第154話:子どもと大人
アスガルド王立学園の伝説となった講義ぶち抜きの決闘から一夜明け、週末を迎えた夕食時の食堂はいつも通り大盛況となっていた。
「あっ」
その伝説を生んだ張本人であるクルスが食堂に来ると、科を跨いだ学生たちの視線がぐぐっと集まる。
「……」
クルスは仏頂面のまま隅の方へ向かう。あのクレンツェを打ち破った一般の星、方々に出払い数の少ない上級生と同級の者たち以外からは熱い視線が向けられ続けるも、話しかける者はいない。
「おっ、クールで近寄り難い格好いい先輩のクルス君じゃん」
「……茶化すな、ミラ」
三学年の時はド底辺の珍獣。四学年のクルスは知る人ぞ知る枠。五学年でようやく広く認知されるに至り、ミラの言う通りクルスの印象はいつの間にやらクール系男子の枠になっていた模様。しかも目つきが鋭く、と言うのは贔屓目で目つきが悪くなっただけなのに涼やかな瞳がどうたら、とこれまた下級生から尊敬と色々な感情が入り混じった視線が向けられていた。
本人は口調含めて人除けのつもりなのだが。今は逆効果である。
「で、どう? クレンツェとどんな雰囲気よ」
(うっそだろあの女)
(大人しくなってきたと思ったけど、やっぱバケモンだわ)
久方ぶりにモンスターっぷりを披露するミラ。誰もが気になるが、誰一人触れようとしない、触れないのが当たり前のことを容易に触れるのがミラたる所以。
「講義の通りだが?」
「今日、一言も話してないじゃん」
「話す必要がなかったからな。部屋でも同じだ」
「……仲悪いん?」
「さあな。俺はメシを取って来る」
「あ、私の分もよろしく」
「……なんで、俺が」
「私、偏食だからね」
「……知ってるよ」
四学年の時の一件以来、少し距離が出来ていたはずなのだが、最近になって吹っ切れたのか以前同様のモンスターに戻ったミラはクルスを顎で使う。
昔は「はいはい」と受け、今は苛立ちを全力で表情に出しているが、残念ながらミラがそれを見てすらいないので何の意味もなかった。
断れないところがクルスの弱さである。
(……今日は確か朝、タンパク質20g、昼に30gほどだったか。魚を少し多めに40g目安で……くそ、どうしてこの学校は揚げ物が多いんだよ)
フィジカルトレーニーあるある。食事を見るだけである程度のPFC(タンパク質、資質、炭水化物)が数値で見えるようになる。
クルスもフィジークの講義やソロンから教わった書籍の知識をもとに、すでにその境地へ辿り着いていたのだ。
ただ、本学はビュッフェスタイル。学生たちの栄養も考えているが、それ以上にフードロスを削減するためにも学生の好みにある程度寄り添った料理が並ぶ。
要は油物が非常に多いのだ。
どんな食材も油を通せば美味しくなる。何なら油そのものも美味い。
特に若い内は――
「むむ、わしの好物が入っとらんぞ」
「フィッシュチップス、ポテトフライ、どちらも抜いておきました」
「な、なんじゃと!」
「油物を控えるように、とお医者様から伝えられておりますので」
「なんで医者はわしに直接伝えぬのだ!」
「言うことを聞かないからでしょうに」
恥も外聞もなくぎゃーすか騒ぐ某英雄は例外だが。二回りは世代が違うのに英雄係をせねばならない苦労人の大変さが身に染みる。
そんな騒ぎを尻目に、
「ほらよ」
「あら、どうもー。クール系イケメン先輩枠のクルス君」
「……やめろ」
「あんたがそのイキリモード辞めたらね。……おい、揚げ物が少ねえぞ」
ミラの皿に盛りつけられた食事はとっても健康的な献立であった。クルス水準でPFCバランスに優れ、食物繊維や各種栄養素も摂取できる、となると必然的にこうなる。モンスターは失念していたのだ。
目の前の男はイキリ倒すより前、去年から意識高いトレーニーとなっていたことを。全ての健康は食事から、食事八割運動二割、ボディメイクの鉄則である。
「俺に任せたからだ。健康を気遣ってやったのさ」
クルス渾身の反撃炸裂。
「表出ろ。拳で畳んだる」
激昂ミラ、吼える。
「何でもありなら、無手でも俺が勝つけどな」
「上等」
バチバチのクルスとミラ。剣と拳で互いに住み分けが出来た、と思いきや今度は無手の枠での争いが勃発していたのだ。今は亡き二つ上の先輩たち(全員きちんと就職済み)の想いを背負い、何でもありのパンクラを継ぐ男、クルス。王道たる拳闘の歴史を背負うミラ。双方、別に其処はどうでもいい。
「はいはい、二人ともいちゃつかない」
「「は?」」
其処に割って入るは五学年きっての常識人(相対的)ラビであった。いつも一緒のリリアンは離れたところで何故か爆食している。
嫌なことでもあったのだろうか。
「ラビ、これは闘技の優劣にかかわる問題だ。より完成度が高く、合理的で実用的な武術がどちらか、と言う。蹴れない、極められない、組めない、それでは常に完璧を目指すべき騎士の採用する技術とは言えない」
「ハァ、リカルド先輩が草葉の陰で泣いてるわよ」
当然、リカルドも死んでいない。元気に働いている。
「拳闘の技術は有用だ。それだけでは完璧ではない、と言っている」
「とりあえずおモテになって困ってるみたいだし、顔面ボッコボコに陥没させてあげるから、それから話しましょ」
「……自慢の腕が折れても泣くなよ」
「だから止まれって。下級生も見てるんだから。紳士たれ、心の中で百回唱えて飯食べなさいな。ったく、もうガキじゃないんだし勘弁してよ」
「「……」」
ラビの言葉でボコボコに殴られ、黙って席に着く二人。イキリクルスと激昂ミラを口で粉砕したラビの周囲からの評価がぴょこんと上がる。
少し落ち着いた後、
「フレイヤちゃん、今日は一人で食事なんだね」
どさくさに紛れてクルス、ミラ、ラビ、そしてリリアンの四人で食事をする羽目となり、其処でリリアンが口を開いた。
「今更? お勉強だけ出来ても頭にキレがないわねえ」
「……ちくちくが強い」
ミラのちくちく言葉(平常運転)に項垂れるリリアン。
「週末、お休みを前にお呼ばれしてるんでしょ、相方が」
「……あっ」
最近に限らないが夕食時は大体一緒であったデリングがいない。明日のお休みを前に、緊急の呼び出しを食らっていたのだ。
随分と急ぎの要件なのだろう。
まあさすがに、
「あれれー、クール系イケメン先輩枠のクルス君ピーンチ」
このタイミングで、となれば推測するまでもない。用件は一つ、対抗戦ラインの手前まで登って来た雑種、クルス・リンザールの件であろう。
今までディンが蓋をし続けてきた対抗戦への道。それがとうとうこじ開けられてしまったのだ。まだクレンツェならば認める余地はあっただろう。
だが、リンザールでは――
「……」
クルスはほんの一瞬、離れたところで何とも言えぬ表情を浮かべたまま、こちらの様子を窺うフレイヤを見る。少し前まではデリング以外とも、それこそ去年はクルスとも食事を共にしていたが、ある日を境にパタリとなくなった。
クルスだけではない、デリング以外の誰とも近づかなくなっていた。その理由はこれまた察するしかないが、
(……似合わない)
おそらく何らかの圧力がかかったのだろう。
名門の、大人の、圧力が。
「クルス君は対抗戦、出たいよね?」
リリアンの問い、遠くでビクリとフレイヤが反応する。誰も見ていない。クルスだけがその、似合わぬ反応を見ていた。
だから、
「別に。出ても出なくても、俺は自分の値段を上げてユニオンに売りつけるだけだ。対抗戦は手段、目的じゃない」
クルスは皆に聞こえるようはっきりと答えた。
熱狂的なクルス信者と化した後輩たちは「カリスマ過ぎんだろ」と尊敬の念を深める。同期からはイキリにしか見えずとも、下からは輝いて見える、らしい。
(まあそもそも、あのクソカスが対抗戦に関しては明らかに消極的だ。俺が出ない方が都合は良いんだろうな。だからこそ、出ておきたいところではあるが――)
申し訳なさそうに縮こまる彼女を見て、これ以上彼女を追い詰めてまで対抗戦に出たいとも思っていない。そもそも、今の目標はすでにイールファスたちですらない。レフ・クロイツェルの首、ただ一つである。
あの男を引きずり下ろし、その先で騎士の頂点を目指す。
大事なのは、彼から自分の成長に必要なすべてを毟り取ること。そのために近くに居続ける必要がある。それ以外は重要ではない。
ゆえに対抗戦は必須でない。
「……ケッ、お優しいこって」
「ああ。他人の健康を気遣えるぐらいには優しいさ」
「……ほォ」
「はいどーどー!」
クルスは視界の端で、少しだけホッとするフレイヤを捉えたあと、それきり視界から彼女を外し、食事に注力した。
出られるなら出ておきたい。だが、無理をして出る気もない。そもそもクルスは国立の騎士学校、其処から奨学金と言う名の借金をして学校に通っている身である。学園の上に王国があり、要は国から借金をしている構図なのだ。
つまり、クルスは現状首輪付き、国家に逆らう資格すら持たない。
今のクルスなら捨てられたところでどうにでもなるだろうが――
(ユニオン入りするなら、協賛であるアスガルド王国と事を構えるのは悪手。ある程度は仲良くしておかないとな。所詮はあっちも、紐付きなわけで)
王国とユニオンの関係は嫌と言うほど学んだ。今も歴史を介し学んでいる。クルス同様、ユニオンもまた王国の奴隷。加えて王国同士の横のつながりも強固、捨てられたところでおそらく国立の騎士団への編入は難しい。
あらゆる観点から、クルスはこの先を静観に徹すると決めていたのだ。
むしろ恩を売る機会とすら、考えていた。
〇
「久しぶりだね、デリング君」
「きゅ、宮宰閣下」
急遽実家に呼び戻されたデリングを待っていたのは、当主である父とこの国の宮宰、すなわち王の右腕であった。
王宮内ではナルヴィ風情、吹けば飛ぶほどの地位の人物である。
しかもその護衛には近衛騎士隊の隊長が。デリングが団入りした際、配属されるであろう部署における現場の最高責任者であった。
「姫様との顔合わせ以来かな。随分とたくましくなった。先ほども御父上と話していたのだよ。君はとても立派になった、と」
「いえ。まだまだ自分は未熟者です。より高みを目指し精進し――」
「いやいや、充分だよ。もう、充分なのだ」
「……それは、どういうことでしょうか?」
「そのままの意味だよ。君は今、学年三位の成績と聞く。実に素晴らしい。上にはルナ族の名門エリュシオン、そして我らがアスガルドの誇りであるヴァナディース、だ。ゆえになお、三番手と言うのは最高だ、そう思わないかね?」
「……はい」
デリングは手を握り締めながら肯定を絞り出す。正直、この陣容を見た時点で、いや、呼び出しを受けた時点で覚悟はしていた。
だが、いざ目の前とすると――
「この上を目指す必要はない。無論、エリュシオンなら構わないが……それは無理だと聞いている。私は門外漢だから、あくまで又聞きだがねえ」
「閣下のおっしゃる通りです」
「そうか。なら、君には是非、その三番手を死守してもらいたいのだ。上を目指さず、下に落ちることもまかりならん。意味は、わかるかね?」
「必ずやご期待に沿えるよう誠心誠意努りょ――」
「意味は、わかるかね?」
デリングの掌に、血が滲む。
「……わかり、かねます」
「デリング!」
父から叱責が飛ぶ。それを宮宰は手で制し、
「大人になりなさい、デリング・ナルヴィ。君は姫様と結ばれる男だ。男系でなくとも王家の一員となる。名誉なことだ。ナルヴィにとってはまさに誉れ。君の双肩には一族の、そして王家の威信がかかっているのだ」
静かに告げる。
「わかっております! しかし、私はクレンツェの、そしてリンザールの、まさに騎士の決闘と呼ぶべき、死力を尽くした戦いを見たのです! 精根尽き果てるその時まで足掻き抜いた、素晴らしい戦いでした。そんな彼らを裏切りたくない。どうか、お願いします。私に、戦う機会をください!」
デリングの必死な言葉は、
「私は君を信じているがね。ただ、万が一にも負けてもらっては困るのだよ。これは王家の、面子の問題だ。大事だよ、面子は。世の戦争の多くは、面子ってやつを潰したところから始まっているものなのだ。……乳臭い話は、聞きたくないな」
何一つ、目の前の大人には響かなかった。
「隊長」
宮宰は自らの護衛である近衛騎士隊長へ声をかけ、発言を促す。
「はっ。デリング君、私は君を後継者に、と考えている。近衛騎士隊の隊長は、団長にも匹敵する特別な役割だ。この国の騎士の到達点、その一つとも言える」
「……」
「私の記憶では……ナルヴィが近衛の隊長を輩出したことは、なかったはず。君は一族の歴史に名を遺す男、となる」
「素晴らしい。輝かしい未来が目の前にある。君の、そしてナルヴィの、王家にとっても優秀な者が血縁となるのは喜ばしいこと。しかも、おっと、君の同期であるフレイヤ君、ユング君は長期政権となるだろうが……もしかするとその次の団長、となるかもしれない。そうなれば同期の二人がこの国の騎士を背負って立つわけだ」
「実に素晴らしいことです。そう思いませぬか、ナルヴィ殿も」
「無論。誰にとっても喜ばしい明日ですな」
宮宰、隊長、そして父。
三人の大人が笑みを浮かべてデリングを見つめる。
「もう一度だけ聞くよ。意味は……わかるかね?」
デリングは震えながら、
「わかり、ます」
そう、答えるしかなかった。
〇
「何が名門だ! 何が武門だ! これが紳士か!? これが騎士か!? ふざけるな、ふざけるな! 腐っている、あまりに、腐って、いる」
デリングは涙を滲ませながら、自室で一人向けどころのない怒りをあらわにしていた。すでに屋敷には宮宰も、それを王宮まで送り届けるための父も、いない。
其処まで待たねば、声一つ荒げることすら出来なかった。
「俺は、皆に、あの二人に、どんな顔をして……」
クルスに、ディンに、顔向けが出来ない。逆らうことも出来ず、ただ憤るしか出来ない弱い自分に腹が立つ。
死力を尽くし戦った、あの尊敬に値する二人に――
「すまない。俺は……騎士、失格だ」
顔向けできない。
それが悔しくて、痛くて、デリングは一人涙を流す。
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