第11話 水神様と大天狗と杜の運び手
楽しい時間は早く過ぎるものと相場は決まっており、人ならぬ身もそれは変わらない。
「無粋ものめらが。弥太との楽しい語らいにがなり声で邪魔とは。恐れを知らぬものよ」
瑠璃姫は水面を少し睨めつけ、ほうと溜息をついて優し気に声をかけて、
「弥太、主の迎えが来た。しかし、な」
弥太の頭をそっと撫でる。
「主は直ぐに戻れぬやもしれぬ。でも心配はいらぬぞ。主には吾がいる。また山神様の御一党に主の大事な千吉殿も何れ目を覚まし駆けつけよう。よいな忘れるでない」
弥太は、瑠璃姫の物言いがよくわからないが、なにか良くないことがありそうだと予感した。なので
「おいら、すぐ戻れなくても平気だよ」
瑠璃の水神様に心配をかけてはいけないと精一杯強がって見せる。怖がりの弥太はぎゅっと拳を握りながらそう言った。
瑠璃姫は目に優しい光を灯すと横たわる巨木のうろを見やりながら、
「吾は果報者じゃ。ほんにありがたきこと」
と呟くとふうと息を吹きかけ水玉を作る。その水玉に泉の畔の風景が映し出された。
そこにはふわふわ飛んでいる葉っぱの上にいつもの真面目顔をした太郎治とその隣に何やら大きい人影が見える。
赤ら顔にそれは大きい見事な鼻。ぎょろりとした眼で辺りを睨めつける様な表情。天狗だ。
瑠璃姫は天狗の顔を見、眉をひそめて、
「あれはの、荒幡嶽の大天狗じゃ。吾とは相容れぬ乱暴者の礼儀知らず。主も気を付けると良い」
言い放つ。その言葉に気圧された弥太に、
「怖い?齧られる?」
と真顔で訊かれ、
「気に入らぬものではあるが、大天狗と云われるだけのことはある。魔縁のものではない故そこは安心してもよかろ」
瑠璃姫は微笑み乍ら答えると、弥太の手を取り立ち上がる。冽とした碧き水が輝きながら身の回りを包み込み神々しさが溢れ出してくる。
「色々とせねばなるまい。参るぞ弥太」
弥太は、相槌を打つ暇もなく瑠璃姫に手を引かれて水面へ出たと思ったら、二本の足で水面にすっくと立っていた。
水面に立つなんてことは河童の弥太をしても初めての体験で、驚いて目を丸くしている。あわあわして声をあげそうになり、それを何とか我慢して嘴をぎゅっと嚙んで泉の畔を見た。
風も無いのにゆらゆらと風に吹かれるように舞っている葉っぱがある。その葉っぱの上には見慣れた真面目顔の太郎治がいて、その横に薄墨色の着物を着た赤ら顔の大天狗がいる。
矢張り目がぎょろっとして少し怖い。
「遥々ご苦労、太郎治殿。思うたより早かったの。それと権大師荒幡殿、久しいな。見栄が誇りの大天狗が情けない姿で吾の前に現れるとは。また叱られにでも参ったか?」
太郎治の真面目な顔はとても固くなっていた。かなりかしこまっている。
荒幡殿と言われた、赤ら顔にぎょろ目の大天狗は精悍な顔つきに凄味の効いた雰囲気を纏っている。腕を組みながら仁王立ちしているその姿は見るものに畏怖すら覚えさせる。
ただ衣は所々裂け、手傷も負っており血も薄っすら滲んで只事ではない。
ふんっと鼻を鳴らし瑠璃姫から顔をそむけると、視線すら合わさず、
「相も変わらずの高飛車な物言い痛み入る。儂や儂の眷族のみであれば、わざわざここまで腹の足しにもならぬ小娘様の言葉を頂戴することなど必要無き事なれど、此度ばかりはしょうがない。小娘様の封じが解けたと聞き及び、是非とも小娘様のお力添えを願いここまで罷り越した」
怪我など意に介していないらしく、大天狗は一息に言上して、眉をひそめてまたまたふんっと鼻を鳴らす。
弥太は難しすぎて大天狗の言い回しは分からないが、言い方が余りにも怖すぎてハラハラしていた。
水神様が怒るか悲しむかもしれない。
瑠璃姫の顔を恐る恐る見上げた。
「これはこれは見事な賢慮の口上承りまいた。では吾の力で荒幡殿の今生への未練、きれいさっぱり跡も残さず浄めて差し上げ、心残りなく常世へ送って差し上げよう程に。それがお望みであろ」
瑠璃の水神様が言っていることはよく解らないが、矢張り怒っているのだろうか。何か言い方が怖い。
ただ顔はにこやかなままだし怒っているようには全くもって見えない。
みんな本当は仲良しになれる。というか実は仲良しなのに何で自分の声を無視してわざわざ怖くするのか。
みんな自分の声を聴けばいいのに。
弥太には意地の張り合い問い事等思いも付かないのだ。ただただみんなが仲よくすることを願うだけ。
弥太の思いがこもった眼差しを受け、太郎治はこくりと頷くと、葉っぱの上から飛び降りて片膝をつき瑠璃姫に額づき、笛の音の調べのように語り始める。
瑠璃姫も外方を向いていた大天狗の荒幡殿も驚いた様子で太郎治をみた。
大天狗はひそひそ声で
「こ、これ太郎治殿っ。加勢はありがたいがお主の言はな……」
瑠璃姫は得意げな顔で
「事もあろうに太郎治殿に口上の助けを求めようとは。太郎治殿の言は大地の言。山神様以外聞き取れぬ。大分耄碌されたようだの。荒幡殿」
ころころとしかし少し棘ある笑い声をたて大天狗に放った。おのれしてやられたというような顔を大天狗がした丁度その時、
「うんうん。わかった。おいらが伝えるよ。瑠璃の水神様と大天狗さんに? 大丈夫」
弥太が太郎治と話しているのを、大天狗は驚愕の表情で、瑠璃姫は大輪の華を咲かせた満面の笑顔で、それぞれ見ていた。
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