第12話 慶應義塾大学日本拳法部における新セイバー・メトリクス

慶應義塾大学日本拳法部の場合もまた、学生一人一人が自分の身体能力・特長を活かした自分なりの日本拳法を創り出すことで、大学日本拳法を(個人的に)楽しもうという考え方のようです。


2020年・2021年の慶應義塾大学日本拳法部の試合映像(大商大VS慶應義塾大学)

大商大新聞部のYouTubeでの動画

https://www.youtube.com/watch?v=nm7zSmnaSxM 

https://www.youtube.com/watch?v=-QJJhHQdMK8

 慶応大学の拳法というか拳法の追求の仕方というのは、一種マニアック(凝り性)と言えるほど、自分(たち)の拳法を「作り出そう」とする意志が強い(と私は感じました)。

 良く言えば個性的、たまに行きすぎる人がいて、そんな人はナルシスト(自己陶酔)的なスタイルなんですが、見ている方は楽しめます。


 「自分の拳法・自分のスタイルを創造する」ことに、楽しみと意義と成果を見い出そうとする。優勝トロフィーという権威以上に、本当に自分で自分に満足できる域に達することに至上の喜びを得る。

ノーベル賞だのアカデミー賞だの、総理大臣賞だとかギネスといった「世間の承認」なんて気にしない。司馬遼太郎の名作「坂の上の雲」における主人公(たち)のように、(学生時代は)白い雲だけを見てひたすら坂を上る(勉強する・部活する)ことが許される(学校)環境というのは、幸いかもしれません。


 つまり、私の大学時代のようにアルバイトだの女の子だの、雑念ばかりで学生時代に余計なことばかりやっていた人間は、たとえ私にいくらカネがあっても頭がよかったとしても「慶応ボーイ」にはなれない、ということ。

 俗に「エエとこのボンボン」とか「お坊ちゃま」といわれる人間というのは、小学校・中学校・高校・大学と、その時の「やるべきことだけをやれば生きていける」環境にある人のことであって、金持ちとかいうことばかりではないのです。

<もう一つの早慶戦>

最近の早稲田大学日本拳法部というのは、やたらと警視庁とか自衛隊といった権威や権力の殻に包(くる)まることで、自分たちの存在感を確保しようとしているように見える。

内なる自分が自覚するのではなく、人に向かって誇示することで自分の存在を確信できる。これが彼らの存在感の証明というスタイル(だというのが、最近の早稲田を見ての個人的な感想です)。

40年前は、(いい意味で)もっと単純にスポーツ・武道としての大学日本拳法をガンガンやって(楽しんで)いた、という気がするのですが。

一方の慶應義塾大学日本拳法部とは、自分たちそのものの行動力・行動形態(スタイル)、そして心の一致・一体感によって、自分自身で自分の存在感を自覚することに喜びを見い出そうとする(ように私には見えます)。

これが行きすぎると「ナルシスト」になるのですが、観客として彼らを見る立場からすれば、「大いなる自己満足」という(無邪気な感じを受けて)楽しめます。

まあ、早慶両校の体質の違いであって、良い悪いはないわけですから、その違いでも楽しませて戴きましょう。

<他大学日本拳法における新セイバー・メトリクス>

  そんな行動形態・心的存在感の自覚という点に於いて、慶應義塾大学日本拳法部ほどナルシスト的臭みがないのが、立教や青山・関東学院といった学校です。


偶然にも皆ミッション系ですが、大学の雰囲気として「神の目線」という、格段に大きいものの見方・感性というものがあるのかもしれません。

明治や早稲田のように、「優勝とか入賞に執着する」ことを楽しみにする学校の体質とはかなり離れた心的環境にあるのかもしれません(慶應や立教・青学が優勝を狙っていないと言うことでは、決してありません。青学・立教女子は関東では常に優勝争いをする2強です)。

 <みんなで空(そら)を見る>

大学日本拳法ワールドにおける「心のセイバー・メトリクス」。

今回(2023年夏)、甲子園で優勝された慶應義塾高等学校野球部の面々は「天を仰ぐ」「空を見る」ことで、400年前にかの宮本武蔵がその著「五輪書」で吐露した「空の心」という、いわば、武蔵の剣のみならず人生を貫く極意とも言うべき哲学・理想とする境地を、私たち現代日本人の前で体現してくれました。

彼らの野球の技術云々よりも、5万人の大観衆、60パーセントの視聴率という衆人環視の中で、無限に広がる天空という鏡に自分たちの心を写すことで、9個の点を線とし・面となし、堂々と自分たちの哲学(行動理論)を現実の行動(結果)として披瀝してくれたことこそ、彼らが真の(そして、新しいタイプの)英雄であるという確かな証左といえるでしょう。

<目に見える数値も図解も方程式もない「心のセイバー・メトリクス」>

大学日本拳法の世界に於いても、従来のパワー拳法という拳法の楽しみ方では掬(すく)いきれない(充足できない)純血日本人の豊かな心を網羅しようと、東の立教・青学・関学(関東学院)、西の関学(関西学院)という幾つかの大学日本拳法部が、それぞれ独自の個性とポリシーをもとに、「心のセイバー・メトリクス」心で楽しむ大学日本拳法という次元で戦っています。

(本気で思いっきりぶん殴る)真剣勝負の大学日本拳法を通じ、真剣に人を育てるという徳育と、これを伝統として継承する楽しみを身につけようという、まさに体育や知育だけの中高大学教育での不備・不足の解消を実践する立教大学。

大学日本拳法という、本気で思いっきりぶん殴る超現実的な格闘技を通じて、シュール・リアリズム(超現実)的感性と知性を掘り下げんとする青学式セイバー・メトリクス拳法。

完全なる民主主義・自由主義の部活の中で、監督のポリシーが徹底的に生徒たちに染み渡る。まさに、今回の慶應義塾高等学校野球部のケースと同じで、監督と部員が一緒になってスポーツを楽しもうという、従来のスポ根スタイルには見られない、明るさと自主性と知性による個性と総合力の発揮(融合)を目指す関東学院大学。

パワー拳法の見た目に派手なスタイルに対抗し、地味な攻撃スタイルで確実に勝利を得ようとする、野球におけるセイバー・メトリクス的な拳法を追求することで、選手もマネージャーも日本拳法を通じて科学的な心を身につけようとする大学。

具体的には、超高速で且つメガトンパワーのあるパンチで勝とうとせず、その3分の1のパワーとスピードで、しかしながら後拳の本数はパワー拳法の3倍打ちまくることで、勝機の機会を増やし、勝利の得失を担保していこうとする、関西学院大の新セイバー・メトリクス拳法。

おもしろいのは、彼らは決して日本拳法そのものを疎かにしているわけではない、ということ。

立教と青学の女子は関東では2強と言われる強豪校だし、関西学院大は2022年の全国大会では、女子は優勝、男子は準優勝という、日本拳法の結果も出しています。

また、10年間も鳴かず飛ばずであった関東学院大は、2022年の全日本(全日・府立)で関東税としてなかなか超えられなかった2回戦進出を果たしました(日本大学も一回戦突破)。

ハードウエアとソフトウエア両面に渡る「新しい波」「新次元の開拓」は確実に「在来種純血日本人的なる人々」によって現実に行なわれているのです。

各人の存在感の自覚 → 全員での一体感の獲得 → (個人・部を超えた)より普遍的な平等思想の追求。

① 個性的な日本拳法で楽しむということでは慶應義塾大学日本拳法部の拳法

② 心の個性を4年間で浮き彫りにすることで、その存在感(個性)を互いに実感しようとするのがインディーズ系。

という感じでしょうか。


2023年9月9日

V.3.1

平栗雅人

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