第5話 二つに一つ
既によくわかっていることだが、俺のいる五組は決してスポーツの強いクラスではない。文化部が多いことが必ずしも低スペックに直結するわけではないが、この場合は順当な能力値だった。そして能力がそれなりならば、成果もそれなりのものしか期待できないということになる。
つまるところ、このクラスの体育祭に対する士気は圧倒的に低かった。
「……あー、それじゃあ、体育祭の選手決めをしようと思うんスけど」
体育祭についての説明を一通り終え、種目についてのプリントが全体に行き渡るのを確認してから、教壇に立つ俺が言う――けれど、こっちを見ている奴は酷く少ない。
隣と喋ってる奴、ケータイをいじってる奴、参考書を開いて勉強し始める奴……それぞれが好き勝手にやっている。説明の途中から既にこんな感じだ。担任は俺に司会進行を丸投げして早々に職員室へ引き上げてしまっているため、俺の無視を誰も遠慮しない。
どうしたものか、と黒板へ振り返る。そこには先日言っていた通りに書記をやってくれている
「こうかな……いえ、違うわね。こうだわ」
ひとりでぶつぶつ言いながら黒板の隅にチョークでなにか書いている。なんだと見れば、
みやしろ・はるか。
俺の名前だった。
しかもなにか可愛らしく凝ったデザイン文字で書いている。
どうでもいいけど平仮名で書いてんじゃねェ。
「……種目は配ったプリントの通りなんで、どれがやりたいか……とりあえず、やりたい種目があれば挙手でお願いします」
神子島の支援は諦めて全体に向き直る。しかしそうは言ってはみるものの、まあ手が上がるはずもなく。お前千五百メートルやれよ、嫌だよ疲れるし、みたいな会話がそこかしこから聞こえる。
まあ、そうだよなあ。どれがいい、と問われても、どうでもいいんだよな。どれに出たところで目覚ましい活躍なんてできないだろうし、本気を出すことがみっともない、とか考えがちなお年頃だ。特に男子は。
しかし決めなければいけないものは決めねばならないから、さっさと決めてしまいたいところだ。もたもたしていれば文句が出るだろうし。他人様の名前を飾って遊んでいる神子島は役に立たないとして、どうしたものか。いっそこっちで雑に決めてしまおうか――と俺が考えたところで、すっと長い手が上がった。
堂島だ。
「ねえ、ちょっといいかな」
相変わらず爽やかな面構えだこと。盛夏には部屋の隅にひとつ置いておけば、一服の清涼剤として遺憾なく涼風を演出するだろう。選手の立候補という感じではないが、まさか突っぱねるわけにもいかない。「……どうぞ」と促すと堂島は爽やかな笑みで立ち上がり、
「あのさ。選手を決めるのもいいんだけれど、その前にうちのクラスの方針を決めた方がいいんじゃないかな」
「……方針?」
なんだか不穏なことを言い出した。しかしクラス全体は先程までとは打って変わって堂島に注目している。議長の話は全く聞かないくせにな。カリスマの差か。
お前の彼氏が妙なことを言い出したぞと目線だけ向けると、神子島は堂島など見向きもせず俺の名前を装飾することに集中していた。三パターン目に入っている。
おい。
「……方針って、なんスかね」
この場に発言権があるのは堂島だが、それを許すのは俺だ。先を促すのも俺しかいない。
正直、言いたいことがそれとなくわかってしまって、あまり聞きたくないのだが。
「簡単だよ、つまり――この体育祭、勝ちに行くか、それとも楽しみに行くかってこと」
どこかで聞いたフレーズですね。言い方に嫌みはないのが、かえって俺のような
八瀬さんは、唇を引き結んでクラスのカリスマを見上げていた。
「はあ……それで、堂島クンはどっちなんスかね」
一応、そこのところも明らかにしておかねばなるまい。別に、方針を決めようという堂島の提案に大きな
「俺は、楽しむべきだと思うよ」
にっこりと、笑う。その美顔を、思わずまじまじと見てしまった。
なんだって?
「残念ながら、このクラスじゃあどれだけ頑張っても勝てないよね。そもそも運動部が少ないわけだし」
陸上部のエースの言葉に、うんうんとクラスの大半が同意を示す。結構はっきり言ってのけたが、反感を浮かべる奴はひとりもいない。完全に堂島のペースだ。その手応えを確認しているのか、ぐるっと教室を一望する。
だからさ、と堂島は言う。
「精いっぱい頑張って、それでも届かなくて悔しい思いをするくらいなら、最初から開き直って大いに楽しもうとした方が、よっぽどいいと思わないかな? ――それに、少ないとはいえ、運動部のみんなは高体連も近いからね。怪我をするリスクは低い方がいいし」
おお、とどよめきと拍手が起こった。その
……こいつ。
最後のそれが、本音だ。
嫌みのない性格、と思っていたが、どうやらその評価は多少下方修正する必要があるようだ。少なくとも愛想がいいのは
それでも誰も、そのことに気付かない。見ようとしない――カリスマが。
溢れ出す堂島の求心力が、自分勝手な理屈も正論にする。
なんの益にもならないことにかかずらいたくないという本心を、正当化する。
八瀬さんは。
再び横目に見た八瀬さんの表情は――強張っていた。
楽しみたい。それは八瀬さんにとっても望むところのはずだ。昨日聞いた感じでは、去年までも楽しむことを旨としていたらしいし。
けれど、違う。
堂島の言うそれでは違うんだと、八瀬さんの顔からは読み取れた。
しかし。
「……だ、そうですが。他に意見は」
思っても言葉にしなければ、伝えることはできない。
不本意であっても少数派は
楽しむか、勝つか。
……二択、なのか。
堂島の提案のお陰で、もうすっかり選手決めの雰囲気ではない。であれば、ここは空気に従ってクラスの方針とやらを決めるのが無難だろう――どうやって決める。
多数決しかない。
教室を見渡せば、堂島くんの言う通りでいいんじゃない、とか、正直体育祭なんてかったるいしな、などという声がいくつも聞こえてくる。
いいのか、これで。
……なにがだ。
脳裏で急にさえずり始めた音に、俺は反射的に
いいじゃないか。どう転んだって俺に悪影響はないし、怠けても許されるのなら万々歳だろう。どこに不満がある。
別にないじゃないか。
そう自分に言い聞かせても、視界の隅から八瀬さんを外せないのは、なぜだ。
俯き加減に座り、なにか言いたげに肩を震わせ、しかしなにも言わないクラスメート。つい先日までどこの誰とも認識していなかった相手。
困っている女の子。
「…………」
どうであっても。
今の俺にできることなんて、ないじゃないか。
決めることを決めて、終わらせるしか。
「――それじゃあ」
多数決で、と言いかけた俺の口を塞ぐように、チャイムが鳴った。
思っていたよりも時間が経っていたらしい。最初の説明に時間をかけ過ぎたのか。
しかし、どこかで
「……今日はこれで終わります。続きは明日決めるんで」
出たい種目、考えておいてください。
ぼそぼそとそう言って、俺は会議を終わらせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます