第1章
第1話 置き去りにされました
「うぃーす」
「よお、通知表どうだった?」
「最悪、ババアにクソ怒鳴られた」
「ねえねえ、昨日の配信見た?」
「見た見た。あのコスメすっごい可愛かったよね!」
「帰る途中に見に行かない? お姉ちゃんがバイトしてる店に置いてあるんだって」
ホームルームが始まる15分ほど前。
俺のクラス、2-Bの生徒たちは思い思いにくだらないことを喋りながら、教師がやってくるのをやや浮かれた気分で待っていた。
今日は夏休み前最後の登校日。
これから行われるホームルームと終業式を終えたら、その後は皆が待ち望んでいた夏休みだ。
中には高校受験のため今年の夏から塾通いで憂鬱な者のもいるだろうが、大半の生徒は思うがまま遊べると受かれている。
そんな光景を尻目に、俺こと伊織修は一人日課のソシャゲ周回に勤しんでいた。
俺は2週間ほど前にこの学校へ転校してきたばかりで、友人と呼べるような者はまだできていない。
クラスメイトの方も俺とどう接したらいいのか分からないようで、無視されているというわけではないが微妙な距離感ができてしまっていた。
――夏休みに入ればこの微妙な空気からも解放されるだろう、そんな風に考えていると。
「きゃあっ!」
「ぐ、クソ……!」
突如、俺を含めてこのクラスにいる全員が悶え苦しみ始める。
さっきまでくだらない雑談を繰り広げていた生徒は全員立つことすらままならず、その場に崩れ落ちてしまった。
ある生徒は助けを呼ぼうとドアへ這いつくばって進もうとしたり、また別の生徒はスマホを取り出そうと試みるが頭痛と目眩、そして圧迫感によって地面に押し付けられて失敗してしまう。
一体何が起きているのかと困惑していると、チョークが勝手に動き出して人の姿をした影のようなものを教室の黒板に描くと、何処からともなく男とも女と思える声がチョーク人間の動きと連動して聞こえてくる。
『手荒な真似をしてしまって申し訳ないね。
それでもこうでしないと君たちは話を聞いてくれそうになかっただろう? だからまあ頑張って耐えておくれ』
表情は見えないが、チョークで描かれた人のようなそれはそう言って悶え苦しむ生徒たちを嘲笑う。
『さて、それじゃまずは自己紹介から始めようかな。僕/私の名前はアシェラ。君たちを異世界へ導く案内人さ」
異世界、その言葉を聞かされて何人かの生徒は何処か喜んだ様子を見せ、何人かの生徒は戸惑い、そして何人かの生徒は必死にこの状況を打開しようと試みる。
一方アシェラはそんな彼らをガン無視して話を続けていく。
『まずはおめでとう! この教室にいる君たち25人は世界を救う勇者に選ばれました!』
ん、25人? おかしい。今日は欠席者はいないはずだから、この教室には俺を含めて26人いるはずなんだけど……。
『君たちは頭痛や目眩を感じただろう? あれは君たちにスキルやステータスが宿った証拠だ。それがないと君たちがこれから行くことになる世界では到底生き延びられないだろうからね』
アシェラはそう言うと、今度は何処からかコピーしてきたのだろうこのクラスの座席表が書かれた紙を手に取り、それを俺たちに見せつけてくる。
『さて、この紙に書かれた者は例外なく異世界へ飛ぶことになる。その世界ではこれまで体験したことがない脅威や凶悪な魔物が君たちを待っているだろう。それらの困難を乗り越え、世界を救う勇者になってね。それじゃ!』
そう言って声は途絶え、黒板にチョークで描かれた人の姿も霧散してしまう。
あとに残されたのは圧迫感から解放された俺たちだけ。
「くそ、くそ! なんで開かねえんだよ!」
「嫌よ! わたしをお家に帰して!」
生徒は一斉に教室のドアに群がるが、どういうわけかそれらは全く動こうとしない。
そうしている間にも天井には光輝く巨大な魔法陣が出現し、俺たちを飲み込もうとゆっくりと下降してくる。
一方、俺はアシェラが見せつけてきた座席表について考えていた。
見間違いでなければあれは新学期のクラス分け直後に発表されたものだ。現に俺の名前が書かれていないし、日付の部分も4月となっている。
そうすると奴は俺のことを認識できていないのではないか? 仮にもしそうだとしたら、俺はこれからどうなるんだ?
などど考えている間にも魔法陣は下降を続け、そして――。
◇◇◇
「ここは……」
目を覚ますとそこは病院の一室と思わしき場所だった。
どうしてこんなところで寝させてられているのかと考えていると日本人の医者に見える白衣を着た男が視界に入る。
白衣の男は胸のポケットからペンライトを取り出すと、光を俺の目に当てて何かを確認する。
「目眩や頭痛はある?」
「い、いえ、大丈夫です」
「それはよかった。だけど万が一があるかもしれないから2、3日は検査入院してもらうからね」
「えっと。ところでここはどこの病院ですか……?」
異世界と聞いてまずイメージするのはゲームやラノベに出てくる中世ヨーロッパ風なものだが、あのアシェラとかいう奴が連れていく世界が必ずしもそうだとは限らない。
それを踏まえて確認の質問をすると、白衣の男は俺を安心させるためなのか温和な笑みを浮かべてこう言った。
「ここは■■病院だ。ご家族もこちらに向かっているようだから心配しなくていいよ」
その病院の名前には聞き覚えがあった。
俺が引っ越したこの町で一番大きな病院で、実際にワクチンを打つためにここへ来たことがある。
それにこの人は家族も向かっていると言っていた。
ということはここは日本、なのだろうか?
「それじゃあ私は戻るよ。何かあったらそこのナースコールを押してね」
「わかりました」
そう言ってお医者さんは部屋を出ようとする。
どうして病院に運ばれたのかは分からないが、ここが日本ならアシェラもあいつがやったことも全て俺が見た夢なのだろう。
と、そうだ。
「あのー、ところで俺はどうして入院することになったんですか?」
「それは……」
俺が何気なく放ったその質問に医者は深刻そうな顔で黙り込んでしまう。
あれ? 俺なにか聞いてはいけないことを聞いてしまったか?
そんな不安に駆られていると、医者はどこかに電話をかける。
ほどなくして看護士が真っ白な紙のカバンを持って病室に入ってくると、それを医者に手渡した。
「……僕としてはこれを君に渡すことには反対だ。それでもどうしても知りたいというのなら覚悟して見るように。それとニュース以外の情報には決して触れない、何かあったらすぐに見るのをやめてそこのナースコールを押すこと、いいね?」
「はあ……」
そう言うと医者は看護士を伴って改めて病室を出ていく。
……一体どうしてあそこまで念押ししてくるんだ?
さらなる疑問が沸く中、俺は紙カバンの中を恐る恐る覗き込む。
「これは……、俺のスマホ?」
会話の内容からスマホ、ひいてはネット関係の話だと薄々察してはいたが、何故これを俺から遠ざけたんだ?
(とりあえず開いてみるか)
そう考えてパスワードを打ち込み、スマホを開くと……。
『■■中学校で爆発事故発生』
『生徒25名が行方不明』
「……は?」
いきなり飛び込んできたニュースアプリの号外に間抜けな声が出てしまう。
記事の中には俺が通っていた校舎がまるで何かに抉られたような跡を撮った写真が掲載されており、事態の深刻さを物語っていた。
それらの情報を一気に頭に叩き込まれた俺はそのままベッドに寝っ転がる。
いやいやいや、ちょっと待ってくれよ。まさか、まさか本当に?
「まじで起きたっていうのかよ。異世界転移」
ラノベやネット小説の中だけのことと思っていたものが現実に起きた。
その事実に頭を悩ませながらも、俺はなぜ自分だけが生き延びてしまったのかを考え始める。
いやまあこちらについては何となくではあるが察しはついている。
あいつがあのクラスに目をつけたのは俺が転校してくるよりも前のことだった。だから俺はあの惨事に巻き込まれずに済んだ、といった所だろう。
『あれは君たちにスキルやステータスが宿った証拠だ』
そこでふとアシェラを名乗る何者かが発したあの言葉が頭をよぎる。
転移されなかった以上、いやそもそも眼中にすらなかった俺にそういった力は与えられているとは思えない。
それでも、もしかしたら――。
そんな軽い気持ちで俺は心の中で『ステータス』と念じてみる。
「まじかよ……」
突然現れたそれに俺は困惑し、そして固まってしまう。
異世界へ行くことが出来なかった。だから俺は珍妙な事件に巻き込まれたこと意外は普通な人間として生きていくことになる。
そう思っていたのに――。
――――
伊織修 Lv1 人間
HP150/150
MP50/50
SP0
STR5
VIT3
DEX3
AGI5
INT5
スキル 鑑定 万能翻訳
――――
俺の目の前にはゲームのステータスのように文字が刻み込まれた空中ディスプレイのようなものが浮かんでいたのだ。
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