第17話雪宮 蒼は狂戦士


 そういえばさっきまでそばにいた柄山はどこ行ったんだ、と思ったら自分の席に戻って壁の壁の方を見つめていた。

 その姿はまるで自分の存在を出来るだけ消そうとしている小動物のようだった。

 制服を直し終えられたのに未だ眠そうにボケーっとこちらを見てくる雪宮がそんなに怖いのだろうか。


「ぼっちあんまり見ない方が……」


 その上、片桐までもが小声で言って来る……流石に何かヤバいことがこれから起こる気がした俺は目を逸らした。


「ねぇ、頭がやっと冴えてきたんだけど……ぼっちくんさっきウチの胸見てなかった?」

 

 いつの間にか耳元で聞こえてくる身の底から凍えるような声に思わず身体がビクッと跳ねる。


「み、見てない」


 事実、前傾姿勢で膨らみが見える前に目を逸らしたのだから本当だ。

 そして同時に柄山が逃げた理由も理解した。なるほど、意識が覚醒した後に難癖をつけてくるからか。


「……せて」

「っえ?」


 耳元という近さでも僅かに聞こえる程度の音量で言われた言葉に思わず俺は聞き返した。


「胸を、見せて?」


 もう一度は言わないよ、とでも言うかのような笑顔を雪宮は向けてくる。


「……なんで?」

「あぁ、雪ね。男の胸で興奮するタイプなの、寝起きだと理性も弱くなっちゃってね……だから見ない方が良いって言ったのに」

 

 質問を投げかけると片桐が丁寧に答えてくれた。

 でも違う、そんな性癖を聞きたかった訳じゃない。それに片桐が言った時には既に手遅れだっただろ、なんで事前に言ってました感を出してんだ。

 なんで見てもいない罪でこっちまで恥部を曝け出さなければいけないんだ。


「ぃ――」

「ちなみに見せなかったら殴られる」

「……なんで?」


 ニッコニッコの雪宮へ拒否の言葉を伝えようとした俺は片桐を二度見した。


「殴られる」


 もしかして聞き間違いかな、と思っていると片桐が真顔でもう一度言ってくれた。冗談ではないようだ。

 胸を見せなかったら殴ってくるって言葉だけ聞いたらグレーどころか、アウトじゃないですか。


「……絶対に殴ってくるのか?」

「うーん、どうだろ。もしかしたら殴られないかもしれない」


 なんだ、確定じゃないのか。人間は話せば話すほど大袈裟に言ってしまう生き物だしな。

 それにビビる必要はない、どうせ殴るって言ってもビンタだ。俺は純情を守ろう。


「ここにいる男子全員殴られただけだから」


 ……それ絶対アウトじゃないか? 全員って7人ぐらいいるけどつまり全員やられたってことですか。そりゃ、男子全員が壁の方を向いてる訳だ。


「それ、拒否したら絶対ビンタされるじゃん」

「ビンタ? ぼっち殴られるんだよ、グーパングーパン」


 ……女の子特有の比喩で軽いビンタを殴るって言う奴じゃないのか?


「もしかして、全力で殴られるのか? 拳で」

「理性がないからね」


 もう、どこぞのバーサーカーじゃないか。

 考えてみたらそりゃそうですよね、理性が弱くなってるから性癖が全面に出て来ているわけだし、お淑やかにビンタとかもある訳がない。


「……まぁ、いいよ」


 少し大胸筋を見せれば全力で殴られないのなら見せればいい。そう判断して、俺は胸のボタンを外して肌着をズラして見せた。

 何を言われるのかと恐る恐る視線を上に向けると、雪宮は先ほどまでのニコニコ顔はどこに行ったのやら蔑むような目で見下していた。


「は? なにマジで胸見せつけてんの? キモイんだけど」


 ……なんで?


「っあ、意識が完全に覚醒したみたい。おっはー」


 なんなんだよ、お前。見せなければ殴られるって言うから見せたのに、見せたら見せたで蔑まれるのか。

 ろくな死に方しない悪役令嬢でもそんなことしないぞ。


「おはー。ぼっちくんさ……いくら殴られるからってそう簡単に身体見せない方が良いと思うんよ、ウチは」


 雪宮は片桐の挨拶を軽く返しながら隣の席に座って他人事のように話しかけてくる。

 さっきまでハチャメチャに乱れてた奴の言うセリフじゃないだろ、そう心の中で文句を言いつつ俺は服装を静かに元に戻す。


「ぼっち中学の時なんか部活入ってたの?」

「何も入って無かったが……」


 片桐が不思議そうに納得のいかない表情をしていた。筋トレしているだけだが、部活入っている奴のような筋肉がついていたのだろうか。


「そういえば……なんで片桐ぼっちくんの前に座ってんの? 幼馴染みたいだし仲良かったわけ?」

「ううん、仲最悪だよ。ぼっちは私の事大っ嫌いだし、ねぇ?」


 同意を求めるように片桐が笑ってパスを回してくる、嫌なタイミング。

 だが、罪悪感とか気まずさで好意的な言葉を引き出したいのなら無意味だ。


「まぁ、好きではないのは確かだ」

「だからね、せっかくもっかい会ったんだし仲を良くしようかなって。ちなみに雪のことは?」


 片桐が手のひらを雪宮に向けながら聞いてくる。

 人間が一番してはいけない質問って父親と母親のどっちが好きとか、誰々と自分は、とかそうゆう人と人を比べて必ず誰かを不幸にする物だと思うんだがなぁ。


「苦手」

「ふーん、まぁテニスの時に怒鳴ったしね」


 機嫌が悪くなるかなと思ってたら俺の回答は想定通りだったのか、特に気にすることのないように雪宮は流してくれる。


「でもウチはぼっちくんが皆の前で謝ったの凄いと思うから嫌いじゃないよ」


 純粋無垢な笑顔で雪宮がペラペラと平気で傷つくことを言ってくる。そうだよな、陰キャ嫌いって言ってたもんな。

 ん?

 じゃない? 

 嫌い……じゃ……ない? 

 ――お前嫌いじゃなかったのかッ?! 

 片桐も同じように驚いたみたいで「っえ」と小声を漏らす。


「……っぇ、だって普通に凄くない? だって皆の前だよ? ウチ絶対無理だし」


 思わぬ発言に二人して驚いていると、空気を変えるように教室の扉が開いて先生が入って来る。


「保知いるか? 保知、っあ、いたいた。お前、部活入らないか?」

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