第02話「襟の色、髪の色」

 編入二日目。

 マルティナは退屈な座学を終えると、大食堂へ向かった。

 ドゥムノニア王立学園の大食堂は、すべての生徒と教員が使用できる。

 しかし、見回す限り赤襟ギフテッド白襟ギフトなしの生徒ばかりで、教員や青襟きぞくの姿はほとんどなかった。

 自分の食べたいメニューを選んで取り分け、空いている席を探す。

 広い大食堂の端に、昨日見た黒髪を見つけると、彼女は深く考えないまま、隣へと駆け寄った。


「こんにちは。わたしマルティナって言います。となりいいですか?」


 驚いた様子のベルの返事も待たず、マルティナは隣の席へと座る。

 読んでいたボロボロの本から一瞬だけ顔を上げたベルも、特に何を言うでもなく、パンをちぎり口へ運ぶ作業に戻った。

 マルティナも同じようにパンを食べる。

 少しの間、二人の間に妙な空気が流れた。


「……ロバート」


「え?」


 ちぎったパンを手に持ったまま、ベルが口を開いた。

 ニコニコと食事をしていたマルティナは、思わず聞き返す。

 ベルは小さくため息をつき、もう一度話し始めた。


「俺の名前。ロバート・レイヴァンズクロフト」


「うん、知ってますよ。レナさんに……あ、レナさんって私のルームメイトで、わたしより半年早く学園に入った子なんですよ。それで、レナさんが他の生徒のことすごく詳しくて、色々教えてもらったんです」


「色々……ねぇ」


 ベルは最後のパンを口に放り込む。

 カップに注がれた温かいスープを一気に煽ると、食器を重ねた。


「色々聞いてるならもう俺に構わない方がいい」


「え? どうしてですか? わたし、昨日の戦い方のこととか、色々聞きたかったんです」


「それだよ」


 いぶかしがるマルティナを残して、パタンと本を閉じたベルは食器を持って立ち上がる。

 マルティナを見下ろしたまま、ベルは言葉を継いだ。


「俺は白襟ギフトなしだ。普通、赤襟ギフテッドは赤襟同士でつるむもんだ。それに……」


「……それに?」


「俺はアングリア人だからな。関わってるとお前も村八分にされるぞ」


 十歳とは思えないシニカルな顔で自嘲気味に笑って、ベルは立ち去ろうとする。

 一瞬動きが止まったマルティナだったが、怒ったような顔で急に立ち上がると、ベルの手首を握った。


「そんなのおかしいです。わたしたちはえあるあるドゥムノニア王立学園の三十六期生です。学園に所属するものは軍籍に入り、一等兵曹いっとうへいそう待遇になると、午前の座学で習ったばかりですよ」


「そんなものは建前だ。実際この大食堂に青襟きぞくはほとんどいないだろう。あいつらは個室で給仕に特別の食事を運ばせてる。俺たち平民と同じ席で食事をしないようにな。それに――」


 手首を掴まれたまま、ベルは大食堂を見回す。

 思わずつられて視線を追ったマルティナに、ベルは諭すようにこう続けた。


「――この平民の中でも赤襟ギフテッド白襟ギフトなしは分かれてグループになる。誰に指図さしずされたわけでもなく、な。わかるだろ、それがあるべき姿なんだ」


 言われてみれば、たしかに赤襟と白襟は別々のテーブルについていた。

 寮の部屋も赤襟は赤襟同士でルームメイトになる。

 その残酷な様式に、マルティナは言葉を失った。

 それでも彼女はベルの腕を握っている。

 ベルの闘い方は、使い道に問題のあるマルティナのギフトにとって、ただ一つの希望だったのだ。

 だが握り締めていた手も、不意にふっと手を立て、すっと引くという簡単な動作で外されてしまう。

 振り返りもせず、食器をカチャリと鳴らすこともないベルの後ろ姿に、呆然としていたマルティナは、なんとか言葉だけはかけることができた。


「わたっ……わたしはそんなのぜんぜん気にしません! 襟の色が違っても、髪の色が違っても、わたしにはベルさんが必要なんです!」


 慌てすぎたマルティナの声は、おかしな音量で大食堂中に響いた。

 ざわざわと騒がしかった食堂が、水を打ったようにシンと静まり返る。

 驚いて振り返ったベルは、何かを言いかけ、そして――ただ目を伏せた。

 自分自身の大きな声に頬を赤くしたマルティナも両手を握りしめ、立ち尽くす。

 二人にとって永遠とも思える時間の後、誰かの手から滑り落ちたカトラリーが立てる「カシャン」という金属音を合図に、ベルはきびすを返した。


「あ……」


 もう一度声をかけようとして、自分の声の大きさを確かめるように、マルティナは口を開きかけた。

 しかし、ベルの背中はマルティナを拒絶している。

 彼女は口を閉じ、自分自身が無意識に差別を受け入れていた悔しさの滲む瞳で、幼い少年の背中を見つめることしか出来なかった。


「……キミ、待ちたまえよ」


 そんなベルの歩みを遮ったものがあった。

 マルティナと同時に学園へと入学した貴族の一人で、名はハルトムートと言う。

 彼は高価な布に金糸で縫い取りのある豪華な青襟を両手で整え、スラリと背の高い体でベルの前に立ちはだかった。


「……なに?」


 下から睨みつけるようにベルは見上げる。

 苛立ちと怒りの込められたその視線を、ハルトムートは眉一つ動かさずに、正面から受け止めた。


「なにということはないだろう。そちらのお嬢さんフロイラインがパーティーを組まないかと誘っているんだ、せめてなにがしかの返事をするのが礼儀じゃないか?」


「そいつは血迷ってるだけだ。落ち着いて考えれば、俺とパーティを組むなんてってことに、すぐ気づくさ」


「へぇ。それはなぜだい?」


 ハルトムートは、短く切りそろえられた金髪の毛先を整える。

 苛立ちが頂点に達したベルがもう一度説明しようと口を開くと、ハルトムートの言葉がそれを遮った。


「そちらのフロイラインの言うとおりだよ。アングリア人、白襟、そんなものにどんな意味があるというんだ? それにキミも言っていたね『誰に指図されたわけでもない』と」


 まずマルティナが、そしてベルが肯定の意を示す。

 それを見て満足そうに笑ったハルトムートは、まるで大げさな舞台劇でも演じているかのように、細くて繊細な手を二人に向けた。


「ならなにも問題はないだろう。ヘル・ロバート、フロイライン・マルティナ。そうだな、どうせならこの三人でパーティを組むというのはどうだろう?」


 微笑ほほえみをたたえて、ハルトムートは二人の返答を待つ。

 青襟きぞくとして、強い赤襟ギフテッドが雇われることはよくあることだ。

 しかし、青襟と赤襟と白襟の混成パーティ、それも一人はアングリア人となると、それはもう前代未聞のことである。

 その申し出に、マルティナも、もちろんベルも、そして周囲の者たちも、一様に言葉を失った。

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