婚約者が「心変わり」という病気だというので、治るまで病院に入ってもらいます!
江戸川ばた散歩
前編
「ベル…… お前との婚約は破棄させてくれ……」
悲痛な顔で婚約者は私に向かってそう言った。
それは思い出の場所。街の中心にある緑と花かに溢れる美しい公園。
時計台の下のベンチで彼はそう切り出した。
そこはかつて私との将来をよく話し合った場所だというのに!
親同士の取り決めとは言え、それこそ十年来の幼なじみからの流れの相手。
私は動揺してこう問い詰めた。
「え、何故、何故なのですか? クロード様!」
だって格別な落ち度は無かったはず。
私は医者を目指す彼の良き奥方になろうと、女学校を出てから花嫁修業や社交のあれこれをしっかり学んできた。
結婚も一年後と決まり、花嫁衣装も自身で手を入れて、その日を心待ちにしていたというのに……
一体私の何が悪かったというのだろう。
すると彼はこう言った。
「実は俺には重大な病気があるんだ…… 心変わりという……」
「えっ」
心変わり。
さすがに私もそれがどういう意味か判らないほど馬鹿ではない。
簡単なことだ。
彼には何処かで好きな女ができたのだ。
それをあえで「重大な病気」って言うなんて何だろう。
私を馬鹿にしてるの?
その瞬間、彼に対して感じていた愛おしさとか、頼もしさとか、将来の楽しい生活とか、そんな想像が一気に吹っ飛んだ。
そのせいか、思わず目に涙がじわり。
頭は一気に高速回転し始めた。
クロードが私のことを、そんな浮いた言葉一つで簡単に別れてやる様な馬鹿な女だと思ったならば、徹底的にそうなりきってやりましょう。
判ってくれたのか、とばかりに彼はそらぞらしい笑顔で私の方を眺めている。
そして背を向けようとした――時。
私はむんずと彼の肩をひっ掴んだ。
「お待ちを」
ぎりぎりと私は彼の肩に指を食い込ませた。これまでこんな力を出したことはない。
だが花嫁修業のうち、なかなか上手くできない卵や生クリームの泡立てで鍛えた筋肉は、彼をがっちり掴んでその場にとどめておくには充分だった。
そして。
「フィル! こっちにいらっしゃい!」
その日、約束の場所まで私達を運んできた馬車の側で待機していた従者を片方の手で招いた。
フィルは慌てて私達の元へ駆け足でやってくる。
「どう致しましたお嬢様」
「大変なの、クロード様がご病気なの……」
そう言ってはらはらとそのままショックの流れで出たままの涙を拭かないでいる。
「えっご病気……! それは大変です!」
フィルは元々私の護衛も兼ねているので、大柄で力も強い。
「うちの病院へ運んであげて。もしかしたら心変わりなんだから、暴れるかもしれないわ。ちゃんと抑えておいてね。ああ、何としてもこの方のご病気を治さなくては……!」
えっ、えっ、とクロードはそのままフィルにお姫様抱っこで持ち上げられると、馬車に乗せられた。
「私はすぐに辻馬車を拾うから、お父様に私が言っていたことそのまま伝えてね」
「はいっ」
フィルは野太い声でそう窓から返してくる。
その腕はきっと我に返って暴れ出すクロードをがっちりと抑えてくれることだろう。
そして私は、辻馬車を拾って、のんびりと父の経営する病院へと向かった。
*
「お父様」
「フィルから話は聞いた。とりあえず拘束してあるがどういうことかね」
「心変わりと言う病気にかかった、などと言ってました。まあ、無論浮気したのでしょう。そのまま話を続けると、婚約解消だか破棄になると思い、彼が私をそう見ているだろう馬鹿女の振りをして連れて来させました」
「馬鹿はどっちだというんだ! そもそも婚約にしたって、うちというより、向こうからしても駄目だろう!」
「ええそうですお父様、うちの病院と、クロードのご実家の持つ製薬会社との関係もありますわ。ずっと長い付き合いのための姻戚関係を持ちたいと両家とも思っていたのでしょう? だからこその幼い頃からの長い婚約期間だった訳ですし」
「なのに何だ? この馬鹿息子は。やれやれ。ベル、お前相手が年下でも良いか?」
お父様の判断は速い。既に向こうの家の次男三男のことを思い浮かべていたのだろう。
長男の彼が今二十歳。私が十八。彼の弟は十六を先頭に、二つおきに三人。
「十歳以内なら大丈夫ですわ」
「そう言ってもらえて心強いよ。すぐに向こうとは話し合いの席を設けなければ」
「そうですね。ところであのお馬鹿さんはどう致しましょう」
「当人が自分が病気と言っているのだからな」
お父様はにやりと笑った。
「そうですわね。しっかりきっちりした病気の元を探して、治療致しませんとね」
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