空腹

伊可乃万

1『僕とドラゴンクエスト4』

 

 小学生5年生のとき、東京に引っ越してきた僕は都会に適応できず、重度の心因性喘息になった。そして世田谷区にあった国立小児病院に入退院を繰り返す日々を過ごしていた。そんな僕の子供時代に、ドラゴンクエストという国民的RPGは既に存在していた。


 喘息の発作が収まっていた頃、僕はお年玉を貯めてドラクエ4の発売日に家電量販店に購入に行った。だけど買う事ができなかった。とても悲しかった。


 今でこそゲームはダウンロード版という選択肢があり、パッケージが売り切れても購入する事ができるが、当時はそのような物は無く、ドラゴンクエストの発売日といえば大行列が出来る、そんな時代だった。


 量販店のゲームコーナーでは、沢山のファミコンソフトのパッケージやゲーム映像が流れたテレビ等が陳列されており、それを見ているだけでも僕は楽しかった。


 結局僕はドラクエ4の発売日から1ヶ月経っても購入する事が出来なかった。


 喘息に苦しむ僕にとって、ゲームは唯一の救いだった。ゲームを遊ぶ事でしか、病気の苦しみと孤独を紛らわすことができなかった。僕は悲しい小学生だった。


 ゲームを遊んでいるときだけは、喘息の苦しみも、東京に来て離れてしまった友達との思い出も忘れさせてくれたのだ。特にドラゴンクエストを遊んでいるとき、僕は勇者になれた。


 そんなある日の通院の帰り道。僕は母親とデパートのおもちゃ売り場に寄った。そこで僕は衝撃的な光景を目にしたのである。


 多くの量販店で全て品切れだったドラゴンクエスト4が、一本だけショーケースに飾られ、売られていたのだ。しかし、そこはデパート、勿論定価だった。


 僕はとにかく物欲しそうに、じっとショーケースに両手を置き、ドラゴンクエスト4のパッケージを眺めていたと思う。


 欲しい。


 遊びたい。


 でも高い。


 とても買えない。


 色んな感情が僕の心の中を渦巻いていた。


 そんなときだった。僕の姿を見ていた母は、何も言わず、女性店員に「そこのドラゴンクエスト4を売ってください」と言ったのである。


 僕は驚いた。


 決して裕福な家庭ではない。病院の帰りで、医療費も負担させている。定価は8500円。しかし、母は何も言わず、僕の方も向かず、そっと財布から一万円を取り出し、代金を支払った。そして袋に詰められたドラクエ4を受け取り、僕に笑顔で手渡してくれたのである。


 そのときの感情は、複雑だった。とてつもなく嬉しい気持ちと、子供心に親に対して申し訳ない気持ちが入り混じっていた。ただでさえ病気に苦しんで親に迷惑をかけているのに、こんなにお金のかかるゲームを、親の金で買ってもらって良いのだろうか。子供ながら、心は揺れていた。


 そして家に帰った僕は、母親に買ってもらったドラゴンクエスト4を遊び始めた。


 途中で何度もセーブデータが消えた。


 一回目は第一章のクリア直前というところだった。


 僕は絶望した。


 あんなに時間掛けてレベル上げしたのに、また最初からやり直しだなんて、無常すぎる、と。ただそのときはホイミンを仲間に出来ていなかった。


 洞窟でホイミンを見つけたが、どう見ても敵だと思った僕は、話しかけないように素通りし、その後、ひたすらやくそうを買い込んで塔でレベルを上げつつ、ライアン一人でピサロの手先とおおめだまを倒そうと奮闘していたところだった。


 冒険の書が消えて、しばし放心状態になったが、それでもドラクエに飢えていたので、僕は直に最初からプレイを再開した。


 再び第一章から始めて、今度は精神的な余裕もあったので、洞窟をくまなく探索していると、再びホイミンと出会った。多分カンダタのようなボスかもしれないと意気込みつつ、恐る恐る話しかけてみると、なんと彼を仲間にする事ができたのであった。


 そのとき、僕は本当に驚いた。


 まさかモンスター? しかも回復できるホイミスライムが仲間になってくれるなんて、と。


 僕はホイミンに感謝しつつ、再び塔に向かい、今度はホイミンと二人でピサロの手先とおおめだまの二体と子供ながらに激戦を繰り広げた。


 そして僕は見事第一章をクリアし、その後もライアンの冒険が続くのだろうと思っていたら、今度は突然章が変わり、操作キャラがおてんば姫のアリーナになっていた。

 子供の頃の僕にはオムニバス形式というゲームデザインが全く理解出来ず、「ライアンどこ行ったの? この女の子は誰?」と、ただひたすらに頭の中で疑問符を感じながら、第二章の冒険を始めた。


 冒険は順調に進んだが、ベロリンマンに中々攻撃が当たらず、苦戦した思い出が残っている。そして再び物語は終わり、今度は恰幅のよいオジサンを操作する事になり、僕は更に大いに戸惑った。


 しかも今度は敵がてつのよろいだのをガンガン落としてくれる、よく解らない冒険。子供の頃の僕にはわけがわからなかった。冒頭いきなり弁当を持たされ、武器屋で店番をさせられ、冒険者達に武器を売る仕事をしては帰る、ということを暫く繰り返していたように思う。


 もしかして、第三章は、このレイクナバとかいう街で武器屋になる話なのか? この武器屋の親父が実はモンスターで悪い奴で、懲らしめて、自分がこの武器屋の店主になる話なのか? と僕は考えていたのだが、物語はどんどん違う方向に進んでいったのである。あの自分を雇ってくれてた武器屋のオッサン、ただのいい人だったな、と思いながら、僕は遊んでいた。

 

 その後紆余曲折を経て第三章をクリアし、今度の第四章では綺麗な女性二人を操作する事になった。


 一番の驚きは、街を出て最初の戦闘になったときに、音楽が変わったことだ。


 フィールドに出た途端、これまでとは違った趣の音楽が流れ、戦闘が始まると、新しく刺激的な音楽が流れる。そのあまりの音楽の美しさに、僕は暫く聞き惚れていたのを覚えている。

 

 それから第四章をクリアし、ついに勇者を操作できるようになったときは、本当に嬉しかった。しかも自分が付けた名前である。やっと自分の番か、と思い、手探りで冒険を進め、僕はかつてないほどの大きな壁にぶち当たった。


 キングレオである。


 子供の頃、僕はキングレオに何度挑んでも全滅させられ、とてつもないトラウマを植えつけられてしまった。大人になってPS版のリメイクを遊ぶときも、キングレオ戦だけは子供の頃のトラウマが蘇ってきて、緊張する。


 とりあえず、マーニャがメラミを習得するまでは、ひたすらレベル上げしてるほどだ。


 ファミコン版でのキングレオは、ターン終了後にHPが50自動回復する仕様だっため、その回復量を上回るだけの攻撃をしていかないと、絶対に倒せないようになっていた。


 それを知らなかった防戦一方の子供の頃の僕は、キングレオのあまりのしぶとさに恐れおののき、「こいつ、まさかまた絶対に倒せない敵なのかな?」と酷く動揺した記憶がある。


 結局僕はひたすらレベルを上げる事にし、勇者のレベルを25ぐらいまで上げ、勇者、アリーナ、マーニャ、クリフトの4人でキングレオを力技で撃破したのが良い思い出だ。


 この経験からか、僕がドラクエ4を遊ぶときの基本パーティー、いわゆるレギュラーはこの4人に定着した。大人になった今もそれは変わらない。


 その後のバルザックも、エスタークも、天空の塔も、ラスボスも、基本この4人で全て攻略していった。


 そしてドランを仲間にしたときに、再び悲劇は起こった。


 お気の毒ですが・・・という例の奴だ。


 僕は再び絶望した。


 このファミコンのセーブシステムは、本当に子供泣かせだった。ここまでプレイしてきたのに、冒険の書が消えるなんて、残酷すぎると、またキングレオ倒さんといけないのか・・・と、僕は思わず部屋で一人ほろりと涙を流しそうになってしまった。


 それでも僕は諦めなかった。再び死ぬ物狂いで冒険を再開し、ガンガン進めていき、なんとか再びドランを仲間にするところまでやってきた。


 そして僕はついに宿敵の待つ場所へと向かい、ラスボスと戦い、勝利し、無事にエンディングを見ることが出来た。何度も冒険の書が消える、という経験が、皮肉にも、子供の僕を凄腕の戦略家、生粋のRPGプレイヤーへと育てあげていたのである。


 僕にとっての最大のラスボスは、冒険の書が消えること、だったのだ。


 そんな思い出のあるドラゴンクエスト4が、僕は全てのナンバリング作品の中で一番好きだ。


 ドラクエ4の勇者の物語は、圧倒的な絶望感から始まる。


 故郷をいきなり滅ぼされ、命を狙われ、最愛の人は命を落とし、勇者はいきなり一

人ぼっちになってしまう。そして勇者としての資質も力も未熟なまま未開の地に放り出され、孤独な旅が始まるのだ。


 はっきり言って、僕が勇者だったら耐えられない。


 それでも、ドラクエ4の勇者は諦めない。


 一人大地を力強く踏みしめ歩き、襲い掛かるモンスターをなぎ倒しつつ、ブランカを経由し、エンドールという国にたどり着く。


 そしてそこで勇者はめぐり逢っていく。


 「運命」という壮大な言葉によって導かれた仲間達と。


 そして最後は自らの故郷を滅ぼし魔王へと堕ちた者と対峙するのだ。


 だが、ドラクエ4の勇者は寛大だった。リメイク版では彼は魔王を改心させ、真の巨悪を仲間達と共に倒した。だが彼にも勇者としてではなく、人間としての意地はあったのかもしれない。


 彼はマスタードラゴンに天空で暮らすよう勧められるが、それを固辞し、人間界に戻る、という選択をした。天空城には自らの親と関係がありそうな人物もいたが、彼は待つ者など誰もいない故郷に戻る、という選択をする。


 仲間達が皆幸せな結末を迎える中、勇者の故郷は滅んだままだ。


 長い戦いの旅を終えた勇者は、廃墟と化した故郷の中央で、盾を捨て、肩を落とし、そして空しいほどに曇天の空を見上げる。


 そのとき自らの前に現れた最愛の人が、蘇ったのか、それともただの幻なのかは未だに解らない。


 ドラクエ4の勇者の旅は、歴代のシリーズの中でも一、二を誇るほどの壮絶さだ。


 ドラクエ4を通じて、僕が感じたことは、勇者とは、決して諦めない人間の事ではないか、ということだった。


 たとえどんな困難な状況に陥っても、絶望しか見えない世界だとしても、諦めない存在、諦めの悪い人間、それこそが勇者なのではないかと。


 諦める、という行為を諦めない限り、人は誰でも、何度でも、勇者になることが出来る。


 僕は子供の頃、ドラクエ4を遊んで、そう感じた。


人生に、詰みはない。

 

 僕の辞書に、ギブアップという言葉は存在しない。


 これまでも、これからも、僕は常に諦めず、試行錯誤を繰り返しながら、たとえ思うような結果が出なくても、地道に頑張って生きていきたい。それがドラクエという国民的RPGにどっぷり浸かって生きて、育てられてきた僕の生き方である。

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