いおりの旅の終わり、始まりの場所、神域、お土産を沢山持ち帰る

 その後の僕。お気楽なホテル暮らし。片付ける家事は無い、となると途端に手持ち無沙汰ぶさたに感じるのは何でだろう?

 朝、目が覚めると、朝食を食べに行って。そこから出かける。父とボルダリングした次の日は大阪の難波ミナミの方に出かけた。ミナミは梅田キタと比べると遊びの街の色が濃ゆい。若者達がたむろするアメリカ村の辺りをぼんやり歩く。疲れたらそこら辺の店でたこ焼きを買って三角公園で食べた。そこから地下鉄のなんばに戻って動園前駅に行き、新世界。そこは大阪のコテコテを煮詰めたような街で。僕は楽しく歩いてしまった。時代がかったゲームセンターでピンボールのようなスマートボールで遊ぶ。指定されたポケットにビー玉を落とすと、目の前にガララと玉が放出される。何というか射幸心しゃこうしんあおる遊びだ。


 その次の日は気分を変えて神戸の方に足をばし、海を眺めた。僕の住む街の日本海とは違う色をした海。ターコイズのような深い青。潮の香りはそんなに違わないんだけどなあ。異人街いじんがいを冷やかして、疲れたら商店街の中の喫茶店で美味しいコーヒーとパンケーキ。フワフワした食感と素朴そぼくな甘み。コーヒーの苦みにとてもよく合う。幸せな顔をしていれば、スマホに通知。久井さんだ。

「今日は何処どこにお出かけなんよー?」

「今日は神戸…さんみやの商店街の喫茶店で茶シバいてます」

「うわ、茶シバくなんて言い方するヤツ初めて見たわ…」

「いやいや…こっちではそう言うんでしょ?」と僕はやや憤慨ふんがい気味の返事をする。

「何時の話だっての…まあ?関西は喫茶文化があるからな…洒落しゃれては無いが」

「僕、スタバとかよりこっちの街喫茶まちきっさの方が好きだなあ」

「お前、案外に関西向きなのかも」

「ホンマに?」と僕は似非えせ関西弁をかましてみる。

「アホ。関西人は似非関西弁に厳しいんじゃ」と厳しめの返信。

「えろう済んませんなあ…そういや。ここらで美味い店知りません?晩御飯で悩んでて」

「そっちならステーキだな。神戸牛こうべぎゅう但馬牛たじまうし…」と久井さん。

「高級品は無理ですなあ」

「いや、俺が知ってる店、安いから行っとけ」とその店の地図情報を送ってくれる。

 そうして導かれた店は―鉄板スタイルのステーキ店。大きな鉄板、その周りが食卓。店のインテリアの品が良い…会計が少し怖い。でもメニューを見れば最高ランクの神戸牛から庶民的な交雑こうざつ牛まで色々なステーキが並んでいたので僕は安心して安いのを頼んだ。

 安い物とは言え、モモのランプ(牛のお尻だ)ステーキは旨味の強い絶品。むしろこの位の赤身の方が脂のクドさに苦しめられずにペロリと食べられる。


 こうやって僕は俗に言う『三都物語さんとものがたり』をしっかりと味わい最終日。

 今日はまた、京都に行くつもりだ。ホテルをチェックアウトすると、新大阪駅へ。帰りの新幹線の発券を済ませて、適当なロッカーにデイバッグを放りこむ。そして地下鉄で淀屋橋よどやばしに出て、そこから私鉄に乗り換え。これで一本で伏見稲荷ふしみいなりの近くに出れる。


 そのままの駅名の伏見稲荷駅で降りる。駅の近くは伏見稲荷の参道さんどうおもむきが強い。福岡のあの志賀島しかのしまの神社の参道と比べると―はるかに騒がしい。まあ、稲荷信仰は庶民に根強かったと伝え聞く。自然と活気が出たのだろう。橋を渡り踏切を超える。まだまだ参道は続く。その道すがらにすずめの丸焼きを出す店があった。僕はスルーしたけど。

 予測にはなるけど―稲荷は稲作いなさくの神で、稲作の敵である敵たる雀を食ってどないかしてしまおう、という心なのだろう。ただ、僕は歩きながらその説を検討している時、ある国でのある事例を思い出す。雀狩りをしたら―最終的に飢饉ききんに陥った、というアレを。何事もバランスが大事なのだ。極端はいけない。

 そんな事を考える僕の目の前には、赤に黄を混ぜた金赤きんあかの鳥居。ここから伏見稲荷の領域、という訳だ。何となく頭を下げながら入る。特別信心深い訳ではないし、そもそも主祭神しゅさいじんのウカノミタマに由来する苗字を背負った僕にとってここはホームみたいなものである。

 アスファルトから石畳いしだたみに変わった道を進む。その先には石でできた鳥居とりいと伏見稲荷と書かれた石柱。さてさて。まずは手水場ちょうずばで手を清めなくては。

 手を清め終わったら本殿へ向かう。金赤に塗られた木で組み上げられた社殿しゃでん。白の土壁つちかべとのコントラストがややキツい。

 楼門ろうもんと左右に鎮座ちんざする狛犬こまいぬではなく狐。お稲荷さん。稲荷のイメージは一般に狐。でも彼らは神の御使おつかいだ。ちなみに肉食の彼らは特別油揚あぶらあげが好きではないらしい。

 本殿でのお参り。僕は賽銭箱さいせんばこに500円―大奮発―を投げ込む。そして礼に従い祈る。


 どうか―家を出れますように。

 どうか―長田おさださんが母を説得出来ますように。

 そして―ウチで母と向き合えますように。以前なら願う事などなかった祈り。願い。


 本殿でのお祈りを済ませた僕は、社務所しゃむしょの方から稲荷山いなりやまに向かって行く。父と母のちぎりの場所。僕―いや、私の始まり―


 山の始まり。千本鳥居の始まり。金赤の鳥居が幾重いくえにも重ねられた神域。

 古来の日本は山岳さんがくを信仰していた。それは『大山津見神オオヤマツミ』とも表現できる。その神は後代、『素戔嗚スサノオ』に繋がる。大山津見神の娘が『神大市比売カムホオイチメ』で素戔嗚との間に子をなす。『大歳神オオトシノカミ』と『宇迦之御玉神ウカノミタマノカミ』だ。母が父と繋がりがあると言ったのはこの絡み。

 よって。家の所縁ゆかりがある神は実はどちらも山の神の系統なのだ。調べるまでまったく知らなかった。だから、以前もうでた志賀島しかのしま海神ワタツミとは縁が薄い。まあ、神様は大らかだから気にはしないだろうけどね。


 石段を登りゆく。頭の上には金赤の鳥居。よく見ると鳥居の足元には奉納した人や会社の名前。関西の財界が中心なんだろうな、と思う。

 石段とそれに連なる参道は長い。途中でキブして引き返す人もちらほら。僕だって家にこもりきりだったら悲鳴を上げていただろう。


 その内。分社にたどり着く。荒神峰あらかみみねというらしい。挨拶をしてから更に上に登っていく。途中で大学生のようなスポーツサークルの人たちとすれ違う。ここでトレイルランをしているみたいだ。高低差もあるし都合がいいのだろう。

 四ツ辻で右に折れる。千本鳥居が尽きる。そこから三ノ峰、間ノ峰、ニノ峰、一ノ峰…とめぐっていく。よくお父さんと母は此処でデートをしたもんだ、と思う。参道があれど、そこそこキツい。流石の僕も少し頭がぼやけるというか疲れてきたぞ?


 そうして。ぐるっと山を巡り、また千本鳥居の方に戻っていく。

 山登りは上りがキツいと思われがちだが―下りの方がキツい。傾斜を下る時に足首に負担がかかりがちだ。ここに履いてきた靴は登山系統に強いメーカーのスリップオン。ソールの設計に定評があるメーカーの物なので、普通の靴より幾何いくばくかマシだけど…乳酸の溜まったふくらはぎは熱を帯びている。

 下に落としがちの視線。転ばぬ先の杖。吐き出される息は熱い。冷たい空気が重く感じる。吸い込むのに苦労する―


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 僕は夢を見ている。そう思いたい。

 何故か?―それは目の前に二足歩行の柴犬みたいなよく分からん生物が現れたからだ。

「ねえ…君は一体…」と僕は唖然あぜんとしながら目の前の二足歩行のふくふくした体の柴犬チックな生物に問いかける。この辺の柴犬は二足歩行をするんだなあ、と馬鹿な事を考えながら。

「あ?」と返事がある。人の声だ。何というかハスキーな低音ボイス。いや彼は柴犬だけど。

「えっと…この辺の飼い犬かな?」と僕は下手したてに出ながら聞く。愛嬌あいきょうのある顔をしているけど、柴犬は気難しい事で有名だ。主人以外に懐かない。それが日本犬の伝統でもある。

「飼い犬…俺様はペットじゃねぇ!!」とガラの悪い声。刺激してはいけない。だけどなあ…

「じゃあ…なんだって言うのさ?」と僕は問いかける。実は半ば答えを知っているのだけど。それを認めると―面倒な事になりそうな気がする。

「俺様は誇り高き神の御使おつかいである。キサマこそ名を名乗れ、無礼である」と柴犬風の御使い様は僕に言い放つ。

「僕は…いや、私は宇賀神いおりと言います。以後お見知りおきを、御使い様」

「俺様はここらの神の御使いのミケツ様だ、覚えとけよ?」彼はそのまん丸い目を細めて言う。

「ええと?貴方あなたはここら辺の神の御使いなんですよね?」

「おう。テメーの苗字の由来の神のな…」と彼は言う。要するにウカノカミの事だろう。

「ねえ、なんで僕の前に現れたんだろう?」僕は柴犬に問う。柴犬様―いやミケツ様―は足の間にあるアレをプラプラさせながら答える。

「テメー肉クセェンだよ…ご馳走にありつけるかと思ってな?」と柴犬様はけっけっと息を吐きながら言う。

「ゴメン。昨日ステーキ食べたからさ」と僕はびる。

「和牛か?」とヨダレ混じりに問う柴犬様。

「えっと…和牛とホルスタインの掛け合わせ(交雑牛)だったと思うなあ」と僕は思い出しながら答える。

「テメー、ウチの姐様あねさまと同じ名前を背負ってる癖に稲作に使う御牛様おうしさまを食ったってのか?」とやや怒りながら言う柴犬さま。いや君が聞いたんじゃんか。

「済みません。今日、こちらに参るつもりでしたが、配慮が足りませんでした!」と僕は頭を下げておく。柴犬ライクな見た目の彼もまた神域にぞくするのだから。

「まあ。ええわ。んで?お前何しに来たんよ?商売してんのか?」と柴犬様は許してくれる。案外懐が広い。流石神の使いだ。

「いやあ…自分の苗字のルーツを探りに…後、此処で両親が仲良くなったんでね。見学に」と僕は答える。まあ、嘘は吐いてない。

「ふぅん?最近のガキは神なんてうやまわないモンだと思ってたが、中々殊勝しゅしょうなこって…んじゃアレだな?俺が連れて行った方が良いな?」と柴犬様は言う。何だか―キャッチみたいだ。

「案内してくれるの?」と僕は言う。面倒と言われれば面倒だが―こんなことになってしまったついでだ。神におうかがいを立てるのもまたかろう。

「おう。だが俺に何かくれや」と柴犬様は対価たいかを求める。

「ええ…何もないよ?今」と僕はこたえる。軽装だし。参道で何か買い物した訳でも無い。

「カネでもええで?電子マネーのたぐいも全部いけるぞ?」此処にも時代の波は打ち寄せてる。流石、日本の神、柔軟だ。

「おいくらで?」失礼かも知れないけど、ウチの家訓は金銭の確認はおこたるな、だ。相手に求められてたら尚更なおさら

「100億」と柴犬様が吹っかけてくる。これは…関西的な笑いのアレだろうか?

「いや、さすがにそれは無理」と僕はきびすを返そうとする。悪徳キャッチは神の御使いであろうとノーサンキュー。

「ちょ…待たんかい!関西的なジョークやがな!!堪忍してーや」と柴犬様は焦って言う。

「100円ね?」と僕は念を押す。そして財布を開けて交通系のICカードを取り出す。

「ん?それ―九州の地下鉄のヤツか?」と柴犬様は問う。なんで知ってるんだ?鉄オタか何かか?

「うん。こっちでも使えるし。福岡だよ、住んでいるのは」と僕は答える。

「ほーん?海神ワタツミさんトコ?」

「まあ、近所かな」

「よう来たなあ。ま、ちと待っててな…」と柴犬様は言う。

「何すんの?機械出すの?」そう問いかける僕の目の前で柴犬様は2足立を止め、普通の柴犬みたいに4足で地をとらえる。可愛い…

「モード変えるから…目ぇ閉じろ…恥ずかしい」なんとまあシャイな。だが『見るなのタブー』は守った方が良さそうだ。神話の得意技の1つだから。かの伊弉諾イザナギもこれで失敗している。僕はゆっくりと目を閉じる。

 気の抜けたファンファーレみたいなものが鳴り響き―「うし。準備でけたでー」と柴犬様の声。目を開ければ、そこに大きな狐が居た。人一人なら乗れそうな大きさ。

「乗れって事?」と僕は恐々こわごわ問う。

「おう。カードは腰のあたりにタッチしたら残高減るからな?」御親切にどうも…僕は狐の腰…付近にカードをかざす。コン、と言う鳴き声。

「可愛いだろ?」と何故か自慢げな狐様。

「君は柴犬モードの方が可愛いよ」と僕は素直な感想を述べる。

「あ、そう?近年の流行りに乗っただけなんだが」

「神様たちも柔軟だねえ」と僕は嘆息たんそく

「そらそーよ。信じてもらえなくなったら俺達ゃ終わりだ…人の想像力の産物なのだから」と神にるいする者にしては殊勝な物言い。

「もっと露出した方が良いと思うな。君なら動画サイトの人気者になれる」

「マジ?ナリトシさんみたいにか?」と彼は動画サイトで有名な柴犬の名を上げる。

「君、さっき結構似てたぜ?」と僕は言う。けっけっと息するあたりとまんまる具合はホント、そっくりだ。

「そっかーやろうかなーでもなーねえさんがなあ」と狐様は言う。姐さん…ウカノカミ様はどんな御方おかたなのだろう?

「ウカノカミ様…怖い?」と僕は尋ねる。

「あの人はここらのボスだ…怖いっつうか神々しい」と狐様。尊敬の混じる声。じんじん?得は深いのだろう。

「僕が急に尋ねて―お怒りにならないだろうか?」恐々尋ねる。神、それは人の及ばざる存在。

「あん?本殿参ったよな?」

「一応ね…お賽銭も入れといた。500円」と僕は報告する。僕にしては奮発した方だけど。

「ならオーケーだ。かの女神さまは懐が広いからな」


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 キャッチみたいなお狐様が導いた先。そこは…何と形容すべきか…うん、これは―

「居酒屋さん?」

「いや…俗っぽい言い方をするなればキャバクラだな」と狐様が言う。

「僕…未成年なんですけど」と僕は言う。こういう所に入れるのは後2年先の話だ。

「いや…あっちのみたいじゃねーから。ただそういうていなだけ。ねえさんが切り盛りしてんだ」

「あ、そう…」まあいい。入ろうじゃないか。


 中は黒を中心にしたカラーリングの豪華な空間だった。中央のやたらデカイテーブルとそれに沿わせたソファの席に2足歩行柴犬モードに戻ったミケツさんが案内してくれる。

「姐さんー?お客さんですぅ、宇賀神の末の娘っ子ですわ」とミケツさんは声を張り上げる。すると―

 ソファに何時の間にか、かの豊穣ほうじょうの神はいらっしゃった。女性。でも派手な感じではない。シックなドレスに身を包んだ優しい感じの女性。母性を感じさせる。

「ようこそ。私は…ウカノカミ―と呼ばれる存在。でも気を使わなくても良いのよ?」

「どうも…初めまして。宇賀神いおり、18歳の娘です。どうかよろしくお願いします」

「あら。カッコいい男の子だと思ったけど?」と彼女は言う。神さま相手にも女扱いしてもらえない。

「いやまあ…こんななりなんでこういうカッコしてますけど…別に普通の女です」

「みたいね…匂いは女の子だわ…飲み物どうしよっか?」と尋ねる女神さま。

「ノンアルでお願いします」法令は順守する。ここが現世うつしよでないとしてもだ。

「あらそう?私、お酒造るの上手いのよ?」と残念そうな女神さま。そう言えばそうだ。そういう所以ゆえんをお持ちではある。

「何時か―またお邪魔させてもらいます。その時にはお酒、めるようになっておきますから」

「よろしい。じゃ、ミックスジュースをご馳走するわ…そして、お話を聞かせね?」と女神さまは言う。その笑顔で言われたら話をせざるを得ない。それくらい美しい。


 女神さまの作ったミックスジュースは…関西でよく飲まれてるミルクベースのものだった。まろやかで果物の酸味がアクセントになっている。

「美味しい」と思わずこぼす。これなら喫茶店も開けそうだ。

「うん。ありがとう…で?今日はどうしたのかしら?」と女神さまは問いかける。

「自分の苗字のルーツを探りに。後、ここは僕の人生の根源でもあるんです。両親が伏見稲荷をもうでてなかったら、多分、僕は生まれてない…今まで来た事は無かったけど…故郷みたいなもんです」亡郷ぼうきょうの僕ではあるけど。

「ああ…あの呪いをかけられた娘の子なのね?」と女神さまは言う。ご存じなんですか?

「ええ。宇賀神の末です…現状」

「大変よねえ…」

「ううーん。まあ?色々と問題はあるかも知れませんね…」

結城ゆうきの呪い…か。アレ、色々道理を外した呪いだからねえ。このままだと貴女あなたにもるいおよぶわね。順番として」

「もう来てるのかも。今、社会に参加できてない」

「引きこもり?」と彼女は問う。案外下の世界にも詳しいのだ、かの女神さまは。

「流石です。何でもご存じで」と僕は謙遜しつつ答える。

「貴女達が背負うモノ、取りはらいたい?」と女神さまは問いかける。

「出来れば。でもまずは母を…どうにかしてあげたい」思わず出た言葉。これが…最近の話を聞いた僕の本心。いい加減あの重たいくびきを下ろしたっていいんだよ、お母さん。

「孝行娘ね?」

「今までは―恨んでた。でも。やはり彼女は母だから」と僕は言い添える。

「私がしてあげれる事、聞きたい?」と彼女は含んだ言い方をする。

「ええ。是非」と僕は提案を受け入れる。女神さまは、あの呪いをどうできるのだろうか?


「何事にも代償は要る…それは神も人も変わらない」少し厳しい口調で彼女は言う。

「ええ。命までは投げ出せます」と僕は言う。怖いけど。相手は神だ。最大の譲歩。

「そんな事言っちゃダメよ?貴女は人の世にける者。粗末にしていい命じゃない。貴女の親たちがつないだものは重いのよ?」人間の倫理レベルで語る女神。神は―人の及ばざる領域の絶対存在だと思ってたけど。そして、人に与える一方、奪うものだと思っていたけど。

「意外そうね?」と彼女は笑顔で言う

「まあ…少し調べましたから」と僕はこたえる。

「私の兄の話かしら?」と彼女は水を向ける。

「ええ。失礼かも知れませんが」

斉部いんべの広成ひろなりの『古語拾遺こごしゅうい』…末尾」と彼女は僕が参照した書物を正確に言い当てる。※

「ええ。お兄さんが…恵みを与える一方で、蝗害こうがいをも人に与えた…」そう、大歳神オオトシノカミも豊穣神ではあるが、その一方、人がおごたかぶれば罰を下す。

「アレは―まあ。兄は気性が激しいからね。ゴメン」と彼女が謝る。恐れ多い。

「いえ。かなり前の話ですし」

「話、戻すわね。さて。貴女は命の他に私に対価、何を出せるかしら?ミケツ同様電子マネーも可よ?」と彼女は言う。

「お金…ですか、あまりお金、持ってないですけど」と僕は言う。働いてないし。

「お金は…じゃいいわ。時間はどう?」と彼女は提案する。

「時間?それは―生きてる内の事ですか?」

「それだと―命を貰うようなものだから」と彼女は断る、即ち―

「死後…」と僕は彼女の言葉を待ちながら言う。現世うつしよから常世とこよに移って後の話。

「そ。まだまだ…貴女は人を知らない…神をもまた。だから『今の』状態の貴女には『ここ』での価値は無い」と言い切る彼女。値踏みされていたか。

「老いて―物を知ったら?」

「面白い話がココでできる」と女神さまは言う。現世うつしよのちの進路の提案。まあ、ここなら悪くはない。というか楽しそうでもある。

「分かりました…現世を去ってのちは貴女にお世話になろうと思います」言った。これが僕の差し出せるもの。ああ、サボれなくなってしまった。

「うん。じゃそれをもって私は動くわ…貴女は―行きたい所で色々見てきてね?」と彼女は優しく言う。

「仰せのままに…それではまた…幾年いくとせのちに」

「ええ。首を長ぁくして待ってるわ…」

「では。ミケツさんと帰ります。お邪魔しました」と僕は席を立つ。それに被せるように彼女が言った―

「頼みがあるの」

「ええと…何ですかね?」

「貴女、ミケツとこっちに来たでしょ?」

「ええ。彼がいなかったらこっちには」と僕は次に飛び出す言葉を待つ。

「あのね?」

「はい?」溜めないで欲しい。何を仰せつかるのやら…


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 話のオチを披露しよう―かの女神はミケツさんを僕のお付きにした…のだ。監視役らしい。いや、ここでの仕事は?

「ミケツの兄弟が居るから大丈夫よ?」

「で?ミケツさんはどのようななりで僕につき従うのでしょうか?」と僕は恐々尋ねる。狐モードだと誤魔化ごまかしを効かせ辛い。狐の飼育って何か許可が要ると思うから。

「大丈夫よ。柴わんこさんにしとくから」と彼女は事も無げに言う。

「あの…ウカノミタマ様?」と僕は疑問を投げてみる。

「なぁに?」と可愛らしい返事。

「もしかして―下の世界の柴犬がお好きで?」

「うん」ああ…だからミケツさんはああな訳だ。

宇賀神うがじんすえたのんますで?」とミケツさんが言う。ウチ、ぺット可だったろうか?

「うん…まあ、よろしくね?」と僕は懸念を隠しながら言う。後、帰りの新幹線もどうするんだ?ああ、面倒だ。

「さ、行こうや!!楽しみだなあー」ミケツさんは完全に観光気分だ。


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 気が付くと。僕は千本鳥居の中に居る。時刻は―昼過ぎ。長い夢が終わった。さあ帰ろう…とする僕のかたわらに彼―ミケツさん―は居た。4足歩行の柴犬モードだ…。


「げ」思わずもらす。

「けっけっけっ…」人の言葉は、しゃべってない。それは普通の柴犬にそっくりな吐息だけど―僕にはこう聞えていたのだ。

「着いた着いた…で?帰りは電車か?」


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 僕と柴犬の一行は伏見稲荷の参道を駅へと歩いて行く。傍から見ればノーリードの犬の散歩。しかし、だ。彼をどうやって福岡に連れて帰るかが問題だ。

「あのさ?ミケツさん」と僕は人気のないところで彼に語りかかる。

「ワン!」と可愛い返事をするミケツさん。いや僕の耳にはこう聞えているから―これから後は人語で記す。

「あ?なんだ?宇賀神の末?」とミケツさんはルンルンな声で答える。久々の散歩らしい。

「どうやって―福岡帰ろっか?ていうか、新大阪までどうしよう?歩く?」

「馬鹿言うな。こういう時は、だ」

「こういう時は?」僕は聞き返す。もしかして―背中に乗せて帰ってくれるのか?

「ネットで調べろ…確か―新幹線には手回り品扱いで乗れる。ケージに入れときゃ」とミケツさんは言う。普通の事を言うんじゃないよ…

「分かった…」と僕は諦め口調でこう言った…


 お父さんから大目にお金をもらって良かった。意外な形で役だった。と言うのも―伏見稲荷の近所のペットショップでリードと首輪とキャリーを買ったからだ。

「後、オヤツもな?」とミケツさんは言う。

「完全に犬だね?」と僕はペットショップのショッピングカートの子どもを乗せるトコにお座りするミケツさんに言う。

「そらそーよ。姐さんの犬好きめんなよ…ああ、トイレの方も頼む。多分いけるがらすかも知らん」

「新幹線に乗る前にしっかり出してもらうから…」と僕は呆れながら言う…携帯が震えている。多分父だ。取り出して応答する。

「もしもし?」

「ん。そろそろ帰るだろ?」

「うん…まあ、色々ありがとうね」

「どういたしまして…なあ、土産買ったか?」と尋ねる父。ヤバい、失念しつねんしていた。

「いやあ…色々あって忘れてた」長田さんにも買わなきゃ。

「と、思ってな。今から我が社の直営店、来いよ」と父は誘う。確か河原町かわらまちの百貨店の中に父の会社のお菓子売り場があるのだ。

「分かった…後でまた連絡する…ねえ、お父さん?」

「あ?」

「そこ犬、入れる?」

「は?何か拾ったか?」と怪訝けげんそうに尋ねる父。

「ま、色々あってね」

「ふーん?まあええわ。でも確かあそこは盲導犬以外NGだ。外につないどきなさい」ああ。無情。電話を切りミケツさんに報告。彼は―

「ま、しゃーない。気にせず行けや」とのたまった…


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京都、河原町。その私鉄の駅に接続する形で父の会社の店が入る百貨店がある。僕は地上に上がって、キャリーケースのようなケージに押し込んでいたミケツさんを解放する。さて、どこに繋いでおけばいいのだろう?この辺は超が付くほどの繁華街、適当な場所が見あたらない。

 リードの先のミケツさんはけっけっと吐息を吐き、ちゃかちゃかと音を鳴らしながらアスファルトの上を歩いている。

「なあ、宇賀神が末よ?」と彼は言う。人込みの中で話しかけないで欲しい。取りあえず携帯を耳にあて、通話しているていでミケツさんに返事をする。

「はい?」

「アレだ…テキトーな所に繋がんでも、俺一人で散歩してるぜ?久々に木屋町きやまちでも見ておきたいんだ」木屋町は高瀬川たかせがわ沿いに広がる歓楽街だ。まあ、この時間帯ならそこまで人は居ないけど…

「絶対、人目につかないように出来る?後、どうやって合流するのさ?」

「そらお前、連絡くれたら戻りますやん?」とミケツさんは何を当たり前の事を、みたいな口調で言う。

「連絡って…何?テレパシーでも使えんの?」僕は尋ねる。まあ、そんな訳ないとは思うけど。

「お前なあ…今のご時世、メッセンジャーアプリあんだろが」

「いや、端末持ってないじゃん」

「そこは俺様の神的力よ…お前のスマホを俺の耳辺りにあてろ」とミケツさんは言う。この神、体に色んなものを仕込んでいるらしい。便利っちゃ便利だ。とりあえず言われたようにすると―周りの人に不思議な目で見られた、恥ずかしい―、

「ミケツ様を友達にしますか?」とスマホに表示される。すげえ、訳が分からん。

「このアカウントに連絡するといい…じゃ、俺行くわ…あんま待たすなよ」

「へいへい…」と僕はミケツさんと別れた。


 百貨店の地下2階。入って直ぐの辺りに父の会社の直営店はある。父が転職した先はパティスリーから始まった製菓メーカーで、今も京都の至る所に店補を構えている。宇治の抹茶を使ったラングドシャが有名だ。

「お…来たか」とスーツ姿の父は言う。百貨店の担当者との打ち合わせを済ませてきたらしい。

「ゴメン。待たせたね」

「いいんだ…物は準備してある。まずは宇賀神さんの分、次にお前がお世話になるだろう所の分…」中々に立派な紙袋を渡される。一体、何を詰め込んだんだ?

「ありがとう…でもウチの分はそんなに要らないんじゃ…」美味しいお菓子も量があり過ぎては困るような…いや、僕はお菓子大好きだけど。

「いいんだよ。日持ちはするから」

「ま。ゆっくり食べることにする」

「そういや―犬の話だが」と父は問う。

「いやね、伏見稲荷で…柴犬の捨て犬を拾いまして」と僕は半分の事実を報告。

「あそこに行ったか…どうだった?」

「何というか―僕が始まった場所、故郷のように思えた。変かも知れんけど」

「俺達は亡郷の民だが―ま、そういう場所が見つかったなら何より。そのままこっちに来たっていいんだぜ?」と父は言う。

「いや」と僕は言う。ウカノカミ様からの頼まれごともあるし、僕は母とも向き合うべきだ。逃げてはいけない。理解し合えなくても―受け入れる事は出来るのかもしれない。

「何があったかは知らんし、問わんが―良い顔になったな?」

「うん。こっち来て良かった。ホントにありがとう。お父さん。助かっちゃった」と僕は素直にお礼を言う。

「良いんだよ…家族なんだから困った時に手を貸すのはあたりまえだ」

「僕は―もう一人の家族に向き合うよ。良い方向に行くかは分からない。でも。お父さんと…いや、僕しか―あの人には居ないから」

「うん。済まんが頼む…そろそろお互い時間だ…気をつけて帰れよ?帰るまでが旅だ」と父は握手を求めながら僕に言う。それを握り返し、僕は、

「またね」と言った。


 高瀬川のほとりの喫煙所の付近で僕はミケツさんと落ち合う。メッセージを送ると彼はすぐさま戻って来た。歓楽街の光が灯り始める時間帯。ダッシュをして戻ってくる彼は浮いている。

「おう…ただいま。しっかし、この辺も変わったよなァ」と戻って来たミケツさんは言う。

「そうなの?」僕は京都には詳しくない。

「昔はなーんもなかったのにさ…人の営みってのはしぶといというか…」としみじみ言う。

「どうせ―ミケツさんが知ってるこの辺の様子って、神様も人も分かれてなかった頃の話でしょ?」実際、京都はながらくこの国の都だったのだから。

「まあな…さ、行こうぜ筑紫ちくしへ」

「じゃ。キャリーにインしてね?」と僕はキャリーのファスナーを開けながら言う。

「ああ。そうか…これから3時間近くこの中か…先にウンコしていいか?」とミケツさんは言い終わる前から気張りだす。こんな所で脱糞しないで欲しいんですが。

「いや。もの影行こうよ」と僕は呆れながら言う。

「いや…もう先っちょ出るて」


 ミケツさんのトイレを済ませると―マナーバックに彼のブツをしまった―、僕は新大阪へ向かい、そして新幹線に乗る。帰りも九州新幹線。終着は鹿児島中央駅。寝過ごしたらマズい。

 席に落ち着き、足元にミケツさんのキャリーを置くと、僕はスマホをチェックする。この関西への旅の間、長田さんからの連絡は無かった。交渉はどうなってしまったんだろう。僕の方から連絡してもいいけど、催促をするような形になるのは忍びない。

 間をとって柿原かきはらさんに連絡しようかな?でもなあ、彼もまた共生組合のスタッフ側でもあるし、この時間帯は料理中かな?久井さんは―暇かも。

「久井さん?」と僕はメッセージ。

「ほい」とすぐ返事。さて、聞いてみるかな…彼がスタッフ側の情報を握っているとは限らないけど。

「長田さんなんだけど―僕の事、何か言ってた?」

「いーや。聞いてないなあ…長田さん案外に秘密主義だからな」

「そっか。まあその内連絡はあるかな…話は変わるけど京都で犬を拾いまして」

「は?」驚きが画面の文字の向こうからでも伝わってくる。まあ、荒唐無稽こうとむけいと言えばそうだ。旅先で犬を拾うヤツなんて滅多に居ない。

「いや…まあ、色々あってなつかれちゃったから…ねえ。トーラスビルディングはペット可なの?」

「そこは―まあイケるんじゃね?確か俺らの部屋の隣ん、猫飼ってるし」

「ああ。良かった」

「お前ん実家に預ける訳にもいかんしな」本当は僕の監視役だけど。

「うん。母、動物嫌いかも知れないし」

「ウチのマスコットになるかもな」と久井さん。まあ、愛嬌はあるからなミケツさん。性格はおっさん臭いけど。実際、今も変なため息をしながらキャリーに入ってる。あまり騒がれると他のお客さんに迷惑なんだけど。


 二時間と半分が過ぎた頃、新幹線が博多駅に着く。僕は結局寝なかったので無事、帰って来た事になる。久々の九州は何故か大阪より寒い。キャリーの中のミケツさんは、

「おう。はよ出せや…小便したいんじゃ」とかなんとか漏らしている。


 新幹線のホームから直に在来線に乗り換える。抜けられるようになっているのだ。そして北九州方面行きの鹿児島本線に乗り換え、ウチの近所の駅まで向かう。


↑ 本文、了


※ 参考文献

「古語拾遺」

斉部 広成 撰・西宮 一民 校注

岩波文庫 1985 岩波書店





























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