紅金糸雀の唄

牧瀬実那

第1話

ガンガン、ガンガン


金属を叩く固い音が響いている。

「……っそ! 出せ!」

小さな家、その内部を埋める巨大な鳥籠。その豪奢な格子に取りつき、少女はひたすら自らを閉じ込めるそれを殴っていた。

豊かで長い金色の髪も、大胆に胸元を開きつつ、どこか淑やかなドレスも、背に広がるふんわりとした翼も、今は彼女の動きに合わせて見る影もなく振り乱れている。だが厭うこともない。


ガンガン、ガンガン


手が擦り切れ、血が滲んでも、少女は鳥籠を殴り続けた。

「出せ! 出しやかれってんだ! クソ! 聞こえてんだろ!」

時に筆舌しがたい言葉を交え、声が枯れ、血が滲もうと、少女は叫び続けた。


どれくらいそうしていただろう。

不意に、部屋のドアが開いた。よく手入れされ油が行き届いたドアは音を立てることもない。その隙間から人影がするりと中に入ってくるのを、少女は格子にしがみついたまま睨み付ける。

「……相変わらず暴れているのか」

人影は少女の前に立ち、はあと呆れ気味にため息をついた。

端正な顔立ちに品のある声。人影は街に出れば娘達が色めき立ちそうな美男子であった。その筋の通った鼻に噛みつかんばかりの勢いで少女は顔を前に突き出し、叫ぶ。

「テメェ……! よくもあたしをこんな場所に閉じ込めてくれたな! 今すぐ引き裂いてやる!」

がしゃんがしゃんと籠を揺すって暴れる少女を見ても、青年は動じない。じっと少女を見つめてしばらく。彼はもう一度、今度は先程より大きなため息をついた。

「……やや不安ではあるが、良いでしょう。ほら、前に出しなさい」

と後ろに向かって声をかける。いつの間にかそこには青年の従者が居り、何やら足下でを気にしている。少女もつられて従者の足下を見遣る。

もぞりと動く影がそこにあった。

怪訝そうに見つめる少女の目の前で、影は小さな女の子の姿になった。

3歳くらいだろう。鮮やかな赤いボブにフリルの詰まった赤いワンピースを着ている。くりくりとした真っ黒な目は、今はおどおどと少女と青年を行ったり来たりしている。子供の背には、翼があった。


――あたしと同じ翼


そのことに気がついた瞬間、カッと少女の頭に血が上る。

格子があることも忘れ、青年に掴みかかろうとする。当然、格子に阻まれ、がしゃんと大きな金属音が響く。

「お前……! あたしだけに飽きたらずこんなに小さな子まで捕まえたのか! 親から離して……なんてひどいことを……!」

今すぐ喉を噛み裂いてやる、と牙を露にする彼女を一瞥し、青年は何度目かのため息をついた。

「やめなさい。これが怯えてしまうでしょう」

従者が子供の頭を撫でる。つられて少女が子供の方を見ると、確かに子供は怯え、従者にぴったりとくっついている。

その様子は、今度は音を立てて少女の血の気を引かせた。


――なついている


ありえない。我が目を疑い、呆然とする少女に、青年は淡々と続けた。

「これは捕まえたのではありません。育成販売業者から購入したものです」

「育成……販売……?」

「あなたたちハルピュイアが飼育されるようになって数十年。野生下で捕獲する以外に繁殖させるという手段を取るのは当然でしょう」

「はん……しょく……」

青年の言葉を繰り返す。


自分の種族が繁殖させられている。


あまりにも理解の範疇を越えており、少女はただただ唖然として、目の前の子供を見つめる。鮮やかな赤い髪が目についた。自分の金色とは違う色。

「綺麗な赤色でしょう。この色を固定するのには苦労したと聞きます。尤も、特定の餌を与え続けなければ色が褪せるそうですが」

顔色ひとつ変えずに説明していた青年が、さて、と顔を上げる。視線は真っ直ぐに少女を向いている。感情が読めず、少女は僅かにたじろいだ。

「本日からお前はこれと暮らし、世話をするように」

少女は動きを止める。青年が吐き出した言葉が頭に届くまで、かなりの時間を要した。一方で青年も彼女が反応するまで微動だにしない。

二人の間に言葉にしがたい沈黙が降りた。聞こえるのは子供が時折動かす翼の音だけである。

少女が理解するよりも早く、あるいは少女の意思など端から眼中に無いように、従者が動いた。

重くて豪奢な鳥籠の錠を外し、中に子供を入れる。子供は状況を理解していないのか、ぽやぽやと周囲を見回している。反抗する様子も、泣きじゃくる様子もない。


それは少女も同じだった。何もかもが理解の範疇を越えており、ぼんやりと子供が入れられる様子を見ていた。

お互いに状況を飲み込めないでいる内に、ガシャンと音を立てて再び格子が閉められる。

「これから毎日餌を食べさせたり身繕いさせたりするように。わからないことはこの従者に聞きなさい。では」

一方的にそう告げると、青年はさっと踵を返し、出ていってしまった。

「こいつの餌は特別ゆえに都度説明する。厠の場所は知っているな。服は定期的に支給する。お前が作っても良い。……他に聞くことはないか」

畳み掛けるように従者が説明する。少女はハッとして今度は従者に捲し立てた。

「他にも何も……そもそもこの子の親は!? 繁殖ってお前らはあたしたちハルピュイアを何だと思って……」

「それについて答える義務はない」

ぴしゃりと少女の言葉は断ち切られてしまった。カッとなる彼女を見向きもせず、従者はそれ以上質問はないと判断したのか、主と同じように出ていってしまった。あとには少女と幼児だけが残される。

「あーもう! どうすれば……!」

堪らず少女は叫んでうずくまった。広々とした鳥籠内に声が空しく響く。それでも夢なら覚めてくれと頭を抱えるしかなかった。

幼児の方はといえば、そんな少女の様子を全く気にせず、辺りをキョロキョロと見回しては、気になるものや場所へかけていく。物怖じも怖がりもせず、興味の赴くままだ。とたとたという軽い足音が少女の悩みのBGMになっていた。

「……?」

どのくらい時間がたっただろう。少女は不意にBGMがしばらく流れていないことに気が付いた。

思わず顔を上げて幼児の姿を探す。知らない間に危ないところに落ちていないか、さすがに心配になった。

果たして、幼児はすぐに見つかった。少女からそれほど離れていない場所で立ち尽くしている。

ほっとし、声をかけようとしたのも束の間、少女は何かがおかしいと思った。よく見ると幼児はぷるぷると震えている。

「ど、どうしたんだ!?」

慌てて声をかけるが、幼児はうつむいたままぷるぷると震えるばかりだ。

少女は幼児の前に屈みこみ、目線を合わせて再度問いかける。何拍か間をおいて幼児はようやく口を開いた。

「………………れ」

「え?」

蚊の鳴くようなか細い声に、思わず問い返す。幼児は再び少しの間だけ黙り混んだ後、絞り出すように応えた。

「…………おといれ……」

「え……えええ!?」

想像だにしない答えだった。そうしている間にもだんだん幼児の顔色が悪くなっていく。脂汗もかいていた。

「えっと、トイレ、トイレな! 今連れていってやるからちょっと我慢しな」

幼児の手を取りながら少女はアワアワと諭す。幼児の反応はない。

軽く手を引くと、少女が考えていたよりも強い力で抵抗された。え、と少女がもう一度引っ張ろうとするが、やはり幼児は動こうとしない。

少女の混乱が深まる。

「ど、どうした?」

「……」

問いかけても答えはなく、ただ幼児の脂汗が増えていくばかりである。

「と、 トイレ行きたいんだろ!?」

「……」

「なぁ!?」

「……」

「……あーもう、しょうがないな!」

先に音を上げたのは少女の方だった。素早く幼児の膝の裏に手を通すと、ひょいと抱え上げようとする。

「おっと……」

少女が予想していたよりも、 幼児は遥かに軽かった。勢い余って後ろに倒れそうになるのを、踏ん張り留まる。

――このままトイレまで運ぼう。

意を決して立ち上がる。ちらりと幼児の様子を伺うと、目を見開いたまま青い顔をして固まっていた。尋常でない脂汗である。時間はあまりなかった。

ばさり、と少女は翼を一度はためかせる。トイレまで走るよりも飛んだほうが早いし揺れが少ない。そう考えた。

幸いにも鳥籠は彼女が飛び回ることができるほど広い。

「もうちょっとだからな」

一言幼児に声をかけると、一息に羽ばたいた。ぴぃ、と腕の中でか細く幼児が泣いた気がしたものの、構うことなくまさにひとっ飛びに飛び、すぐに降り立つ。

「ほい、トイレだ。あとはできるか?」

幼児を下ろしながら問い掛ける。こくん、とひとつ頷いて幼児はトイレへと向かっていく。

その様子を見守り、幼児が最後まで出来たのを見届けると、少女は詰めていた息をほう、と吐き出した。

一生懸命手を洗っている幼児にそっと近付き、頭を撫でる。

「ぴぅ」

幼児はされるがままに頭を揺らすと、不思議そうに少女を見上げた。それから、ハッとしたように目を開くと、少女に向かって頭を下げた。

「ありがとう、ございました」

「どういたしまして。ちゃんとお礼が言えて偉いな」

褒めると、幼児は嬉しそうにふにゃふにゃと笑い、歌った。

楽しそうな歌声に、少女もつられて歌い出す。しばらくの間、二人は声を合わせて歌い、片方が踊り出せばもう片方も踊るのを繰り返した。

ようやく歌が終わる時、きゃいきゃいとはしゃぎながら、二人はぎゅっと互いを抱き締めていた。

「おねえさんもおうたをうたうんですね」

にこにこと嬉しそうに幼児が見上げてくる。少女はにっこりと笑顔で頷く。

「ああ。ハルピュイアはみんな歌うんだ」

「はるぴゅいあ?」

初めて聞いたというように幼児が首を傾げたのを見て、少女も首を傾げた。

「そう、あたしたちの種族。……聞いたことないかい?」

問い掛けると幼児はしばらくうーんうーんと考えた後、首を振った。

「そう……あいつらはお前に教えてくれなかったんだね……」

先程の繁殖という言葉が蘇る。少女の腕に力が籠もった。怒りに震える彼女を幼児が不思議そうに見上げた。

しかし、それも一瞬のことだった。目の前に居ない相手のことよりも、今は幼い同胞の方が重要だった。

少女は、ゆっくりと幼児に目線を合わせると、口を開く。

「いいかい? お前はあたしと同じハルピュイアだ」

「はるぴゅいあ……」

「そう。歌と空と自由を愛する、誇り高き空の狩人さ」

ゆっくりと言い聞かせる。幼児は難しそうにむにゃむにゃと少女の言葉を反芻した。

「うたとそらと……ほこりたかき……」

完璧ではなかったが。

少女は満足そうに大きく頷いてみせる。

「いつか、お前を仲間のところに連れていってあげる」

「なかま……」

「うん。みんなきっとお前のことも、お前のそのりんごのように赤い髪のことも気にいるさ」

言われて、幼児が髪の毛に手を当てる。

「ほんとう?」

「ああ」

ふにゃととろけた表情になる。幼児は自分の髪の毛が赤いことがお気に入りらしい。またぴよよとさえずった。

少女は幼児の髪を漉きながら歌うように続けた。

「その日まで一緒に生き延びような」

はーい、と幼児が嬉しそうに答える。

「そうだ。まだ名前聞いてなかったな。あたしはビビアン。アンタは?」

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