小悪魔と私の危険なルームシェア

琴羽

第1話 天敵



「あ、やだ、だめだって。」

「もう、無理。我慢できないよ。」

「だって……莉子(リコ)が帰ってきちゃう。」

「大丈夫だよ。今日、残業って言ってたし。」



ねぇ、嘘でしょ。誰か。

お願いだから、嘘だと言って。



結婚間近、3年も付き合っていた彼氏が。



こんなに簡単に?


数日前に会ったばかりの

アイツに


「君が誘惑したんだろ?」

「そうだっけ?」


迫っている光景を

狭いクローゼットの中から見なきゃいけないなんて。


私がここにいることを知らない彼氏は

荒い息遣いで


「莉子には悪いけど、僕はもう君のことしか考えられないよ。」

「結婚するんじゃないの?莉子と。」

「そう、思ってたけど。」



彼のことを信じてた。

本当に、大好きだったし。


この人と一生一緒に生きていきたいって

思ってたのに。


穏やかな彼の見たことないくらいに、熱い雄の瞳。


今すぐに、欲しいって、その熱が物語ってる。


そんな顔するなんて、私、知らなかったよ。



「永華(とわ)……。」

「……悪い人だね。」



そんなに、愛しくて堪らないって声で。

ねぇ?


私以外の名前を呼ばないで。


目の前の2人の唇が、ゆっくりと重なろうとした瞬間に。



「……もう!!別れる!!

さようなら!!」


バンッ!!とクローゼットを開け放ちながら叫んだあの日。



「!?り、りこ!?何でここに!?」


彼の信じられないって見開かれた瞳と



「………。」


組み敷かれた体制のまま

無言で、口端を上げて笑った。


今日も驚く程に赤い

薔薇色の唇で



「ごめんね。」

僕の勝ちだよ。って私を挑発する

アイツの瞳を


私は、一生、忘れないだろう。




**




「あの、ビッチー!!!

また、私の彼氏を奪ったのよ!?


もう何度め!?

次こそ絶対に許さない!!

絶交してやるー!!」


ガヤガヤと騒がしいガード下の焼き鳥店で

もう何杯目かも忘れたビールジョッキを机に叩きつけた。



「え、嘘でしょ?

広臣(ヒロオミ)さんと別れたの?」


やけ酒に付き合ってくれてる親友、美香(ミカ)は今日も完璧に決まってる前髪をかき上げながら、引いた目で私を見下ろしていた。


「えぇ、別れたわよ!?

プロポーズされて2週間よ!?

今が幸せの絶頂だったのに!!」

「あぁ、アンタ。この世の幸せ全部手に入れましたってくらいに浮かれてたもんね。」

「浮かれるでしょ!?浮かれて寿退社までしちゃったのに!!どうするのよ!?

広臣と同棲してたから、住む家もないし、職もないし!!お先真っ暗よ!?天国から地獄って、このことでしょ!?」

「……はぁ、本当に可哀想過ぎてかける言葉もないわ。」

「それも、これも全部あの悪魔のせいよ!!」

「悪魔……って永華(とわ)のこと?

どちらかと言えば天使みたいな顔してるけど。」

「ねぇ!?本当にやめて!?

みんなあの顔面の美しさに騙されるのよ!!

アイツは天使なんかじゃないの!!


いつも、いつでも、私の幸せの邪魔をする悪魔なのよぉー!!」

「ちょっ、腕、痛いんだけど!」

美香の腕に抱きついて、おいおいと泣き出す私を、さりげなく引き離そうとする薄情な親友。



「広臣にサプライズプレゼントしようと思って、クローゼットに隠れていただけなのに!!どうしてこんなことになるの!?」


彼氏の浮気現場に遭遇するなんて、本当についてない。

しかもその相手がまた、アイツなんて。


なんの呪い!?

残った生ぬるいビールを、涙と共にグイッと一気に流し込んだ。



「……悪魔なんて、ひどいなぁ。

ひどいのは、莉子を裏切った彼氏でしょ?」

「!?」


ふいに、隣の席に誰かが座った。

瞬間に、居酒屋特有の酒とタバコの匂いよりも


ふわりと香る優しい花の匂いがした。


ラベンダー?もしくはカモミール?

あぁ、すっごく良い匂い。


だけど、この香りを私は知っている。

今まで何度も嗅いだことのある


元カレ達のワイシャツの残り香。

忌々しい……奴の香りだ。



「あ、永華!久しぶりー!

相変わらず綺麗な顔だねー!」

「久しぶり美香ー!

……ちょっと老けた?」

「殺すよ、アンタ。」

「あはっ!こわぁい!」


こわいとは口ばかり

フワフワと笑いながら当然のように


私と美香の会話に入ってくる。


馴染みの焼き鳥屋のマスターに


「おじちゃん、ビール下さいー!」

と愛想良く言うと


無愛想な店主が無言で

冷たいビールと、焼き鳥の盛り合わせを差し出した。



「あれ?頼んでないけど。」

目の前に詰まれた焼き鳥を見て

首を傾げた永華に


「……サービスだよ。」

ぼそりと告げたマスター。


永華はまた、あはっと短く笑って

「わぁい!ありがとう!!」


焼きたての炭火焼きを

口いっぱいに頬張ってから



「んん、美味しい!!

やっぱりここの焼き鳥が一番好き!」


頰を片手で抑えて、んーっと幸せそうに唸った。


その顔を見て、マスターが

ニヤニヤしていたのを私は見逃していない。


私の方がこの店に通ってるのに

いつも永華にばかりサービスする店主も


それを知っていて


「莉子も食べる?」

はい!と何でもない顔して、焼き鳥を差し出すコイツも。


全てが……面白くなかった。



「どの面下げて、私に会いに来たの?」

私の殺気を感じたのか

「ちょっ、莉子!」

美香が、私が殴りかかる前に

止めようと片腕を掴んでくる。


そんなこと、全く気にしてないように

「えぇー?この顔?」

可愛いでしょ!と

にこっ、と無邪気に笑う永華に


本気で殴りかかりそうになった。


美香が「落ち着いて!!」と

必死に止めてくるから


「……もう、あんたの顔みたくないの。」

冷静を装ってる。惨めな女のプライドだ。


「広臣さんのこと怒ってるの?

あの人となら、別れたから許してよ。」

「はぁ!?」

しれっ、とビールを口にしながら言った永華のことを、思わず凝視してしまう。


「な、なんで別れたの!?」

「えー、だってエッチ下手なんだもん。」

ふふと思い出し笑いまでしてる。

唇の上に乗ったビールの泡を、赤い舌先でぺろっと拭ってから。


「あんなんで、よく満足してたね?」

かわいそー、莉子!と

ポンポンと肩まで抱いてきた。


「と、永華、あんたって奴は

どこまで性格悪いの!?

殺されたい!?今すぐ殺して欲しい!?」

「きゃー、やめてよ!

苦しいってー!!」

「許さない、アンタ!!

今度の今度こそ許さないからぁー!!」

永華の首を脇からガシッと抱えて

渾身のヘッドロックをかます私に


キャアキャアと騒ぎながらも

楽しそうにしている。


永華が動くたびにフワフワと揺れる

ウェーブがかった黒髪が


頰に触れるたびに甘い香りを漂わせる。


私なんかよりずっと、可愛らしくて

守ってあげたくなる。


広臣が好きそうな、香りだ。



「嫌い!!永華なんか、大っ嫌いよぉー!!」

うぁーんと泣き出す私に

オロオロとする美香。


周りの客も、何の騒動だ?と

ザワザワし出した。


「えー、僕は大好きだよ。」

……莉子のこと。



永華が、何か呟いた気がしたけど

アルコールと涙でくらくらした頭には

一切届かなかった。





**



神崎永華(かんざきとわ)

高校時代からの腐れ縁。


かつ、私の天敵である。


くりっとした黒目がちの大きな瞳は

神秘的な三白眼。


高い鼻筋、薄くて形の良い唇。

肌は透き通るほど白かった。


女子よりもずっと綺麗な顔立ちで

高校時代から男女問わずにモテていた。


もはや、1人ハーレム。

無双状態。


そんな永華と、同じクラスになって

自然と仲良くなった理由は。


「あ!莉子ちゃん、この俳優好きなの?」

「うん!格好良いよね!」

「僕もー!ファンなんだ!」

「あと、このロックバンドも好き!」

「え!?嘘!僕も!!」

「すごい、私たちって趣味が合うね!」

「うん!びっくりしたぁ!

良かったら仲良くしようよー!」

「こちらこそ!永華くんと知り合えるなんて嬉しい!」



尽く、趣味が合うと言う点だった。

好きなドラマ、俳優、推してるバンド、好きな色、服の趣味、食べ物の好みまで。


双子かな?と思うくらいに

永華と、私はぴったり合っていた。


みんなの憧れでカリスマ的存在だった永華と仲良くなれたのが純粋に嬉しかったし。


異性で気の合う友達は少なかったから、この友情を大切にしていきたいと思った。



……気付けば、普段から一緒に過ごす友達になっていて。



「ねぇ、永華聞いてー!

私、彼氏が出来たんだ!」

「え!おめでとうー!見せて?」

「ほら、この人!」


はじめての彼氏に浮かれて、1番に報告したのが永華だった。


「ふーん、格好良いね!」

「でしょ、でしょー?」

「ねぇ、僕にも紹介してよ!」

「へ?」

「良いじゃん!友達でしょー?」

「う、うん!」


あの頃の私は、うかつにも忘れていた。

永華と私の趣味は同じ。


と言うことは男の趣味も同じ。


元々、男の人も恋愛対象だと永華から聞いていたし。


女の子みたいに可愛くて美人な永華なら納得出来た。


だからって、まさか。



「ごめん、莉子。別れたいんだ。」

「え?何で?」

「……好きな人が出来た。」


私の好きな人が、ほぼ100%の確率で


「……だ、誰!?」

「……永華くん。」

「え!?」


永華を好きになる人生になろうとは。

……あの頃は想像もしていなかった。



「ごめんね、莉子。

僕そんなつもりなかったんだけど。」

心から申し訳なさそうに謝る永華を

最初は信じていたし。


「ううん、永華は悪くないよ。」

永華は、美人だから仕方ないって思っていたけど。


それが、一度ならず


「ごめん、莉子。」

「莉子よりも、永華くんの方が……。」

「ねぇ、莉子。あの子は友達?

すごく可愛いね。」


2度、3度と続くうちに。


「ねぇ、永華。

もしかしてだけど、私の彼氏と連絡してる?」

「うん、連絡先聞かれたから。」

「な、なんで!?断ってよ!」

「何で?」

疑いは……確信となり。


「何でって。

友達でしょ、私たち。」

「友達?」


は、と短く笑った永華は

長めの前髪を鬱陶しそうに払った後。



「僕、莉子のこと。

友達だと思ったことないけど?」


「!?」


信頼は……疑惑へと変わった。


「じゃ、じゃあ……もしかして

わざと私の彼氏を……?」

「さぁ、どうだろうね。」

選ぶのは、相手でしょ?


「っ!!」

そして、初めて出来た男友達は



「この、泥棒猫ー!!」

私の天敵となったのだった。




あれから早数年。

高校を卒業してからも、進学先が近かった私達の腐れ縁は続き……今現在に至る。


何度も絶交したかったけど

美香と、永華の友達が付き合っていたこともあり、無下にも出来なかった。



だけど、今回のことではっきりわかったんだ。

もう永華とは関わらない。


そうじゃなきゃ、私はずっとこのまま

美しい彼に、恋人を取られ続ける人生だ。


私に、彼氏を繋ぎ止める魅力がないだけかもしれないけど。



「あ、永華じゃん。

すごーい、CM出てるの?」

「んー、まぁ、事務所が手広くやってくれるから。」

「流石、人気モデル!!」

「もっと褒めて褒めてー?」

「うざっ!」


完全に潰れて、カウンターに突っ伏す私を挟んで、美香と永華の会話がぼんやり聞こえて来る。


そう、相手は今や人気モデルだ。


性別を公開していない、ミステリアスな魅力で人気急上昇しているらしい。


昔から、永華の美貌は桁違いだと思っていたけど。……ここまでとは。



近くで見るほどに、真珠のようにきめ細やかな肌。

薄くて、セクシーな薔薇色の唇。

ふわりと柔らかくウェーブした黒髪から覗く、神秘的な瞳。


女の子のような可憐さと

少年のような艶めかしさを持ち合わせている。



「うん?起きたの?」


私と目が合うと、にこりと無邪気に笑う。



この人に……私が勝てるはずないじゃん。



「うーん、もう一杯飲む!!」

「も、もうやめときなよー、莉子。

また記憶飛ばすよ?」

「いいの!!飲むしかないの!!」

「あはっ、一気、一気ー!!」

「こら、煽るな、永華!」



……もう、私なんかどうなったっていいんだから。



その日何杯めかも覚えていないビールを流し込んだ辺りで。



……私の記憶は途切れた。






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