第15話 幽世の匂いと金翅鳥の舞笛

「わかないよっ」


 弥太は声を発しながら飛び起きた。勢いよく飛び起きたせいで覗き込んでいた大天狗の鼻に激突した。


「ぐぬぬっ」

 

 と大天狗が鼻を押さえる。太郎治は葉っぱに乗って弥太の目の前にやってきて心配そうな声を奏でた。

 瑠璃姫は、


「目覚めたか弥太。まずはよかろ」


 弥太の手をぎゅっと握ると胸をなで下ろす。


「だから言ったであろうが。寝ておるだけじゃと」


 大天狗は高い鼻をさすりながら言った。

 瑠璃姫はそんな大天狗の言に見向きもせず、弥太に痛いところはないか、辛いところはないかなど幼子を心配する母のようにあれやこれやと聴き尋ねる。一通り尋ねて安心して、


「幽世の風と匂いにまみれた眠りなどついぞ聞いたことは無い。誰が呼び寄せたのであろうな、荒幡殿」


 咎める強い視線を荒幡の大天狗に突き立てた。

 今度は大天狗が瑠璃姫の言と視線を無視して、目を剥き出しに怖い顔で弥太に話しかける。


「おい子河童。何があったか説明せいっ。貴様が変な匂いをさせて寝てしまったが故に、儂はもう少しで小娘殿に八つ裂きにされるところじゃったわ」


 言いながら首筋に手をやって、


「おおそうじゃ、その前にじゃ」


 何かに気づいたらしく、懐をごそごそすると金に輝く横笛を取り出した。


「子河童。いや弥太であったな。お前には助けられた上に迷惑をかけた。この荒幡の権大師受けた恩義に礼を欠くことなど在りはせぬ。これはその礼を容にしたものじゃ。有難く受けとれい」


 大きな突き出された拳に華奢で繊細なつくりの金色の笛が握られている。

 横笛は金色に自ら輝き、優雅でそして何か不思議な気配を纏っている。


「おいら、何もしてないし、天狗さんに何かされたことも無いよ」


 弥太はきょとんとして首をかしげる。

 その声を聴いて、大天狗は凄まじい笑顔を浮かべた。


「そうであろう。そうであろう。儂はお前を傷付ける事等何もしておらぬな」


 瑠璃姫に流し眼をして咳払いしながら大天狗は続けた。


「が、しかしな。お前は儂についておった穢れを浄めて傷を治した。穢れにつけられた傷はいかなる存在でも容易には治らぬ。知っておるか?」


 身を乗り出して聞いてくる大天狗に対して弥太はふるふると首を横に振った。


「修身修法、古今の神術に通じているこの権大師の儂ですら、秘儀の限りを尽くしても百、いやいや儂ならば十年、本復にかかろうかという傷を容易く治した上に、祓うのではなく浄化し昇解せしめたのじゃ、お前があの穢れを、傷ごと癒したのじゃぞ」


 大天狗はにんまりとやっぱり凄い顔で微笑んだ。


「それだけでも天晴れであるところにお前は浄化し昇解せしめたことにより、穢れの源が何なのかを儂等に示した。お陰でやり様も目処も立ったのじゃ。この権大師いくら感謝してもしきれぬ。せめてもの気持ちじゃ、受け取れっ。わが一族の秘宝中の秘宝、要らぬとは言わさぬ」


 大天狗は豪快に言い放つと弥太に笛を押し付けた。そして弥太を睨みつける。


「これはな、『金翅鳥の舞笛』という。持つだけであらゆる害意から持ち主を護る。また振れば疾風金剛、退魔の風に降魔の音をのせて奏でる妙のもの。身を護る術の一つも未だ無いお前には必要であろう」


 云われるがまま笛を見やる。金色の横笛『金翅鳥の舞笛』はピッカピカでとてもいい匂いをしている。最初は少し大きすぎるかもと思ったけど、直ぐに手にもしっとりとなじむ握り心地で、持っているだけで気分が良くなってくる。

 弥太は折角の笛なのだからと吹こうとしてみた。

 大天狗は弥太の首根っこをぎゅうと押さえながらも意外に優しく喋る。


「これ、容易く吹こうとするな。お主が吹くと何かが起こりそうな気がする。今まで我が一族で吹けたものは居らぬからな。何が起こるかは分からん。故に弥太よ。その身が危険な時のみに吹け。お主であれば音色がなるやもしれぬからな。よいな」


 大天狗がギロリと睨みながら言葉を続けた。


「それとな。もの知らぬ、幼き河童よ。今後は『命の水』を、己以外の他のものに気安く使うのは止めい。河童の『命の水』は自分の命を自分に還して傷を癒す秘術。他のものに施せば命は還らず、それ即ち己が生命を他のものにくれてやるのと同じ。弥太、お前が死んでしまう。故にならぬ、忘れるな」


 弥太は、大天狗の顔に言葉に似合わぬ優しさに、あぁやっぱりと得心した。ギョロメの赤鼻で口も大きく怖い顔だけど、優しい心根がずっと見え隠れしているような気がしていたのだ。


 弥太は嬉しくなった。優しい人が沢山増えれば悲しいことはきっと減る。少しでも悲しくて苦しい、あの時のようなのが無くなって行けばいいなぁ。

 あの時って? 苦しいのって、なんだっけ。

 ギュンっと胸が疼く。

 何かを思い出しかけて胸が痛くなる。そうあの時のあのー助けて欲しかったことを。

 息が苦しい。

 頭がズキンズキンと痛む。

 弥太は蠢く闇をいつの間にか見ていた。

 ねばねばしていて息もできない真っ暗な闇。


(振り向かないで。ほら前を向いて。しっかりと見る)


 優しい風が弥太の周りをふわりとまわる。

 弥太ははっとした。


「これっ、聴いておるのかっ」


 大天狗が怖い顔して弥太を覗き込んでいた。

 あぁそうだ。おいらはここにいたと大天狗の怖い顔に驚きながらも弥太はホッとした。

 瑠璃姫は弥太を庇うように抱き寄せて、


「大天狗なのか悪鬼なのか分別の付きにくい面構えで迫られて、驚くなというのが無理であろ。ただ少しばかり急がねばならぬようでな。弥太、眠っている今あったこと主が感じたこと全て語りとおせ。よいであろ?」


 その綺麗な瞳で目を真っ直ぐに覗き込みながら話す。桜の花ですら赤面し色濃く染まりそうな艶やかさを備えて。

 大きくコクコクと頷く弥太。頷くこと以外できなかった。弥太も男の子である。

 大天狗は歯噛みしながら高下駄を踏み鳴らし、目を見開き呟く。


「こずるい小娘様めっ。儂を出汁にしよって」


 ふんっと鼻を鳴らして大天狗はどっかりと胡坐をかいた。

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