お人形さんと僕
金澤流都
#1 遭遇
まず考えたのは「不法侵入?」ということだった。しかし僕は間違いなく、今朝アパートを出るときに施錠している。窓から入るにしたってここは地上四階だ。こんな可愛らしいお嬢さんが壁やら窓やらをよじ登ってきたとは思えない。
次に思い至ったのは「まゆの友達?」ということだ。「まゆ」というのはちょっと前に別れた彼女である。いちおう合鍵を渡して同棲していたが、まゆに渡しておいた合鍵はこの間大家さんに返した。
僕が玄関で混乱していると、その金髪に青い目のお嬢さんは僕を引っ掴んで家に引きずり入れた。部屋は明かりがついていて、僕は逆光だったそのお嬢さんの顔をハッキリ認識した。
本当に、ファンデーションとアイラインと口紅くらいのさっぱりした化粧に、冬には考えられないミニ丈袖なしの、やたら布の薄いオールインワンを着ていて、どうやら下着は着ていないらしい。だというのにスタイルは補正下着でも着たみたいにすらっとスレンダーで、手足はモデルのごとく長い。
それを見て電源が入るみたいに、そのお嬢さんの正体に思い至った。まゆにプレゼントして、まゆが出て行くときにうちに置いていったドールだ。
まゆはいわゆるサブカル女子といった感じの人で、趣味はドールだった。撮影機材を大量に買い込んだり、ドルショだとかドルミスだとかいうイベントに遊びに行くのが好きだった。ほとんどのドールを持っていった(ドールは高価なので)はずだが、僕がプレゼントしたこの金髪の、リカちゃんの高級品みたいな着せ替え人形だけ放置して出て行き、今朝僕はこの人形が放置されていると気づいて、出掛けに、
「捨てられたもん同士なかよくやろうな」
と、そう声をかけていったのである。
引きずりこまれた(そもそも僕の家なのだが)部屋の中には、夕飯が用意してあった。まゆが出て行く前は冷え切った夕飯をレンチンして食べ、まゆが出て行ってからはカップ麺を食べ、という食生活とはずいぶん違う、おいしそうなできたての手料理だ。僕はその金髪のお嬢さんに、
「あ、ありがと」と、そう答えた。
「キクヤ、あたしのこと好き?」
「え?」
唐突な質問だった。名前すら知らない女の子に、好きとかそんな感情を抱けるわけがない。でも嫌いだとも言えずに、椅子に座ったまま箸を持って考えていると、
「愛してるって言ってくれなきゃベランダから飛び降りて死んでやる」
と、お嬢さんは過激な発言をしてきた。なるほどこれがヤンデレか。僕は、単純に死なれたら困るので、
「あ、愛してる」
と、そう答えた。お嬢さんはニコッと笑って、
「よろしい」と、尊大な調子で答えた。その瞬間、僕の心に小さな明かりが灯った気がした。
「名前、なんていうの?」
「キクヤが付けてよ。まゆは付けてくれなかったから」
そうか、この子は人形だから、名前がないのか。僕はしばらく考えて、中学生のころ好きだった同級生の女の子の名前を拝借することにした。
「君は『鼎』だ」
「かなえ。かわいい」
お嬢さん改め鼎はニコニコしている。金髪碧眼なのに顔のバランスは日本人だ。でもカラコンとかヘアカラーの感じではない。
そして、僕は中学生のころの好きな女の子を思い出すという作業をして、冷え切っていた心が少し温まった気がした。
とりあえず鼎になにか着せなければ。タンスからジャージを引っ張り出して羽織らせる。鼎はぽあっと頬を赤くした。それから、いただきますと言っておいしそうな夕飯に箸をつけた。
きれいな彩りのサラダに、丁寧に作ったらしいハンバーグ。スープまである。まるでレストランの食事だ。僕の向かいの椅子にかなえは腰掛けていて、同じメニューを食べている。
久々に食べる人権のある食事は、とてもおいしかった。
「おいしい」
「うれしい」
会話のキャッチボールなんて久しくやっていなかった。
鼎は僕よりほんのちょっと早く食べ終えて、
「お風呂入る?」と聞いてきた。
「いや……シャワーでいいよ。もうすぐ日付変わっちゃうし」
「じゃあ先にシャワー浴びて、ベッドで待ってるね」
……?!
鼎は、初対面の僕と、寝る気なのか?!
僕がふたたび混乱しているうちに、鼎はバスルームへと消えていった。できない、そんなことできない。鼎はどう見てもハイティーンの女の子だ。それを30ウン歳のおっさんが抱いたらお巡りさんが来てしまう。
そんなことを考えているうちにドライヤーの音が聞こえてきた。
鼎は裸にダボダボのジャージを着て僕の横を通り過ぎ、ベッドに入ったようだった。
「ねーキクヤー、早くシャワー浴びてきてよ」
「い、いや、そう言われても、初対面の女の子と致すのは」
「全てのお人形さんはね、愛されるために生まれてくるんだよ? 抱いてくれなかったら窓から飛び降りて……」
「わかったから命を粗末にしないで」
諦めよう。悪い夢だ。明日の朝になれば寂しい一人暮らしに戻っているはず。
そういうわけで、シャワーを浴びてベッドに向かう。鼎がちょっと恥ずかしそうな顔をしていたので、なにも言わせず、そのいちごゼリーみたいな唇を奪う。甘い。ぎゅっと抱きしめると、折れそうに細い。耳に息を吹きかけられて、ゾクリとする。
そこから、囲碁や将棋でいうところの定跡通りに事態は展開し、次の朝僕は目覚まし時計を止めて、一人で寝ているにしてはベッドが狭いことに気付いた。
疲れたせいで見ていた幻覚だったはずの鼎が、僕の横で寝ていた。
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