第2話 風の中で

 リムは船尾のデッキにいた。手摺に肘を付き、体重を預けるように腰を折り曲げている。手にはキーラから借りたスマートフォンを握っており、スマートフォンから伸びたイヤホンは異世界の音楽を耳に流し込んでくる。キーラとの出会いのきっかけとなった異世界のアイテムは、今やリムのお気に入りの一つとなった。

 秋が深まり空気が澄んでいる。夏のやかましいムードが苦手な彼女にとっては、優しい季節の移ろいはありがたかった。走行中の船舶ということもあり、通り過ぎていく風はとても爽やかだった。涼しい風の中に身を置き、ただ時が流れるに任せる。楽しい思い出が少ないリムの、数少ない癒しの時間だった。しかし、今のリムには軽快な音楽も心地よい風も上滑りしていく。

 遠ざかる街並みを眺め、思わずため息をついた。勝手なもので、むさ苦しい季節が遠ざかり嬉しいはずなのに、一抹の寂しさを覚える。それは、燃えるような熱気が徐々に影を潜め、衰退的なものを感じてしまうからだろうか。

 なびく髪が少しうっとうしく、指先で梳いた。指先に絡みつく髪は、今の自分の心情を表現しているように見え、意識して手を下ろした。


「…………」


 自分の直感は見事に的中し、キーラがグニーエ・ハルトまで繋げてくれた。それ自体はよかったと思っているし、後悔もしていない。しかし、ひとつの憂いがリムを落ち込ませていた。まるで、指先に刺さった小さな棘だ。

 彼を戦いに巻き込んでいいのだろうか?

 凄まじい魔力の持ち主ではあるが、戦闘に関しては危うい場面が何度もあった。なにより、戦う理由がない。異世界からやってきたという奇妙な話を聞かされたので、強引にグニーエと関連付けたが、彼を元いた世界に帰す方法をグニーエが知っている保証はない。いや、そもそも、そんな方法があるかどうかも判然としない。

 しかし、一方ではキーラがこの世界に来たのは、やはりグニーエの仕業ではないかとの推測も捨てきれないでいた。ディビドの遺跡で発したタバサの言葉を反芻してみる。彼は、グニーエがキーラを知っていると言ったが、本人にはまったく心当たりがないらしい。

 万が一、グニーエがキーラを帰す方法を知っていたとしても、彼を徒に危険に晒すのは自分のエゴではないのか。すべての決着がついてから、聞き出せばいいのだから。


「…………」


 チグハグな思いは重石となり、リムに迷いを擦り込んだ。

 背後に人の気配を感じた。慌ててスマートフォンをポケットにしまった。一人になりたくてこんな所にいるのにと、少しばかり苛つきながら振り返ると、ズィービッシュがニヤけて腕を組んで立っていた。リムは少しだけ面食らった。


「隣、いいかい?」

「いいわよ。もう戻るところだったから」


 とっさに嘘をつき、ズィービッシュの横を通り過ぎようとしたが、ズィービッシュは腕を伸ばして通せんぼをした。

 リムは、じろりと睨めあげた。


「そうつれない態度とるなよ。話しときたいことがあるんだ」


 リムは、このズィービッシュという男が少し苦手だった。嫌いというのではない。相性が噛み合わない。

 黄昏に沈んだ街で家族を失い、真相を明らかにしようとする彼の姿勢に偽りはないのだろうが、全体的に軽薄な感じが拭えない。しかも、緊張感を纏った軽さだ。それは自らを鼓舞するための演技だ。常日頃から必死に虚勢を張っている。体に染みついて、弱さを隠していることに自分が気づいていない。常人になら通用するだろうが、本物の敵意を持っている相手には通用しない張り子の鎧だ。兄妹二人で必死に生きているうちに自然に身に付いた処世術だろうが、リムは気に入らなかった。


「なに? 手短に済ませて」

「キーラのことさ」


 リムは、思わずズィービッシュの目をまともに見返した。ズィービッシュからは、先程まで浮かんでいたニヤけが消えていた。



 話があると言いながら、ズィービッシュはなかなか口を開こうとはしなかった。産まれては砕ける波に目をやりながら、どう切り出そうか考えている様子だ。

 リムは、それが分かったから急かすような真似はしなかった。


「……キーラとは、どういった経緯で一緒に旅することになったんだ?」


 意を決したズィービッシュは、やっと喋りだした。リムが無言だったので、ズィービッシュは質問を重ねた。


「君が持ち掛けた話なのか? それとも彼から近づいてきたのか?」

「遠回しな言い方はいらないから、言いたいことをはっきり言って」

「ん……」


 リムの素っ気ない言い方に、ズィービッシュ再び流れる景色を眺め言葉を探した。


「……芸術家にとって、一番の武器ってなんだと思う?」


 リムは眉を寄せた。


「さっきより話が遠くなってる気がするけど」

「いいから。何事にも順序ってもんがある」

「……器用な手先とか?」


 リムは答えたが、ズィービッシュは首を横に振った。


「違う。目だ。この世のあらゆる事象を正確に分析できる観察眼だ。だから分かる。発掘現場の森でおまえたちに初めて会ったわけだが、あの時、一番やばいと思ったのはキーラだ」

「やばい?」

「ああ。一見大人しそうだが、あいつは条件さえ揃えば、躊躇なく人殺しができる奴だ。心の奥底に漆黒を飼っている」

「まさか……。あの臆病者が」

「今まで、何度も危機的状況を潜り抜けてきたんだろ? あいつは臆病者かも知れないが、小心者じゃない。追い詰められたら、心の奥底に飼っている獣を解き放つ危うさがある」


 リムは反論しなかった。できなかった。思い当たるフシがあったからだ。ホダカーズを脱出する際、彼はトートゥで保安官を撃ち殺そうとした。しかし、あれは追い詰められたからであって、躊躇なく人を殺せるというのは……。

 黙り込むリムに、ズィービッシュは追い打ちを掛けた。


「あいつとは別れた方がいい」

「馬鹿言わないで。キーラは、この旅には必要よ」


 先程まではキーラを巻込むのに迷っていたのに、リムの口からはつい拒否する言葉が出てきた。


「グニーエにたどり着くために必要だったんだろ? 手掛かりを掴んだ以上、もうあいつは必要ない」

「…………」

「おまえが言いづらいなら、俺から言ってやってもいい」

「余計なことしないでっ」


 リムは、声に凄みを含ませた。


「そんなこと、あんたが考えることじゃない。つい先日から同行するようになったあんたが、言うことじゃない」


 リムは、つい感情的になってしまった。

 ズィービッシュは、やれやれという感じで首を傾げた。


「分かったよ。無理じいするつもりはない。ただ、忠告はしたからな」


 ズィービッシュは、リムとは対象的に仕事の引き継ぎみたく無感情に言うと、船内に戻るのか、踵を返した。しかし、すぐに歩き出さない。


「?」

「……なあ、そのポケットの中にある黒い板のようなもん……」


 ズィービッシュが言い掛けた台詞に、リムはぎくりとさせられた。そして、自分の迂闊さを罵りたくなった。いくら気が弛んでいたとはいえ、人の目に触れられて良い物ではない。


「……それって、キーラの持ち物だろう?」


 リムは、再度ぎくりとした。自分の迂闊さを棚に上げ、キーラの用心のなさに舌打ちしたくなった。そして、それ以上に、武器は観察眼と言うだけあるズィービッシュの注意力にも。


「……だから、なに?」

「…………」

「?」


 リムがどきりとする質問を投げておきながら、口が重たいズィービッシュの態度は、不快感を通り越して、不信感さえ誘った。


「……いや、なんでもない」


 結局、ズィービッシュは言葉を濁したまま行ってしまった。リムは、ズィービッシュが去った後もしばらく船内に続く扉を睨んだ。


「なんなの?」


 もやもやした気持ちを消化できないまま、再び遠くに視線を投げる。ズィービッシュが立ち去った後も、リムの感情は波立ちが治まらなかった。まるで眼下の川面のようだ。ズィービッシュに対してではない。自分のはっきりしない気持ちにだ。

 さっきまではキーラを巻き込んでいいのか迷っていたのに、第三者から別れろと言われたら、それを拒否する。こんなに煮え切らないのは初めてのことだ。

 キーラとはいずれ別れる。彼はワタシから離れていく人だ。


「べつに……、今までずっと独りだったんだから……」


 リムは、敢えて口に出した。

 先程は心地よかった川風が、急に身に染み込んでくるように感じた。

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