第57話行動の対価

「私は物理教室へ戻ろうと思うのだが、ついてくるか?」


 ジンジンと痛む頬をさする。でも、磯崎先生はまるで他人ごとのように話し続けてきた。


「次は袋叩きにするつもりですか?」

「相変わらず減らず口が多いし、図太いな」


 このまま帰ったところで寝るだけ、そう思った俺はとりあえず歩き出す先生の後をついていく。


「数ヶ月前、お前のように彼女へ聞いたことがある」


 道中、先生は誰かに聞かれても問題ないように話し出した。


「彼女は自分の行動が及ぼす結果を理解してなお、続けることを選んだ」

「ならその時に、先生の性格も見抜かれた訳か」 


 『手伝って貰おうとして断られた』なら俺が先生に言おうとした時の反論にピッタリ。

 でも、香月は言わなかった。

 それはつまり彼女は最初から手伝う気がないことを見抜き、頼むことすらしなかったことを示す。


「まぁ、君と違ってサラサラない人ってことはすぐ理解していただろうさ。君と違ってね」


 わざとらしく2回言って強調しながら磯崎先生は鼻で笑う。


「はぁぁ、先生なんて仕事はクソだ、クソ」


 そして突然ため息を吐いたかと思えば、階段の手すりに寄りかかり、


「君は1年で初期化されるソシャゲにのめり込めるかね?」


 と同意を求めてきた。

 明らかに一年周期に担当クラスが変わったり、クラス替えで生徒が変わることを比喩している身も蓋もない例え。


「まぁ、ゲームなら死んだら装備もレベルも引き継がれず、やり直しするローグライクは嫌いですね」


 だから経験回数が高くなるにつれ、問題が起こらない最適行動を取ろうとする点も似ている例えで返した。


「理解あるな、叩いたことは謝ろう」


 跳ねるように身体を手すりから剥がすと、先生は再び歩き出す。

 そしてアルコールの匂いが充満する物理教室へ入ると、


「それで……そんな善行をして君は何を得た? より嫌われただけじゃないか」


 本題とばかりに聞いてきた。


「その前に、なぜそこまで質問するんです?」


 すぐには答えず聞き返す。

 すると、先生は椅子に座りなんてことのないように手を振る。


「純粋な知的好奇心だよ、化け物がどんな思考をしているのか興味深いだろう?」


 物理教室でよく見かける逃げやすいように背がない木製の椅子を引き出し、俺は先生の目を見つめた。


「先生は一つ大きい勘違いをしている。あれは善行じゃない、間違いなく偽善だ」

「————っは、っふはは、いや、そうか、そうだよな」


 そして過ちを指摘すると磯崎先生は我慢できずに吐き出したように笑いはじめ、


「もっと嫌われなくてもいい偽善がある中、わざわざそれを選ぶとは不器用な奴だな」


 目から流れた涙目を指で拭き取り、空いた手で我慢できずに台を叩く。


「それでぇ、お前が偽悪と知っているのは何人だ? 香月だけか?」

「まぁ、手伝って貰った6人ですよ」


 その数字を聞いた先生はさらに「6、6かっ」と口元を押さえ始める。


「最初に比べれば成長とも言えるがっ! こんな嫌われるなんて割に合わなすぎるだろッ」


 これでも実行した時は結構歯痒かったのに面白がり、馬鹿にする態度。


「そうっ、眉を曲げて不機嫌になるなって」


 お詫びのつもりか、ひとしきり笑い終わった磯崎先生はカロリーメイトを一つ投げ渡してくる。

 こんなものでこの人は他人の機嫌が良くなると思っているのか?


「何事も大事なのはアピールする事だ。本心は別としてな」


 初めから先生は謝罪の気持ちがあると思わせるためだけに投げたのだと理解した。

 スムーズな会話や関係を続けていくために。


「なんですかこれ、サイコパス講座か何か」

「心外だな、君が幸せになれるよう教えているんじゃないか……まぁ、もう遅いかもしれないが」


 もう遅い、その言葉の意味が理解できずに俺が小首を傾げ。


「正義執行、因果応報」


 磯崎先生は指でトントンっと一定のリズムで台を鳴らし、後は分かっているんだろ、と言いたげに俺を指差す。


「君は停学」

 

 

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