「出れない大人(こども)と僕(わたし)」

いおり、隔絶された海原(わたのはら)に、共生組合の夏の1日

 腰の高さの水。暗い空の色を映す海水。

 何時いつだかこんな事あったよなあ、と僕は思う。そう。柿原かきはらさんとの出会いのアレだ。

 でも。『ここ』は。現世うつしよの海ではない―じゃあ、何処かって?それは分からない。常世とこよなのかも知れず、幽世かくりよなのかも知れず。


 あの伏見稲荷ふしみいなりでの出来事以来、僕の現実感覚はかなり緩いものになってしまった。

 それをもって母は僕が「踏み越えてしまった」と形容した。最初の内はあまり気にもしてなかったけど、御伴おとも―というか、ミケツさんという稲荷神の御使おつかいの狐もとい柴犬―と共に過ごす日々を重ねるにつれ、その事を身に染みて理解していく。


 日本の神話は『神』と『人』の境目さかいめ曖昧あいまいだ、と僕は理解している。


 創世神話から神代しんだい、伝説上の天皇たちの逸話、そして現実的な歴史の中の天皇の記述が入り混じる『日本書紀にほんしょき』―それは官選かんせんの歴史書でもありおおやけの歴史でもある。でも、それは―僕の読み方がまずいのかもしれないけれど―『神』の世から『人』の世への移行がシームレスに行われるように思うのだ。一応、天孫降臨てんそんこうりんというくだりがあり、神が日本の地、筑紫ちくし日向ひむかに降り立つ。


 でも。

 そこからの記述は『神』が『人のように』他のまつろわぬ『神』たちを平定していく話だ。神の時代の話ではあるけれど、その中で描かれる神々は何処か『人間』のようで。読んでいる内に一体、『神』の話なのか、『人』の話なのか分からなくなる時がある。まあ、あくまで僕の読みではあるけれど。

 『人』の歴史のおもむきが強くなるのは、クライマックスである天武てんむ天皇の記述の前後だろう。推古すいこ天皇と聖徳太子の活躍する時代も『人』の歴史のおもむきはあるけれど、何処か美化され潤色じゅんしょくされ描かれる聖徳太子は、乱暴な言い方をすれば胡散臭うさんくさい。

 舒明じょめい天皇と皇極こうぎょく天皇。その間の子は後の中大兄皇子なかのおおえのおうじ、天皇となっては天智てんぢ天皇の葛城皇子かつらぎのみこ、そして、後の天武天皇になる大海皇子おおあまのみこ。彼らが動き出す時代は間違いなく『人』の時代だ。有名氏族の蘇我そが氏、そして後に天下を極める藤原家になる中臣なかとみ氏、その他にも多くの氏族がうごめき、争い、祈る。

 そして天武天皇の時代を経て、持統じとう天皇の時代になり、『人』の世は続いていく。


 神道しんとうは昔から色々な宗教が入り混じり形成されていった。それが明確に分離されたのは明治期になってからの話だ。だから習合しゅうごうした神は数多あまた居る。例えば僕の苗字の宇賀神うがじんのように。それは別に悪い事ではない。信仰は時代と共に形を変えていくべきだと思うから。


「信じてもらえなきゃ、神ではれん」

 かくのたまうのは僕の御伴のミケツさんだ。彼もまた神の領域にある者ではあるけれど、それゆえによく信仰を理解している。神は人のこころに根差す物であり、信仰が失せる時、その力を失う。


「人の想像力が神を生んだ…神は人であり、人は神である―」

 これは僕の感想だ。あくまで僕の世界観。

 別に人が偉いとか言いたい訳じゃないし、神が愚かだとも言いたい訳じゃない。

 ただ、私があって『他』がある。その『他』は人かも知れないし神かも知れない。

 でも、そんな事はどーだっていい。あるがままをあるがままに理解する、もしくはそう努める。それが大事で後はおまけ。


 よって。

 異常な事態に出くわそうが、ニュートラルに事に接する努力はしている…つもりなのだけど。

 いやあ。まさか―長田おさださんの付き合いで来た訪問活動ほうもんかつどうの場で『こんな』事態になるなんて思ってもなかった。御伴のミケツさんは共生組合きょうせいくみあいの事務所だし、長田さんとははぐれてしまったし、一体全体どうしろと言うのか。至急、応答を求む…誰か居るなら、の話だけど。


 頭を天に向ければ、濃い紫のような夜空。そこには黄金こがね色の月。一応地球上ではあるみたいだけど、雰囲気は浮世離れしている。身の周りを包む海水は冷たくはないけど、なんだか重い。水中は負荷がかかりにくいとは言うけど、これは逆に負荷がかかっている感じだ。進もうとすると、どっと疲れる。何処かで休みたいなあ。でも周りには島も岩もない。ひたすらに海、海、海。

 僕は山の神の方に縁がある。海の方はとんとない。コネが無い。だから、もし、ここで人ならざる何者かと邂逅かいこうしたら下手へたが打てない。気さくな方ならいいけど、そうじゃない可能性だって十分ある。これは神も人も変わらない。

 まったく、もう。勘弁して欲しい。さっさと帰しても欲しい。これが夢だったらいいのに―と思わざるを得ない。

 でも。これは間違いなく現実だ。僕にとって。僕から開ける世界は『ここ』をとらえてしまった。頬をつねっても痛いだけ…と思う僕の頭に何かが去来きょらいする。

「ケータイ…」そう。スマホ。確か此処ここに来る前はしっかり持ってたはずだ。そしてそれがあればミケツさんに救援を要請できるはず…確かパンツのポケットにいれていたような気がする。となると?もしかして―

 嫌な予感と言うのは的中する。僕の場合は体感8割だ。勘が良い訳じゃないし、不幸な星のもとに生まれた訳じゃないけど、まあ、悪運が強い方なのかも知れない。

 そう。僕のスマホさんは―水没していた。ポケットから取り出した文明の利器は完全に御逝おイかれになっていた。ああ…最近、機種変したばかりなのに。今度は完全防水仕様のヤツ買お…。

 さてさて?んじゃあ、どうすんべ?外部との連絡法は絶たれた。となると―諦めて探索をするしかないのだ、体力を食わない程度に。


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「今度、訪問活動付き合ってくれない?」と長田さんは昼ご飯のおにぎりをほおばりながら僕に言う。

 それは夏の日の事。スーパーでのバイトを終え、共生組合の事務所のある部屋のリビングで昼ご飯を食べ終えてダラダラしていた時の事だ。

「訪問活動に僕が帯同?どうしたんですか?そんなアレな現場なんすか?」訪問活動は一筋縄でいかない事が多い。その手の話は良く聞いている。でも基本的に長田さんの領分りょうぶんで、彼が1人で行っている事だ。他の人間を巻き込むのは珍しい。共生組合の他のスタッフ―柿原さんと安藤あんどうさん―もあまり帯同しない。

「ん?まあ…アレっちゃアレかな」と長田さんは炒飯チャーハンおにぎりをモグモグしながら言う。

「えー?嫌っすよ…僕には荷が重い…」薄情な物言いに聞こえるかも知れないけど、安請け合いする方がかえって迷惑になると思う。

「そんな事はないさ。君なら任せられる」おおう。そういう風に言われると断り辛いじゃないか。

「時間がねぇ…取れますかねえ」僕のバイトは週5で時間は午前中一杯。時間がその辺ならほぼ断れる。

「大丈夫!昼間に行くから…15時以降になるかな?」長田さんはやんわり退路を断つ。

「ミケツさんの散歩、結構歩くから時間かかるんですよ?いやあ、忙しい」当のミケツさんは事務部屋で安藤さんに『何か』もとい『調教』されている真っ最中だ。ここには居ない。

「ミケツさんの散歩か…僕から久井ひさい君に頼むよ?」この人は先を打ってくるから困る。柿原さんが「性質たちが悪い」と形容したのはこの辺りだ。

「…じゃあ。お受けします」僕は白旗しろはたを上げることにした。まあ、世話になっているからなあ。仕方ないか。行きたくはないけど。

「いやあ。助かった。相手さんが女の子でねえ」それは珍しい。ウチは結構男の人の比率が高いのだ、その手の活動をする相手は。

「へえ?いくつ位の方ですか?」と僕は聞いてみる。

「ん?28って言ってたかな?何にせよオッサン単騎たんきはキツイ訳よ」と長田さんは言う。

「安藤さん…は留守番とかしなきゃですしねぇ…」

「そ。柿ちゃんもいるけど―アイツ、女のたぐいは苦手だし」

「僕と安藤さん以外の女の人、全然ダメっすもんね。柿原さん」

「いい加減慣れて欲しいけどね…」と諦め半分の口調で長田さんは言う。

「まったくです」


 かくして。僕は長田さんの訪問活動に着いていく事になった。行先は福岡の北東方面、北九州に至らない辺り。市的には宗像むなかた。そこにかの女性は1人暮らしをしてるという。そのお宅にあがりこむ訳だ。うん、オッサン単騎は犯罪のようなおもむきになってしまう。


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 夕食時。キッチンでは柿原さんがせっせと料理中。僕は手がいてたのでお手伝い中。今日のメニューは牛スジのどて焼きらしい。なんで?どっちかってーと冬向きのメニューな気がするけど。

「そーれーはー」と僕の後ろから声。久井さんだ。というか考えを読まれてない?

「それは?もしかして―久井さんのお土産?」と僕は背中越しに尋ねる。

「そ。この時期は―肉屋的には焼肉シーズンやねん」

「後はバーベキューとかもあるだろうねえ」と僕は返す。

「んで、ウチの肉屋では、牛肉をスペックっていう部位ごとにカットして真空パックされたのを仕入れて、スジ引きしてサクりして、カットして商品にするんやけど…」

「ああ…牛スジってそうなんだ」知らなかった。と、いう事は?

「ついでだから言うと、おでんの牛すじ串はメンブレンっていう牛の横隔膜おうかくまくでベツモンな?」と久井さんは解説する。そう言えばアレは何というかモツのような感じだもんなあ。※1

「ふぅん?じゃあ、久井さんトコロのは筋肉のすじな訳だ」と僕は続きをうながす。

「そうそう…だからまあ、量は限られてくる。筋引きした肉の量に比例するからな。冬はもうバカ売れするんだわ、コレが」

「時期だもん。煮込みの」

「ところがぎっちょん。夏はもー売れへん。めちゃ余る。結果、俺たちの胃に収まる訳」

「なるほど。サンキュー肉えもん」と僕は久井さんのバイト先の店長の名をあげ感謝する。肉えもん…まさしくまん丸くて人懐こい笑顔が素敵なおじ様なのだ。まあ、久井さんには厳しく接しているみたいだけど。

「いやあ…まさか夏にどて仕込む事になるとは思わなんだ…」と僕らの話を聞いていた柿原さんは牛スジの下ゆでをしながら言う。

「食材費浮いたからええやん?ついでにツマミとしても優秀」と久井さんはむくれつつも言う。

「そりゃ道理だわ。ビールだな」と柿原さんは顔を潰して笑う。

「ちょっとー?未成年もいるんですけど」と僕はツッコミを入れる。まだ19にもなってない。酒がめるのはもーちょい先で卒寮そつりょうする頃にやっと呑めるくらいだ。この酒好き集団の中では少し肩身が狭い。

「ま、そういうお前向けに炊き込みご飯作るから勘弁してくれや」と柿原さんは言う。

「おっ…それは美味そうですなあ」どてのこってり具合なら白飯しろめしも良いけど。

「うむうむ…楽しみやねえ」と久井さんは言う。彼は酒呑みでもあるがご飯も良く食べる。甘い物も大好きだ。太らないのが不思議。


「そういえばさあ…」と僕は柿原さんとキッチンでさかなを待たずにビールを呑み始めた久井さんに言う。長田さんからの頼まれごとの話だ。

「ん?おさっさんのアレに付きあうん?」と話を聞き終えた久井さんは言う。

「アレな。済まんな。俺が女ダメなばっかりに」と柿原さんは謝る。

「めんどーな事になっちゃいましたよ…」と僕は言う。実際、気が重くてしゃあないのだ。

「俺、行った事無いから分からんなあ。ま、自分自身の時はアレやってんけど」と久井さんは言う。確か佐賀のお爺さんの家に居た時に長田さんの訪問を受けているはずだ。

「うーん。相手によりけりなんだけどな」と柿原さんは洗ったコメと各種調味料や具を合わせながら言う。

「ですよねえ。前、ブービートラップ仕掛けられた、って長田さんから聞きましたもん」

「そりゃしき一面というヤツだ…普通に応対するヤツだっているぞ?」と柿原さんは言う。

「んなアホな」と久井さんは言う。僕も同意見。まず出てくるのが異常だと思う。悪いけど。

「ほれ、ウチのジェントル・ジャイアント―石田いしださん居るだろ?」と柿原さんは我らが寮生の1人の名前を挙げる。ジャイアントっていうのは石田さんが巨漢きょかんだから。贅肉ぜいにくと筋肉のハイブリットみたいな体系をしている。威圧感があるけど、ジェントルの異名通どおり礼儀は正しい。

「おお。長老がどないしたって?」と久井さん。

「あの人、長田さんの訪問に丁寧に応対したらしいぞ?まあ、調子のいい時だったからだが」と柿原さんは伝聞でんぶん情報を伝える。

「ああ…今何か想像出来たわ。アレやろ?『まあ、茶でも飲みなされ』とか言ってんやろ?」と久井さんは石田さんの物真似を交えながら言う。そのモノマネは似ている。

「そうそう。まあ、寮に入って調子崩してからが大変だったが」と柿原さんは懐かしそうに言う。

「あの人、調子崩すと宇宙に旅立つもんなあ…」と久井さんは言う。僕も見たことがある。その時の石田さんは完全に外界を拒絶し、内面にこもる。その様はさながら宇宙にでも行ったかのようなのだ。

「あーあ。明日、なるたけコミュニケーションできる人の訪問だと良いんだけど」と僕はため息じりに言う。

「ま。そう言ってやるな。こっちも大変だが、あっちはあっちで大変なんだぜ?そのうえ知らん人間が家にがり込むんだ、気も立つってもんよ」と柿原さんは僕をいさめる。

「そそ、俺かて長田さんとリアルファイトしたし」と久井さんは言う。しかし、マジで?長田さんがバトル?

「あの人、学生時代はレスリングしてたからなあ」と柿原さん。知らなかった。

「むちゃ強かったわ…タックルで沈められたもん」と久井さん。ヤンキー殺法さっぽうはガチの格闘技には敵わない。

「まあ…頼まれごとだから善処はしてきますわ…あ、そうだ、明日ミケツさんの散歩頼んでいいかな、久井さん?」と僕は話を締める。

「ん?暇だし良いぜ?」と久井さんはあっさり頼まれてくれた。


 寮生たちは夕ご飯の時間になると、事務所が入った部屋に集まってくる。ここは共有スペースで夕食の会場なのだ。いちいち各々おのおのの部屋にご飯を持って行くのは手間だし、この寮の意義にそぐわないから。

 で。

 集まって来たのは…まず、ジェントル・ジャイアント石田さん。今日は調子が良い日で僕にも話しかけてくる。

「お疲れさん…宇賀神君。最近は儲かってますかな?」そういう石田さんは笑顔だ。人当たりが良い方でもある。

「ボチボチでんなあ…石田さんは?」と僕は尋ねる。

「僕ぅ?哲学書読んでたら一日が終わってたよ」と彼は言う。案外に読書家でいらっしゃる。

「哲学…難しくないですか?」

「ん?プラトンの対話系は案外読めちゃうよ?理解できるかは別として」と石田さんは相変わらずの笑顔で言う。

「ああ。ソクラテスのアレ」と僕は言う。師ソクラテスの言行は弟子プラトンが作品にして残している。平易な対話で構成されるそれらの著作は哲学の入り口として優秀だ。逆にプラトンの弟子のアリストテレスの作品は…まあまあ晦渋かいじゅうだ。論理的ではあるけど。

「そそ。『ソクラテスの弁明』と『クリトン』ね」

「裁判で裁かれたソクラテスが獄中ごくちゅうで死ぬまで…」そう、アレは最終的にソクラテスが処刑されるシーンで締めるんだっけ?

「友人のクリトンはソクラテスを説得できず…それでお終い」と石田さんは引き取る。

「何と言うか…屁理屈おじさんですからね、彼は」と僕は言う。その辺少し石田さんチックでもある。

「そうだね…妙に親近感があるのは何でかなあ」と石田さんは呑気のんきに言う。

「…似てるからじゃないすか」と僕は言ってしまう。失礼だっただろうか。

「かも知れん。ま、僕は今のところ弾劾裁判だんがいさいばんを受ける予定は無いけどねー」いや、メンタルじゃなくて、見た目の話だ。ソクラテスはウェブの百科事典サイトに胸像がせられているんだけど…それに滅茶苦茶似てるのだ、石田さんは。


 次に現れるは―古河ふるかわさん。見た目はそんなに珍奇ちんきではない。『黙って』いればイケメンのたぐいだと思う。何というか一時期のロックバンドに居たようなちょい中性ちゅうせい的なさわやかなボーカルみたいな。ただ、この人はバンドクラッシャーとして名をせてしまった男でもある。中々に芸術家気質なのだ。音楽性の違いというバンド解散の常套句じょうとうくを使いまくって、この福岡の音楽シーンで浮いてしまったらしい。結果、ソロで活動して、芽が出なかった。そして気がつけば家でもくもくと曲作りをするようになり、俗にいう「ひきこもり」状態になってしまい、今がある。

 イヤホンを耳に突っ込んでの登場。どうやらデモを煮詰めてる最中らしく、僕には目もくれず、もくもくと晩御飯を食べている。


 3人目。古河さんの同居人の元大学院生の渕上ふちがみさん。フレームレスの度が強い眼鏡をかけた学者のような雰囲気の男性。性格は…探究家だ。元々は史学を専攻していたのだが―ポスドクの少ない椅子の取り合いを見て絶望したらしい。で、修士マスター2年次で大学院を中退。その後、篭りだしてしまったらしい。

 彼は人当たりは微妙。ゴーイング・マイウェイの権化ごんげみたいな人で良くも悪くもマイペースだ。機嫌がいい時はマシンガンのようにしゃべるが、よくない時は話かけるなオーラが凄い。今日はよくないからスルーだな。


 続いて4人目…はギャンブラーこと橋本はしもとさんだ。小脇こわきに玉転がしの景品を抱えてやって来た。

「うっすー勝っちったわあ…みんな、お土産ですぞー」とお菓子とか煙草とかを食卓に広げる。僕もおこぼれ頂戴ちょーだいした。

「まーた、打ちに行っちゃったんすか?橋本さん?」と僕は言う。この人、一応ギャンブルを周りから止められているのだ。

「だからね。クチ止め料なんよ。これは」と土産を指しながら言う。いや、スタッフの柿原さんも居るんだけど…煙草を貰ってホクホクしてらっしゃる。

「長田さんにチクられたら―えらい目いますよ?」そう、長田さんは橋本さんのギャンブル癖を見張っている。そして、禁をおかそうものなら『再教育』をお見舞いするのだ…内容は知らないけど、それはそれは恐ろしい物らしい。

「バレなきゃヘーキだって」とオシャレな坊主ヘアーをでながら言う。その理論はあやう―

「ハッシーや」と柿原さん。

「ん?何よ柿ちゃん?」彼らは歳が近いせいか、気楽なやり取りをする。

「明日長田さんにチクるわ」と無情な宣告を柿原さんは下す。

「いや、ぬわんでぇ?山吹色やまぶきいろのまんぜうあげたっしょ?」と橋本さんは言う。

「土産だべ?賄賂わいろなんて聞いてないね」と柿原さん。この人もまた世話役な訳で。

「っち。ま。しゃーない」と諦めた橋本さん。

「後、安藤さんにも言う」とトドメを刺す柿原さん。

「げ」青ざめる橋本さん。何故か?安藤さんは『駄犬』の『しつけ』が大得意。恐怖の折檻せっかんが待っている。

「せいぜい反省するこった」柿原さんは言う。


 んで…最後は久井さんの相棒こと賀集がしゅうさんだけど―確か最近締切が近いとかなんとかで部屋にこもりっきりだ。彼は小説家志望で新人賞に応募しては爆散四散ばくさんしさんしている。

「もうね…最近、夜中がアレだわ」と久井さんはウンザリした口調で言う。

「ああ…例の」と僕は言う。彼は―筆が乗ると独り言が凄いのだ。それはまるで―

「洋物のポ●ノじゃねーんだから勘弁して欲しいわ…寝れん」と久井さんは目の下にできたクマをさすりながら言う。

「お疲れ様です…」としか言いようがない。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 僕は夕ご飯を食べ終わると、共有部屋を後にし、自分の部屋に戻った。2階の6号室。洗濯物を取り込むと、部屋でダラダラしていたミケツさんと遊ぶ。

「おうおう!俺と引っ張りあいっこしようってかァ?来いや、いおっちゃん」

「手加減してよね…君、力強いんだから」こうやって遊んでいるとただの飼い犬みたいな感じだけど―喋ってるけど―、彼は神の御使おつかいであった誇り高き御狐みけつ様だ。

「グゥルルルル…」とうなるミケツさん。まん丸な目をした柴犬の顔がゆがむ。まあ、歪んでも可愛いのが柴犬だ。

「強いですなあ、ミケツさんは」と僕は言う。実際、ほとんど綱を持って行かれてる。

「俺様を誰だと思ってんだ?」

「柴犬」と僕は即答。

「いや…お前の見張り番だかんな?」

「大して見張ってないじゃん」そう、ミケツさんは常に僕といる訳ではない。日中にっちゅうは事務所の部屋で過ごす事が多い。

「いや。お前の動きは逐一ちくいち俺のレーダーにかかってる」

「うわあ。のぞきみたい」と僕は言う。らんトコも見られてるんじゃないか?

「汚いもん見る目で見んな、ボケェ」とミケツさんはプリプリしている。

「だってさあ…お風呂とかも察知してる訳でしょ?」と僕は尋ねる。

「まあ、そんなに真剣には見張ってねェぞ?そのあたりは」

「いや…一応だけど僕、女だぜ?」見た目は青年風だけどさ。

「ってもねェ…ねえさん程の肉体ならいざ知らず。お前のは…アレだから」とミケツさんは言う。このセクハラけんめ。

岩壁がんぺきみたいな胸で悪かったね?」と僕は嫌味を垂れておく。

「ま、そういうのが良い人もいるから気にすんな」とミケツさんは事も無げに言う。

「でもさあ。やめてよね。流石に恥ずかしいって。誰かにお風呂を察知されるのは」

「ん?まあ、そりゃそうだが―水と言うのは案外に危険なんだぜ?」

「いや、溺れたりしないから」と僕は言っておく。

「それは心配してねえ。ただ、水は色々と『呼んで』しまうからな」とミケツさんは言う。呼ぶって何を?

「何?怪談話かい?時節柄じせつがらではあるけどさ」と僕は茶化ちゃかしてみる。

「ユーレイのたぐいもそうだが―神もまた水には近しい」とミケツさん。

「水のある所に文明あり…そうか、神様が寄ってくるね、そりゃ」

「おう。豊穣神ほうじょうしんなんかは縁深いわな。要するに川だが」

「ふむ…あのさ、海はどうなの?」と僕はいてみる。

「そらワタツミさんトコの話だな。彼らは海の水の支配者だ…古来、筑紫ちくしは海外への出入り口だった。航海の安全なんかが管轄」

山神ヤマツミとは違う様相だねえ」

「だなあ。彼らは基本、社交的な神だが―まあ、例外もいるからな」とミケツさん。

「例外?」

「お前、宗像3女神って知ってるか?」と尋ねるミケツさん。一応、の知識はある。宗像は宗像大社にまつられる神。彼女たちは天照アマテラス素戔嗚ササノオ誓約うけいの結果生じた神で、いち早く宗像に鎮座ちんざしたと聞く。

「ええと…田心姫タギリヒメ湍津姫タギツヒメ、最後に市杵嶋姫イチキシマヒメだっけ?」

「そ、ま、順序は例のごとく参照する文献によりけり。彼女たちは宗像大社の陸側の辺津宮へつみや市杵嶋姫イチキシマヒメ)、大島おおしまの中津宮(湍津姫タギツヒメ)、一番海側の小島のおきしまの沖津宮(田心姫タギリヒメ)にそれぞれいらっしゃる」

「ふぅん…確か―沖ノ島って今でも厳しい入島にゅうとう制限をしてるよね、確か」

「俗にいうお不言様いわずさまというヤツだ。かの島は聖地で御神体ごしんたたい如何いかなる物も持ち出してはいけない」

「詳しいねえ、管轄外の割に」

「ま、付き合いと言うヤツだな。噂は良く聞く。あと、人間サイドの記述じゃ元禄げんろく年間の『筑前国ちくぜんのくにぞく風土記ふどき』が詳しかったな。あの島には数多あまたみ言葉がある、と書いてあった気がする」※2

「ふぅむ?中々に気難しい方なのね?宗像の3女神様は?」

「うむ。なんてーか、クールで近寄りがたいものがある」とミケツさん。

「かの海神ワタツミに水辺で行きあったらどうしようもない…だから見張りはしてる…そういう話かな?」

「そ。俺がそばにいる時は良いが―いない時はヤバい。基本、神は同性を嫌うもんだ」

「それは―別に人間も変わらないよ」そう、そういう事はままある。神も人間も。

「あの人らは筋金入りだぞ?」とミケツさんは言う。

「ウカノカミ様はあんなんなのにねえ」と僕はあの伏見稲荷の彼女を思い出しながら言う。

「姐さんは珍しいクチだわ。ま、8天女てんにょの1人って捉え方もあるから同性とは仲がいい」

「宗像3女神様とその他諸々はそーでもない、か」

「下手したら害される。神の考えは人のおよばざる何かだ。人間の倫理観なんてお呼びじゃない」ううむ。海に沈められそうだ。

「困った事に―」僕は言う。宗像の方に行く用がある。訪問活動、長田さんのおとも

「ひきこもり女の家に訪問、ね」とミケツさんはやや難しい顔で言う。

「ヤバいかな?」と僕は心配して言う。

「まあ…たぶん大丈夫だろう。携帯スマホあんだろ?」

「うん。持ってく」

「変なモン見たら連絡しろよな?お前が死んだら俺がヤバい」とミケツさんは自分の身をあんじる。いや、僕の心配しろよなあ。

「ま、気ぃつけるよ」これがフラグになるなんて思ってもなかった。


↑本文、了


※1 「メンブレン―牛肉 3D部位解説」

有限会社 トヨニシファーム

https://toyonishifarm.co.jp/prt_detail.php?c=diaphragm_membrane

2021年12月21日閲覧


※2


「筑前国続風土記」

貝原 益軒 著

貝原 好吉・竹田定吉 編纂

1709

https://www.nakamura-u.ac.jp/institute/media/library/kaibara/archive05.html

@中村学園大学 貝原益軒アーカイブ


また以下のサイトと文献を参考に本稿を書きました。


「世界遺産 『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺跡群」

https://www.okinoshima-heritage.jp/

2021年12月19日閲覧


「宗像大社 ホームページ」

https://munakata-taisha.or.jp/

2021年12月19日閲覧


「古事類縁」

文部省・神社司庁

1914

@古事類縁ページ検索システム

https://lapis.nichibun.ac.jp/kojiruien/


「福岡 女神の島」

@NHK

https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004990984_00000

2021年12月20日 閲覧


「福岡 みあれ祭り」

@NHK

https://www2.nhk.or.jp/archives/michi/cgi/detail.cgi?dasID=D0004500588_00000

2021年12月20日 閲覧





























 











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