第7話 始まりの撃鉄を落とす

 翌日。

 六限までクラスの片隅(つまり俺の席)でじっと教室を観察していたが、体育祭の話題に触れる奴はひとりもいなかった。中間考査に触れる奴もいなかったが。誰も彼も、昨日見たテレビがなんだ、部活の練習がどうした、某先生が臭い、なんかあの隅にいる人こっち見てるんだけどキモくない? みたいな話ばかりしていた。

 せめて、種目をどうする、程度のことは気にかけてほしいのだけれど……まあ、これならこれで、俺にとっても都合がいいと言えばいい。


 さて六限。

「えっと、それじゃあ、昨日の続きで、体育祭についてなんスけど」

 二度目だが、壇上に上がるのは緊張する――とはいえ、こちらに注目している奴はほとんどいないので、恐れるほどではないけれど。


「あ、クラスの方針について決めるんだったよね、議長さん」

 スッと手を上げて、椅子に座ったままフランクに堂島が言う。そうだったなーなどと堂島の仲良し組が内輪で笑い合う。なにがおかしいのかわからないが。

 はは、と笑ったあとで、堂島は続けて言った。

「俺は変わらず、楽しんでいきたいと思ってるよ」

 そうスか、と堂島の爽やかスマイルは受け流す。男の白い歯なんて、見ていて気分のいいものでもないしな。歯並びいいなチクショウ。


「それじゃあ……他に、意見は」

 教室全体を、特に八瀬さんを視界に含めながら見渡す。ほとんどの連中は完全にやる気を持っていない。昨日と同じように、それぞれ関係ないことを始めている。雑談、ケータイ、漫画……こっちに背中を向けているのはさすがにどうかと思うが、別に注意はしない。

 大勢たいせいに順ずる、ということだろう。状況の流れに興味を持っていない。

 ささくれ立った思いは湧くが、まあ、いい。

 好都合だ。

「意見はありませんかー……?」


 さりげなく、八瀬さんを見る。

 八瀬さんは、俯いていた。机の上で拳を握って、黙って座っている。

 いいのか? 八瀬さん。

 言わなきゃ、わからないんだぞ。


「意見は出ないみたいだし、もう多数決しちゃおうよ、議長さん」

 ねえ、と堂島が言う。うるせえ。お前の彼氏を黙らせろよという意味を込めて背後の神子島へ視線を流すと、今日の神子島はなぜか片手でピストルをもてあそびながらまた黒板の隅に落書きしていた。陸上競技のスタート合図に使われる、銃口のない、火薬をふたつ収めるための溝と、それを爆発させるためのふたつのハンマーが起こされたピストルだ。どうしてそんなものを持っているんだ? 件の絵はと言えば、自分の身体を陰にして書いているせいで俺以外には見えていない。どうやら人の顔らしき造形だが、冗談みたいに風刺的なデザインだ。

 口を半開きで見ていると、書き終えたらしく最後に締めとしてサラサラと下にモデルの名前を書き入れる。

 みやしろ・はるか。

 おい。


「……他に言いたいことのある人は――お」

 神子島は役に立たん、と諦めて向き直ると、上がっている手が見えた。

 堂島とはまるで違い、恐々と、自信なさげではあるが、しかし確かに上げられている。


「では八瀬やせさん」

 どうぞ。


 努めて平静に指名する。うん、と頷いて八瀬さんは立ち上がった。それから周りを見回して、思いのほか集まっている視線にややたじろぐ。

「わ……私は、ただ楽しもうと思うだけじゃ、ダメだと思う」

 少し声が小さい。しかし、確かに言う。


「初めから勝負を諦めてたら、きっとひとつも勝てなくて……それって多分、楽しくない、んじゃないかなあって……思います……」


 最後は消え入るようになってしまって、沈むように席に腰を戻した。それでも最後まで八瀬さんの言葉が聞き取れたのは、クラスが静かになっていたためだ。

 好き勝手に喋っていた連中も、ちょっと驚いたような顔で八瀬さんを見ている。

「え、あれ? 意外だなあ、八瀬さんは賛成してくれると思ってたんだけど」

 静まっていた教室の中で、一番に声を上げたのは堂島だ。例の愛想のいい笑顔で、

「八瀬さん、勝負事って嫌いじゃなかった? なんでもとにかく楽しく! っていうタイプだったと思うんだけど」

 堂島の言葉に、そうだなあ、と追随ついずいする声がある。男子だが、名前は覚えていない。

「去年は一番テンション高く、言ってたよな。楽しくやろうよって」

 するとまた別の声、女子が、

「そうそう。だから最初っから勝負捨てていって、その結果見事にぶっちぎりで最下位だったよねえ」

 そう言う女子は、去年も八瀬さんと同じクラスだったのだろうか。

 そういえば、と思い出す。一昨日、八瀬さんをいびっていた陸上部女子も、そんな話をしていた。

「楽しくなかったの?」

 問いに、八瀬さんは答えない。

 うつむいたまま、動かない。

 だがクラスはまた騒ぎ始めていた。話題が去年の体育祭に向いたためだろう、そういえばさあ、と八瀬さんとは全く関係のない話などを始めるやからが出てくる。話を戻そうとする奴も出てくる。正直どうでもいい、とらす奴も出てくる。

 全員が好き勝手に騒ぎ始める。

「…………」

 その様を、壇上から漠然と眺める。


 烏合うごうの衆。そんな言葉を思い出す。

 適当に騒いで、適当に盛り上がって、適当に笑って、適当に過ごして。

 きっと後になって回想したとき、思い出せるものがなにもない。

 青春ってなんなんだろう。そんなことを、思った。

 その場の勢いだけで大騒ぎすることが、青春なんだろうか。

 こいつらは、青春しているんだろうか。


「――どうするの?」

「うおうっ」

 き、急に後ろに立つなよ。いきなり耳元で囁かれたらぞくぞくするだろ……あの落書き、隠しておかなくていいのかよと横目に確認すると、綺麗さっぱり消されていた。

「この辺りが限度じゃない? ちゃんと聞きたいことも聞いたし」

「……そう、だな」

 俺は頷く。


 体育祭に、それほどの関心を持たない集団。勝利か遊楽かは、先導者の誘導でどうとでも流れていくだろう。今、最も発言力の強い先導者は堂島で、だからこそ楽しければそれでいいという方向に向きかけている、が。


 それならば、もっと大きな発言を示せばいい。

 少なくとも、八瀬さんは自分の思いを主張した。

 ただ楽しもうとするだけではダメだ、とそう言った。

 ならば全力で肯定していこう。それでいい、と支えよう。


 しかし俺に、そんな影響力はない。八瀬さん以上に、俺の話なんて誰も聞く耳を持たないだろう。ましてやこの、誰も壇上を見ていない、議題からすら関心の離れつつある現状では。

 俺はやっぱり、主人公ではない。堂島のようにはなれない。


 ……それでも。


 八瀬さんを見る。また俯いたままじっと耐えている八瀬さん。

 困っている女の子。

 主人公でない俺でも、そんな女の子に手を差し伸べられるとしたら――神子島にいいように乗せられているようなのがしゃくだが、それでも。


 できることがあるとするならば、もう一度だけ。

 手を差し伸べているのが、俺じゃなくてもいいから。

 だから、


「――頼む」

「頼まれた」


 やれやれ、とわざとらしいくらいに恩着せがましく吐息して、神子島は頷いた。

 ぽんと俺の肩を叩き、手の中にチョークを落とす。

「本当はあなた自身にやってもらいたいのだけれど、仕方ないわね。今はまだ妥協してあげる。それじゃあ、書記をよろしくね。――それと、耳を塞いでなさい」

「耳?」


 どういうことだ、と見返すが、いいから、と軽く手を振って、神子島はずっと片手でもてあそんでいたピストルを握り直した。

 そのピストルについて、俺はなにも聞いていない。なにに使う気なのかといぶかしんでいたが、そもそもどこから持ってきたのか。教室にあるものではないし、一生徒が持ち歩くようなものではないだろう。

「部室から拝借してきたの」

 いけしゃあしゃあと言ってのけて、神子島はそれに、同じく部室からくすねてきたらしい火薬の小包装をセットする。本来はフライング用にふたつセットするものだが、今はひとつだけ。そしてゆっくりと、天井へまっすぐに向ける。

 不可解な神子島の行動に、何人かの生徒が怪訝な顔をして見上げるが、大部分は気付かず内輪で盛り上がっている。俺はなんとなく神子島のやろうとしていることが知れて、慌てて全力で耳に蓋をする。

 自身も上げた腕で右耳を、残った手で左耳を塞ぎつつ、神子島は引き金に指をかけた。

「――では」

 カチッと。



 銃声が炸裂する。



 阿鼻叫喚の風嵐かぜあらし

 それはほんの一瞬の撃音げきおんだったのだが、大衆を黙らせ視線を集めるには十分すぎるほど効果抜群だった。窓がビリビリ震えるくらいだったからな。戸は閉めていたけれど、隣のクラスには聞こえたかもしれない。これで担任がいたらどうなっていたかと想像するだに恐ろしい。というか他クラスの教師が様子を見に来たらどうするんだ。

「そのときは、スタートの予行練習でした、とか言っておいて」

 悪びれねえ。というか俺が言うのかそれ。

 突然の音響テロに悲鳴を上げ、耳を塞ぎ、自失し、全員が驚愕の顔で壇上の、しれっとした顔でピストルを教卓に置く神子島を見上げる。あと数秒で、我に返った順に非難轟々ごうごうとなるだろうが、神子島はそんな隙を与えなかった。



「――さて」



 まるで何事もなかったかのような平然とした顔で神子島は全員を見渡す。このためだけのピストルだったのか……かすかな火薬の匂い。

 空白の間隙かんげきに差し込むかのようにして、神子島は言う。


「いいかしら」

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