第14話 夢の先の白い猫
弥太が目を覚ますと辺りはすっかり真っ暗であった。
とはいえ月はぼんやりとかすみがかっているが出ているし夜目も普通にきく。
河童にとっては夜の闇など何の問題も無いはずだが、少し離れると薄らぼんやりと風景が闇に溶けてゆく程に暗い。
躰を起こし辺りを窺う。寝床になっているのはさっきと同じ青い水の珠の中だ。
この水の中に居ると不思議にすごく安心感がある。瑠璃の水神様はやっぱり凄い。
あれこれ考えながら、弥太は水の珠から外へ出ようとした。すると、
(仮初めとはいえ外には出ないで。水珠の中から御覧なさい)
何処からともなく声がする。いつも気づかない位の声が今ははっきりと聞こえる。聴きたくて聴きたくて求めて止まない、あの優しくて懐かしい物静かな声であった。
何故だかわからないが、疑問にも思わずその声に従った。
その声に従えば問題はないのだ。弥太ははっきりとそれだけは理解していた。
内側から外を覗いてみる。外はやはり真っ暗だった。闇が濃い。いくら水越しとは言え河童の命でもある見通眼がきかない。ただの暗闇ではなさそうだ。
しっかりと意識して目を凝らしてみると、少し大きな川べりで雪もすっかりなく、対岸の遠くでは誰かが火を焚いている。焚火の近くにいるのは人のようだ。一人ではないようで何人かいる。
弥太ははっとした。
人間には気を付けなければならない。さんざんぱらいろいろ言われた。やれ生き胆を抜かれるだのやれ干物にされるだのろくでも無い事ばかり。
お蔭で人間にはあったことがないが、すっかり怖い生き物だと思い込んでしまっていた。
そしてそれは大きな間違いではない。
ただ人間たちの様子が少しおかしい。なにやら宙空にむかって叫んで、鉄の棒で何も無いところを叩いている。
何か胸騒ぎがする。ここは良くない処だと身体の中の自分が言ってくる。
目に見えるもの耳に聞こえるもの肌で感じるものその全てに嫌な感じだ。弥太は後ずさりをした。
すると
「俺の呼びかけに応えてわざわざやって来て何びびってやがる。やっとこ繋げた命道だ。ほいほい切られて堪るか」
何処からか声がする。きょろきょろしていたらまた声がする。
「おい。いい加減にしろよ。俺様の爪で引っ掻くぞ。ここだよここ。下だ」
弥太が視線を下に向けるとそこには小さくて虎柄の白っぽい猫がいた。
「なんだよ。河童か。然も小せぇなぁ」
弥太よりはるかに小さな猫が見下ろされながらあきれ顔で弥太をなじる。
「おい河童。てめぇ大分子供のような、というかまんまガキじゃねえかっ。かなりやばい状況で必死だったのに、何でこの道がこんなオチビ河童に……繋がるんだ?」
小さな白っぽい猫は自分もまだ子猫然としたあどけない顔をしているのに随分とした物言いだ。何やら頭を抱えてブツブツ言い始めた。
「いやいや待てよ。ちいせぇ河童とは言えだ。俺の呼びかけに応えて来てんだし、破邪の神水でてめぇの周りを覆い幽世の路に入り込んでくる芸当は、そんじょそこらの物好きの類には出来る事じゃ無ぇ」
仔猫は愛くるしい顔を上げ「にゃがっ」と一声鳴いて
「ようしっ、仕方がねぇ。おい小せぇ河童。見ての通りだ。やばいんだよ。助けろ。俺だけならどうとでもなるが、ほれっ」
姿かたちには似つかわしくない乱暴な言葉を発すると、前足で焚火を指し示した。
焚火の周りに人間たちがいる。
「あそこには坊さんと子供らがいる。いいか憶えとけっ。坊さん三人とガキが二人の人間がだっ。齢の端もいかないガキの二人を護ろうと坊主三人が頑張ちゃあいるがもうもたねえ」
嫌な感じの風が吹いた。向こう岸の焚火の焔がゆれて少し小さくなる。
その拍子に
「ぎゃぁあぁ」
と若い男の悲鳴がたち、あわせて
「おのれっ及ばずかっ」
と老齢な男の声に苦鳴が聞こえた。
白っぽい猫は声のした方へ顔を向け、一瞬にして大きな白い虎へと変化すると雄々しく高々と吼えた。咆哮が辺り全てに鳴り響き空気すらゆらす。
咆哮に怯むがごとく闇が一歩下がったように見えた。それにあわせて焚火の焔が少し大きくなり明るくなる。
虎は前を見つめてしばらく低く唸っていたが、弥太に振り返った時には子猫の姿に戻っていた。
「胸糞わりぃ。坊さん二人はもう穢れの闇に引っ張られ染まっちまった。せめてガキ二人に坊さん一人は助けたい。俺もこのままじゃ守り切れ無ぇ。だからてめぇが助けに来い河童」
しばらく呆気に取られていた弥太もようやく自分を取り戻し
「助けにこいって意味が分からないよ。どうすればいいの? おいら ――」
猫は踵を返すと焚火の方へ向かい空を走り出しながら告げた。
「いいかっ、七日の内だ。昇るお日様を真っ直ぐ見据えて、三香月山の麓、鯉が淵の集落の先の河原だっ。他に頼りになる奴等をみんな連れて助けに来いっ。七日たった夜が来れば同じことが起きて、今度はみな死んじまう。俺様だけではもう誰も助けられねぇ」
猫は焚火の向こうへ消えてゆく。
弥太は猫に向かい手を伸ばしながら
「おいらわからないってばっ」
と叫ぶ。
「にゃーんっ」と猫の哭く声がした。
同時に辺り一面はまた白い光に覆われて何も見えなくなる。
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