あまい匂い

高山小石

あまい匂い

 私は妙に鼻がいい。フェロモンを嗅ぎ分けられるのだ。

 目に見えないし、どこから出ているのかもわからない匂いだけど、確かにある。

 そんな力説しなくても知ってるって? じゃあ、そのフェロモンの匂いを嗅いだことがある? どんな匂いか説明できる?


 フェロモンには顔の良し悪しに関わらず、良い匂い、悪い匂いがある。もちろんこれは私の主観だけどね。見た目がステキな男性、かわいい女性が必ずしも良い匂いとは限らない。良い匂いだとそれだけでうっとり。悪い匂いだとそばにも寄りたくない。それは体臭だろうって? いいえ違う。体臭とは別にちゃあんとにおうのよ。


 気になる匂いのほうは、例えるなら……そう、果物みたい。もちろんオレンジの匂いってわけじゃないの。オレンジでも皮をむく前。木になっている状態でもほのかに香るわよね? あんな感じ。まぁそれが、熟してたり腐ってたりするんだけど。爽やかな中に甘みを感じさせるような、そんな匂い。


 私がこれまでに見つけた法則は『違う匂いのほうが仲良くなりやすい』ってこと。特にカップルで同じ匂いって、まずないのよね。


 私と私の彼も全然違う。でも、彼の友達ケンとミサのカップルは彼とよく似ている。三人とも同じような珍しくいい匂いって不思議。実は仲が悪いんじゃないかと疑っていたんだけど、年に何度も一緒に旅行に行くほど仲良しらしい。


 それで今回の旅行に私もご一緒させてもらった。本当に仲がいいか確かめられるじゃない? っていうのは建前で、彼と旅行に行けるチャンスを逃したくなかっただけだったり。


「カオリ、見えてきたよ」


 今にも降り出しそうな空の下、昼間でも暗い山中に、小さな小屋が顔を出していた。


「やっと……着いたのね……」


「とーちゃーく」


「お疲れ、カオリちゃん」


 山登り初心者の私は、途中から話すこともできなかった。

 そんな私と、私の荷物を持ってくれている彼をおいて、ケンとミサは競い合うようにして小屋の入り口に走っていく。


「なんで、そんなに、元気なのよ」


 彼は優しく笑った。


「慣れてるからね。カオリもすぐ慣れるよ」


「だと、いいけど」


 息切れ激しい今の私にそんな自信はまったくない。


 小屋に入ってみんなで温かいコーヒーを飲んでいると、突然バラバラとすごい音が鳴り出した。窓にもバケツをひっくり返したような大粒の雨が打ちつけている。


「良かったなぁ、間に合って」


「ほんと、間一髪だったわね」


 ケンとミサが話している。


「……大丈夫よね?」


「このあたりの地面はしっかりしてるし、土砂崩れはしないよ」


「ならいいけど」


 こんな天気に山登りなんて、おかしくない?

 道中何度も飲み込んだ問いを、私はまた口に出さなかった。経験者が三人もいるんだから大丈夫に決まってる、と自分に言い聞かせる。


「カオリ、一緒にご飯作りましょ」


 ミサと台所へ入った。外見はほったて小屋みたいだったけれど、中は意外としっかりしている。気の置けないミサと話しながらカレーを作っていると、不安もどこかへ行ってしまった。


「あっ、コーヒー切れそうなんだった。ストックは外の小屋なのよ。取ってくるからカオリはカレー仕上げといて」


「雨がやんでからでいいじゃない」


「ダメよぅ。せっかくカオリが来てくれたのに。それに真っ暗になってから外へ行くより、今行くほうがマシでしょ?」


 ミサはウィンクして行ってしまった。


 それから……それから帰って来ない。


「俺、見てくる」


 そう言って出て行ったケンも、帰って来ない。

 とっくに日は落ちて、止まない雨音の中、冷めたカレーの匂いだけが小屋を満たしていた。


「ねぇ、私を脅かそうとしてるんなら、もうやめて。二人に帰って来るように言ってよ」


「せっかく二人きりになれたのに?」


 彼に抱きしめられて私は少しほっとする。


「やっぱりドッキリだったのね。だけど私、こんな二人きりは、イヤな、の……?」


 近づいて気づいたけれど彼の匂いが違う。うなじに鼻を寄せてもう一度確認する。


「あなた……誰?」


 彼に似た人は、私を抱きしめたまま言った。


「人間って、自分にない遺伝子をフェロモンで感じ取るんだってね。より優秀な遺伝子を残すために。カオリ、僕らの匂いはどうだった?」


 怖くて逃げ出したいのに力強く抱きしめられて動けない。私の背中にミサとケンの声が近づいてきた。


「カオリはとてもいい匂いよ」


「とっても美味しそうな」


「たまらなく、あまい匂い」


 彼にガリッと首筋に歯をたてられ、痛みと恐怖で悲鳴を上げようとした口から出たのは違う声だった。


「ひゃ……んぅ」


 まるでいきなり酔いがまわったみたいに頭がぐらぐらする中で、三人の匂いを今まで以上にはっきりと感じた。同じ匂いが近くから、おそらく自分からもただよってくるのがわかった。


「これで僕らの仲間だよ、カオリ」


「これからは一緒に狩る側だ」


「楽しみましょうね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あまい匂い 高山小石 @takayama_koishi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説