第六話 脅威

 全身を駆け巡る振動と轟音。

 水中かつ岩盤に閉ざされた俺の身体をも確実に刺激するその威力。この瞬間、俺は今までにないほどの恐怖を感じていた。


 疑似聴覚は切断したが、海水を通じて伝わってくる暴力的で破壊的な力の顕現が、狩りに高揚していた俺の脳を一瞬で塗り替えたのだ。


 しかしいつまでも恐怖に負けてじっとしておくわけにも行かない。上には知能を持たないアストライア族の仲間たちがいる。


 確かに大人たちのパワーには俺も敵わない。

 しかしこの世の中、力だけじゃ倒せない敵はいくらでもいるのだ。


 例えばこの海域最速のサメ、ウスカリーニェ。あいつはどれだけ力を持っていようとも罠を仕掛けなければ倒せない。それこそ、さっきの貝類みたいな生態をしていなければ敵わない相手だ。


 もしも上に現れたのがウスカリーニェなら、俺の土系魔法で簡単に罠にかけられる。

 昔、ムドラストに頼まれてアストライア族領の少し外に罠を設置したことがあった。あれを流用すれば良いだろう。


「ッチ、ウスカリーニェだったら対応のしようがあったんだが、どうやらそうじゃないらしい」


 恐怖を乗り越え、俺は貝の住処を飛び出した。

 ウスカリーニェ用の罠魔法を準備した状態で歩み出したのに、俺の魚眼に移ったのはもっと別の存在だった。


 とにかく大きい。俺の父アグロムニーもかなりの大きさを誇っているが、そいつは彼よりも遥かに大きかった。

 今までに見たことがないほど巨大なそいつは、重そうな肉体を悠々とうねらせ重厚な圧を放っている。


 そう、クジラだ。海中、というか陸上を含めても最大級の生物。確かにこの海域はクジラが出現してもおかしくない程度には深いが、本来この辺りにいたクジラはもっと小さく、イルカに近しい奴だったはず。コイツが何者かは、あとでムドラストに聞く必要がある。


 そして次に目に付いたのは、その魔力。

 俺たちは先天的に魔法を持たない代わりに、魔法を使う生物には敏感だ。その本能がこれでもかというほど警鐘を鳴らしている。


 魔力を込めた疑似視力でそいつを注視してみると、ムドラストに勝らずとも劣らないほど多く、そして鍛えられた魔力を有していることが分かった。


 おかしい。あれほどの練度の魔力は知能のない生物には絶対に宿らないのだ。それに知能があっても、必ず高い質の魔力を手に入れられるとは限らない。


 タイタンロブスターの天敵、巨大イカのペアーも低い知能を持っているが、奴の魔法は粗野で野蛮。とても理性的に鍛え上げたとは思えない代物である。


 対して奴の魔力は違う。確かに暴力的で荒々しい雰囲気を感じるが、その中に、確実に合理性が含まれていた。


 地球でもクジラは高い知能を有する生物として有名だったが、異世界ではこれほどまでになっているとは思っていなかった。

 だが、ロブスターやイカが知能を持つ世界なのだ。クジラが知能を持つことになんら違和感はない。むしろ自然である。


 そして何より目に付くのが、奴の口元。

 きっとここに来る前の俺だったら何も思わなかっただろう。とても自然的でよくある光景だと、見逃していたに違いない。


 だが、今はそれを許すことは絶対にできないんだ!

 それを許してしまえば、俺はここにいる資格を失うし、何より俺が俺を受け入れられなくなる!


「……小さいな、まだ子どもか。もっと大きい奴を探して上へ行くか、それとも引き返すか、悩みどころである」


 奴は何でも無いかのようにひとりごちた。その態度が、その姿勢がたまらなく俺の癪に触る。


「まてやコラ。どこ行くつもりだクソ野郎。てめぇ俺の仲間に何しやがった!?」


「……驚いたよ、まさか知能があったなんて。だがさっきの奴らはそんなそぶりを見せなかった。もしや、身体が大きくなるほど脳の衰える種族なのかな」


 奴は俺をおちょくるような口調で問いかけてくる。間違いなく、俺を挑発していた。


 分かっている、こんな安い挑発に乗ってやることはない。

 だが、だが! 奴の言葉と態度に対する怒りは限界を迎えようとしている! こっちに来てからこれほどキレたことはない。


「何をしたか、と聞いたな、小さきものよ。見ての通り、食事だよ。強いものは弱いものを喰らう。世の理であろう?」


 奴のその言葉で、俺の中の何かが吹っ切れた。

 相手の実力が分からない以上、援軍が見込めるまでこちらから手を出すまいと思っていたが、もう止めだ。あいつはこの手で殺す。


「……食事、食事か。そうか、なるほどな。弱肉強食、確かに自然界の掟に則った行動と言える。なら今から俺がするのも、その範疇だろうよ」


 走り出した。とにかく速く、俺が使える魔法の全てをもって加速し奴に肉薄する。


「ほう、我を喰らおうと言うのか。面白い、やってみるといい」


 どこまでも上から目線の奴の口調。その口、今閉ざしてやる。


「水刃!」


 俺の最も得意とする魔法、水刃。先程貝に放ったのとは訳が違う。骨の硬い哺乳類であっても一撃で絶命させるため出力と精度を極限まで高めた。

 それを大量に撃ちだす。あれほどの巨体、たった一撃で打倒するのは不可能だろう。


 仲間が食われたことによる動揺と怒り、そして高揚で沸騰しているはずの脳は、しかし普段よりも遥かに冷静で冷え切っている。


 奴を殺すにはどこを狙えば良いのか、どうすれば水刃の切れ味を向上させられるのか。

 普段ずっと思考しているのに成功しない難題を、この日の俺は簡単に解決して見せた。


「良い魔法だ。しかし、そんなのが通用するのは知能の低い甲殻類くらいのものであるぞ」


 奴がそう口にした瞬間、俺が放った水刃の悉くが急停止する。


「ッな!?」


 水刃の制御権を奪われた! いや、水刃というより、俺が操作していた海水の制御権を乗っ取られたと言うべきか。


 つまり水系魔法に関しては奴の方が俺よりも上手ということ。この水中戦、水系魔法で劣っていることは大きなディスアドバンテージだ。


 俺たちの場合は特に。水中を高速で移動するときだって水流操作を使うのだ。その制御権を奪われれば、得意のヒットアンドアウェイ戦法は出来なくなる。


 やはりこいつ、侮っていい敵ではない。

 だがな、対策がないわけじゃない。俺が今まで誰に魔法を教わってきたと思っていやがる。


「アストライア族族長、ムドラストの一番弟子、ニーズベステニー。貴様を災害とみなす。全力で相手させてもらうぞ!」


 これがアストライア族の口上。あくまでも長生きできなければ生物的に弱者であるタイタンロブスターは、常に他の生物の脅威に晒されている。

 中でも特に強力な敵を災害とみなし、知能の有無に関わらずこの口上を叩きつけてやるのだ。そして、その上でぶっ飛ばす。


「……悪いな、我らに個体名は存在しない。種族名も存在しない。いや、正確にはあるにはあるんだが、お前たちには聞き取れやしない。だから口上を返しはしないぞ、若き者ニーズベステニー」


「充分だ、これはただの習慣だからな。空杭からくい


 水刃とは異なる水系魔法、空杭からくい。威力こそ水刃に劣るが、奴にはむしろ通用するはず。


「また水系魔法か、懲りない奴だな……グッ」


 奴から水系魔法の力を感じる。先程と同じように、魔法の制御権を奪おうとしたのだろう。逆に言えば、それ以外の対策をしなかったために、この魔法が通用してしまったのだ。


「驚いたか、クソ野郎」


「ああ、本当に。まさか水を生成する魔法も使えるとは、どうやらあまりに舐めすぎているとクラゲに刺されるらしい」


 クラゲに刺される、というのはなんかことわざ的な奴か? だがとにかく侮辱しているのは奴の口調から伝わってきた。まだ俺のこと舐め腐っていやがるのか。


「そんな余裕ぶっこいてていいのか? 今ので少なくともこの魔法に関しては俺の方が上ってハッキリしただろ」


「フン、こんなもの対策のしようなどいくらでもある」


 強がりなのか本当なのかよくわからんな。


 だが、やはりこの空杭からくいは奴に有効だった。


 水刃は周りの水を操作、圧力をかけて撃ちだす魔法だ。そのため簡単に奴に制御権を奪われる。


 しかし空杭からくいは俺が自ら魔法で水を生成し撃ちだす魔法。これを打ち消すには、俺の”魔法”の制御権を塗り替える必要がある。


 奴ほどの魔法の練度ならば、空杭からくいが海水でないと悟った瞬間対抗魔法に切り替えたはずだが、それでもこれを打ち消せなかった。つまり、この一点に限っては俺の方が上なのだ。


 俺は奴に負けてはいない。一つでも勝っている部分があるのなら、撃ち倒して見せよう。仲間の復讐と防衛のために。

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