ちょんちょんばーの日記
ちょんちょんばー
第一回目
僕は、普通の中学生男子生徒だ。別に得意なことがあるわけでもない。好きなことは、読書だったり、ゲームだったり、アニメだったり、音楽を聴くことだったり、いくつかあるけど、本を読むのが早いわけじゃないし、エイムがいいわけでもない。
僕は広島県に住んでいるが、ちょうど僕の代で、受験制度が変わる。どうやら「自己表現」というものが試験に加わったようだ。簡単に言うと、自分の好きなことや、得意なことでスピーチを作って、高校で何がしたいかを試験官の前でプレゼンする物らしい。もうお分かりの方もいるだろうが、最初に言った通り、僕は別に得意なことがあるわけじゃないのだ。
まいった。ほんとにまいった。最初に説明されたときから思っているが、この試験、今に僕にとっては難しすぎる課題なのだ。これは中学校生活最後の一年で頑張って得意なことを作らなければならない。がんばろ…。
さて、話は変わるが、あなたは”読書”がライトノベルを読むことも含んでいると思うだろうか? 僕は、「ライトノベルなんて読んでも読書にならない」や、「ライトノベルは本より漫画に近い」というラノベに対して否定的な意見をよく耳にする。もし”読書”が「書物を読むこと」だとするならば、ライトノベルを読むことも十分”読書”に含まれると思うのだ。
しかし、否定的な意見も理解できないこともないのだ。確かに、ライトノベルは、ネット発の作品も多くあるし、ごくたまに日本語がおかしかったりするのもわかる。僕は文学的なことはあまりわからないが、昔ながらの小説よりも、技術的な面からみると、描写などが粗雑なのかもしれない。だが、僕が思うに、それも一つの芸術なのだ。文学的には全く洗練されていないかもしれないが、それが逆に作用して、ストレートに登場人物の心情を伝えることだってあるのだ。
日本語がおかしかったりする点についても、それは日常会話と同じだと思うのだ。いろんな人と話していくことで、当然のことに間違った使い方をされている日本語も混じってくる。これとまったく同じことだと思うのだ。また極論を言うと、言語というのは、時代とともに変化していくものなのだ。今使われている慣用句だって今と昔で、意味や使い方が違ったりするものもあると聞いたことがある。
硬いことを言っていないで、変化を受け入れようじゃないか!(笑)
急だが、僕は呪術廻戦という漫画(アニメ)が好きだ。この作品は、アバウトに言えば呪いのお話だ。(めっっっっっっちゃアバウト!) 世界観がすごいのだ。(語彙消失) アニメのOPも作品の雰囲気をしっかりと掴んでいて、初めて聞いたときにとても驚いたのを覚えている。キャラクターも、それぞれの個性があって、その掛け合いが面白い。(中には人間ではないキャラも…) ちなみにいうと、僕の推しキャラは狗巻棘くんだ。
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