第17話 太郎治の法と弥太の想い

「怖いのは嫌だけど……あの白い猫に頼まれたし、おいら平気ぃ」


 弥太は無理矢理笑顔を浮かべた。

 自分の事で心配をさせたくない。ただそれだけなのだ。

 太郎治の話を聴いて弥太はそう答えた。

 拳をぎゅっと握っては、小さく振るえている。

 その姿に瑠璃姫が口火を切った。


「弥太が往かねばならぬなら、吾も往こう。共にあれば穢れなど恐れることなどなかろ。吾の庇護は弥太にあるゆえ」


 ともすると怒りすら感じるその物言いに対し、太郎治が静かに力強い調べを奏でるように答えた。

 その力強い調べのような太郎治の言は辺り一帯にしみいっていく。

 すると地面からむっくりと芽が出たかと思えば、その芽はするする伸び、雪化粧の色濃い泉のほとりに、美しい紫色の夕顔を一輪咲かせた。

 夕顔はアッと今に増え、辺り一面を彩り咲き誇ると、夕日に態々背を向け、すぐさま立ち枯れて土に還っていく。

 その様子をまざまざと見せつけながら、太郎治の言よりも雄弁な真っ直ぐな眼が、瑠璃姫の寂しげな目線を捕える。


 瑠璃姫は「ふぅ」と小さく可愛らしいため息を一つつくと弥太に手をつないで、その顔を覗き込みながら、語り掛けた。


「済まぬの、弥太。主の覚悟を吾が台無しにしておる。そしてこの手で守ってやれぬ不甲斐なさに少しばかり腹を立てておる。許しとおせ」


 愛おしさが瑠璃姫から溢れ出ている。

 大天狗は腕組をして、心配顔の瑠璃姫を前に考え込んでいた。


「ううむ。弱ったのう。儂の手勢も使える者共は今手傷を負っており、満足に動けん。叶うなら儂が付いて往きたいが小娘様の御力添えを頂戴するため、それも叶わぬ。小娘様の眷属もあてには出来ぬ。さて、如何するか?」


 大天狗がそう呟いたとき、それに合わせるかのように太郎治がひらりと葉っぱの上から飛び降りると、山神様から賜った木の枝を捧げ持った。

 木の枝は夕日に照らされると黄金色に輝き始める。

 太郎治がその光に向けて声を掛けた。すると、


『我が名は産霊の森の生命の担い手にして杜の運び手の太郎治なり。わが命をもって幼きものの定めを照らし、その生命を健やかなるものに守り通さんことを希うものなれば、産霊の森の統べる大樹よ。全ての理を塗り替えこの幼きものの生命と魂の全きを為せ』


 全ての生きとし生けるものに届く言葉になって、辺りに光の粒となって降り注いでいる。

 大天狗は驚きの余り、羽団扇を取り落として目を見開き、


「これは、神代の神霊の御業かっ。太郎治殿っ、その御業は太郎治殿の精をすり減らすものであるはず、今、それをせねばならぬ程なのかっ」


 取り乱すほど慌てた。

 瑠璃姫はその様子を同じく驚きをもって見つめつつ、弥太を抱きしめながら大天狗へと尋ねた。


「権大師殿。われにも太郎治殿の言が届くということは、あれは、霊みかえの寶法であっておるかの」


「小娘様よ、その通りじゃ。あれは産霊の森の担い手にしか使えぬ、何でもありの秘術、いや、神の業じゃ。その身を為す大地の凝った精を引き換えに為せる御業故、その身自体が解けて天地に還るもの……禁じ手じゃな」


「何と、齢三千年の太郎治殿のその身が失せてしまうほどの法であるのか。太郎治殿他に他に何か別の手だてがあるやもしれんぞ。先ずはその法を収めよ」


 瑠璃姫のよくとおる美しい声にも答えることなく、太郎治は更に輝きを増していく。


 弥太は何かを強く感じていた。

 なにか良くないことが起きようとしている。

 太郎治が何か凄いことして、太郎治に良くないことが起こるんだ。

 太郎治に良くないことなんて、そんなの嫌だ。

 おいら。おいら、色々出来る。独りでも出来る。太郎治に言われたお使いもちゃんと出来る。

 だから、皆――仲良ししたい。して欲しい。


(泉の中をごらんなさい)


 ふわりと優しい風が耳打ちをする。

 え?

 ああそうだ。あのお願いの樹にお願いしてみよう。

 お願い。

 皆と仲良ししたい。

 おいら、独りでも出来るから、頑張るから、皆に嫌なことが起きないようにしてっ。

 寂しいのは嫌ぁっ。

 弥太の魂が迸り、願いの大樹が泉の中で応えた。


『及ぶ限り、手を尽くそう』

 

 力強い返事がしかと耳に届いて、少しばかり弥太は安堵した。

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