第7話 清らかな泉の中に

 弥太は風に揺蕩う澄んだ水面を見上げながら、頬杖をついていた。

 風がそよぎ渡る足跡は光の陰影を波紋にして一帯に広がり美しい。たゆたゆと風に揺られてさざ波がおき、そのさざ波が点てる波紋が光の帯となり水面を飾る。

 いつもの弥太なら「ほう」とか「はう」とか言いそうな情景だが、違うことで頭がいっぱいで目に入らない。

 千丈の瀧の近くの深くて大きな川の筈が、そんなに深くもなくそんなに大きくも無い泉にあっという間にすり替わった。しかも泉の上では自分を攫ってきた白い大鷹が悠然とまって、怖い目つきでこちらを睨んでいる。

 流れもなく木々にぐるりと丸く畔を縁取りされている泉の中から迂闊に外に出られそうにもない。

 

 でも何故泉に?

 ついぞさっきまでは千丈の瀧のすぐ下の深くて大きな川にいた。 

 お腹を空かせた魚たちからどうにかこうにか逃れ、水面に向かっていた。

 お日様の光がキラキラしているのが見えて嬉しくなり一挙に飛び出ようとした刹那、白い光が辺りを覆って周りが全て真っ白になったと思ったら、白い大鷹に攫われて、この泉に放り込まれた。


 皿のふちをぴしゃんと叩く。


 周りをよく見てみよう。

 だいじょうぶ。水の中だもんね。


 水の陰すら映し出す、冽と冴えわたる青き水。一点の澱みすらもない清浄すぎるその水は、柔らかな日の光で水の青を更に引き立て、見た目にも美しく、陰影を鮮やかに澄み渡らせる。

 泉の真ん中、水底にどんと横たわる巨木の根っ子辺りから滾々と水が湧き出ている。水枯れなどには無縁そうだ。

 弥太はその巨木の上に腰かけ、澄み渡った青色の水に煌めくお日様を見上げながらぼんやりと考えていた。

 

 弥太は目一杯考えている。

 どうやって帰るか。ここがどこでどちらに向かえばあの森へ帰れるのか。

 元々が千吉との旅の途中で招かれた勝手すら判らない土地であり、この辺りのことは何も知らない。

 どんな処で何があるのか、どちらへ向かえばいいのかすら知る術がない。

 水に尋ねてみようとしても、此処の水はよそよそしく綺麗すぎて何も応えてくれない。

 弥太が中にいることすら嫌がっているかのようだ。そんな水の中に居るせいか勘も働かず、何かと助けてくれるあの不思議な感じも全くやってこない。

 弥太は困った。


 どうすればいいの?


 そして今、空とお日様を水面越しに眺めている。

 千吉が言っていた。どうしても困ったことがあれば空を眺めて一生懸命考えろと。

 それでもダメでどうしようもなければ『てんいをとえ』と唱えろと。

 良く意味は分からないが千吉が言うことに間違いがあるわけがない。だって千吉だからだ。


「テンイヲトエ」


 神聖な呪文のように厳かに弥太は唱えた。勿論意味など考えていない。

 ただ唱えれば何かが起こるだろうと弥太は身構えていたが何も起こらない。

 言い方が悪かったのだろうか。あれこれと考えて試してみる。


「テェンイーヲトエッ、て・ん・いを・とええっ」


 声色をいくら変えて言い方をいくら変えても何か起こるわけでも無く、弥太はうなだれてしまった。とっておきと固く信じ込んでいた呪文が役に立たず、どこに向かえば良いかすら分からない。

 そもそもお腹が空いて何か食べたいと思っただけなのに、今こんなところにいるのだ。


「ねぇ、てんいをとえ、おいらどうすればいいんだろう。千吉、起きてくれないかな。おいら一杯困っているよ」


 空を見上げたまま思いが言葉に乗る。


「ぶふーぅ」


 弥太は口から息というか泡を吐いた。口を開けたまま水面を見上げる。

 泉の水が舌の上に流れ込む。ここの泉の水はよそよそしいが味は抜群にいい。

 甘みがあって爽やかではっきりとしている。

 しかし水だけではお腹は一杯にならない。

 ここの泉の水が美味いばかりに、お腹が空いていることをすっかり思い出してしまったのだから余計だ。

 弥太は力なく口ずさむ。


「お腹空いたよー元気な子ぉー」


「なんだ、童っ子。腹が空いておるのか?」


 いきなり誰もいないはずの隣から声をかけられ、弥太はびっくりして


「うひゃぁっ」


 と変な声を出して飛び上がった。

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