んだ。文字通り、実戦で、体に刻み込みながらね」


 ベルの話は、戦争を知らないマルティナには衝撃だった。

 それはハルトムートも同じだが、ベルがパーティを組まない理由とどう関係するのかはわからない。

 二人はただ、少年の言葉を神妙な面持ちで聞いていた。

 目を伏せたまま、ベルはふぅと長い息を吐く。

 そして顔をあげると、話を終えた。


「と、言うわけだ。だから俺は誰とも組まないし、将来冒険者になろうという者を傷つけたりもしない」


「………………は?」


 たっぷり三十秒の間を取って、ハルトムートが聞き返す。

 ベルの言葉をなにか聞き逃したのかとマルティナを見たが、彼女も混乱していて、ただ勢いよく首を横に振るだけだった。

 もう一度ベルへ顔を向ける。


「俺は対人戦闘術を学んだんだ」


 まるでおぼえの悪い生徒へ言い聞かせる教師のように、ゆっくりとベルは繰り返した。

 マルティナもハルトムートも、もう一度よく考えたが、出てきた答えにはやはり違いはなかった。


「あの……ベルさんの理由は理由になってないように聞こえます」


「うん、ぼくも『対人戦闘術を学んだ』ことと『パーティを組まない』『模擬戦闘で本気を出さない』ことに論理的なつながりは見えないな」


 純粋に疑問を投げかける二人に、ベルは一瞬戸惑いを見せる。

 その後、今まで生きてきた世界の違いに思い当たると、悲しみと憧憬しょうけいのないまぜになった瞳で二人を見つめ返した。


「……そうか。いや、そうだよな」


 自分に言い聞かせるように、ベルはまた、ため息をつく。

 顔を伏せ、少しの間頭を悩ませたが、やがて気持ちを切り替え、顔を上げた。


「お前たちみたいに普通に生活してたやつには想像できないだろうけど、対人戦闘術ベオウルフっていうのはその名の通り、戦場でいかに効率良くを追求した戦闘術なんだ。俺は物心ついたときからそれを叩き込まれてきた。……つまり数え切れないほど何人もの人を殺してきたんだ」


 自分たちよりも小さなこの少年が、人を……それも人を殺したという告白は、ハルトムートたちの思考を停止させるに十分なインパクトを持つ言葉だった。


「そもそも俺は人の殺し方は知っていても、モンスターとの戦い方を知らないんだ。それに、そんな人殺しが人々の盾でありつるぎでもある冒険者になっていいはずがない。……ただ、アングリア人である俺を学園に推挙してくださったウィルヘンベルグ大公妃の名にドロを塗ることも出来ないからな……それで俺はちょうど真ん中の成績で学園を卒業することにしたんだ」


 言い終えたベルは二人の表情を見る。

 マルティナは懸命にベルの話を整理しようと考え続け、ハルトムートはまるで何も聴いていなかったかのようにお茶を口に運んだ。

 もう説明の責任は果たしたと判断したのだろう。立ち去ろうと席を立ったベルの肩をハルトムートの手が止めた。


「待ちたまえ。せっかちだなキミは。ぼくはそんなことは気にしない。戦争なのだ、好むと好まざるとにかかわらず、を倒すのは当然だ。それに、冒険者だってを倒す。そこになんの違いもないだろう」


 ハルトムートの言葉は一つの考え方ではあるだろう。

 ベルも理屈ではわかっている。

 しかし、気持ちと理屈は別の結論を出していた。

 肩にかかるハルトムートの手を払おうと、反対の手を上げようとする。

 予期せぬ重さに上がらない右手に視線を移すと、そこには震える手でベルの手首を握るマルティナの姿があった。


「わ……わたしは戦争に行ったことがありません。だからなんて言ったらいいかわかりません。……それでも! わたしにはベルさんが必要なんです!」


 熱のこもった目でベルを見上げ、食堂での一件に引き続き彼女は言い切る。

 眩しそうに眼を細め、口を開きかけたベルだったが、逡巡ののちに体捌たいさばき一つで二人の手から体をかわすと、何も言わずに部屋を後にした。

 扉が閉まる一瞬、ベルの瞳が二人を見る。


「ベル、ぼくとマルティナはパーティを組む。その戦いを見てくれたまえよ。きっとぼくたちが君を必要とする意味がわかるはずだ」


 かけられたハルトムートの言葉に答えたのは、静かに閉じる扉の音だけだった。

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