第68話:しっぽ取りの真意
クルス・リンザールの圧、普段と違うそれにラビたちは驚いたが、やることは変わらないと頭を切り替える。端からクルスが投入された時点で、ラビ、リリアンの中では相談せずともやるべきことは決まっていたのだ。
「――はじめ!」
開始即、
「……!」
クルス狙い。ラビ、リリアンは迷わずにクルスへと突貫する。左右、挟むように展開し、クルスは背後を取られるのを嫌いライン上まで後退する。
ここまでの動きは想定通り。二人とも後ろを取れるとまでは思っていない。そのまま左右から、二人で攻め潰す。
が、
「簡単には取らせないよ」
(……この手、邪魔!)
(何だろう、ただ手を向けられているだけなのに、嫌な感じがする)
クルスは二人に手を向け、牽制する。ソロンの戦いは全て見た。彼は常に有利な位置取りを模索し、取れぬ時はこうして手足を差し込み、相手の空間を奪い取っていた。ソロンほどの圧はなくとも、嫌がらせにはなる。
これの本質は、
「……陣取り合戦だ」
空間の奪い合いであるから。
見下ろすノアの目に映るは自身の好敵手、ソロンの姿であった。彼に比べるとあらゆるものが足りていない。練度も含め猿真似レベルの模倣。
ただ、見えてはいる。
「空間の奪い合い。あいつは集団戦も、個人戦も同じだと言っていた。俺にはよくわからん感覚だが、その辺は同じ感性があるのかもな」
ノアの『あいつ』が誰を指しているのか、上位陣ならば誰でも理解できる。
「ただ、それよりも驚きなのは――」
ノアは幼馴染の奮闘を見て微笑む。
「あの二人、ですわね」
「あいつ、いつやる気出したんだ?」
フレイヤに問いかけるノア。幼馴染が腐っていることは親伝手で聞いていた。元々別に騎士になりたいわけではなく、そこそこ出来たから騎士学校を選んだだけ。高い目的意識を持った面々を見て心折れ、よくある話である。
だが、今の彼女にそんな雰囲気は見えない。
「今目の前の相手に拳闘で敗れてから、だったかしら」
「……? そりゃあ負けるだろ。だってあいつ、あの中で明らかに頭一つ抜けてんじゃん。こっち居てもおかしくない奴だろ?」
「あら、あなたの眼にはそう見えますのね」
「はぁ?」
「あそこのクルス・リンザールが最下位ですわよ、わたくしたちの代の」
「……相当勉強が出来ないのか?」
「それもありますが、それ以上に馬鹿みたいに伸びましたの。たった一年で、最下層から一気に……さすがに皆、許容し難かったみたいですわよ」
「……へえ、なるほどね。あのアマダがやる気出すぐらいには、落ちこぼれだったわけか。そりゃあ確かに、面白い奴だわな」
フレイヤとノアの会話。それはこの場の全員、約二名は除くが皆にとって衝撃を与えていた。アスガルドの三学年、相当優秀だとは聞いていた。
「ただ、わたくしが知るよりも明らかに――」
イールファスはもちろん、フレイヤ、デリング、ディンにミラ、いずれも代次第では余裕で学校の看板を張れる面々である。対抗戦優勝候補なのは間違いなく、それなりに皆も警戒していた。だが、それは上位陣の話。
下位の厚みには目を向けていなかった。
(あの男が最下位? 冗談だろ?)
(うちの学校なら普通に上位レベルだぞ。この代のアスガルドはどうなってんだ?)
(あの二人もかなり出来る。何よりも――)
初見の皆は驚く。初見でない者は――
(……本当にあの時の子か? 随分と見違えたな)
より驚く。テラは一年前、闘技大会で彼を見た。面白い子だと思っていたが、無理をして取るほどではないとも思っていた。
ただ、今のレベルを思えば明らかに買いであったように思える。
(噓でしょ。滅茶苦茶よくなってんじゃん)
ジュリアも、
(文面は平静を装っていたけど、それでも零れていたもんな、最下位の悔しさ。それをばねに跳ねたんだね。よく見えるよ、努力の跡が)
フレンも驚く。ジュリアは追いつかれた焦燥感を、フレンはここまで這い上がって来た彼への賞賛を浮かべながら。
そしてもう一人、
(実に面白い設計だ。ここまで見えるものかね、作り手の思想が)
特別クラスのアシスタントであるシャハルもまた驚き、笑みを浮かべていた。彼だけは少しだけ毛色が違う。合理的に、理屈としてクルスの戦技から設計者の意図をくみ取っていたのだ。恐ろしいほど緻密に組み上げられた一種の芸術品。
様々な思惑が入り乱れる中、
(うん。今日は調子いいや。意識しているからかな、よく見える!)
クルスは落ち着いて二人を捌いていた。伸びてくる手を塞ぎ、お尻に届かないようにすれば安全。二人も創意工夫してくるが、今日は間違える気がしない。
(……さすがに戻してるか、調子)
(それどころか崩す前よりも実力自体が上がっている。さすがだね、クルス君)
一時期調子を崩していたが、あれでクルスの評価を下げた者は下位メンバーでは一人もいない。彼らが一番、ぶっちぎりの底辺だったクルスの伸びを目の当たりにしてきた。誰が油断など出来るか。しかも得意な型まで封じられていたのだ。
御三家に入ったプライドを取り戻した彼女たちは――
((でも!))
「さすがにきつい」
全力でクルスを追い落としに動く。彼女たちは知っているから。調子を戻した彼はこの場で最も厄介な存在であることを。この遊戯の意図は正直わからない。わからないが本気で勝ちに行くなら当然、この男の排除が最重要となる。
「ふっ!」
「あっ、しまった!」
「ちぃ!」
何とか二人の挟撃を抜け、ライン際から撤退するクルス。全力の二人を捌き切るのは難しい。見えているからと言って手が二本から四本に増えるわけではないし、足捌きにも限界はある。これ以上の負荷は困るのだ。
だけど、
「見えてるよ」
「……なるほど、本物だな」
彼女たち以外の矛先もまた、クルスに向いていた。死角からの急襲すらクルスは腕を掴み、見えているぞと威嚇する。
「あいつ、うちの中堅どころだ。レムリアじゃ枠に入れないから、メガラニカにステップダウンするつもりなんだろ。当然、必死だぜ」
ノアは彼の選択を逃げとは思わない。むしろいち早く決断し、最善の道を模索する同期への敬意が勝る。腹を括った者は強く、手段を選ばない。
ここにいる上位組よりもずっと、彼らがこの場にかける思いは強い。
ステップダウンする者、ステップアップを目指す者、まともな編入としてはほぼ最後の機会となる今この時を挑戦に費やす者。
全員の意志が、
「く、そ!」
「悪いな」
「俺も後がないんでね」
「この場で一番強いお前を――」
「落とす!」
一つになる。手が増える。全部見えている。俯瞰はこんな状況でも生きている。だけど、だからと言って全てに対処できるわけではない。
所詮一人の人間の力では、
「はい、おしまい!」
「ラビ!」
間を縫い、クルスの両腕に自らの両腕を合わせ一瞬、彼の受けの要である腕を潰す。すぐさまその拘束を外すも、一瞬あれば今の彼女には十二分。
「ごめんね。クルス君」
「くぅ、やられたぁ」
リリアンが隙間から手を伸ばし、さっと尻尾をかすめ取る。クルスが最初に脱落することになった。悔しがるクルスはとうの昔にアシスタントの役割を忘れている。この男、結構、いやかなり、負けず嫌いであるのだ。
「んじゃ――」
そしてクルスがいなくなった瞬間、
「やろっか」
ラビとリリアンが衝突する。他の者も一気に乱戦模様。クルスはその様子を見て「卑怯だ」「何故俺ばかり」「あまりにもひどい」などとブツブツつぶやいていた。その様子を横目にピコはケタケタと笑っていた。
そして、彼らを見ていた特別クラスの面々は、昨日の自分たちの行動を鑑みて猛省していた。自分たちよりもレベルの低い彼らが教えてくれたのだ。
このしっぽ取りと言う訓練、その意味を。
「しっぽ取りは集団戦、連携の訓練だったのですね」
フレンは皆を代表してユーグに私見を述べる。
「そうだね。メガラニカではそう教えているよ。低学年では俊敏性や乱戦時の立ち回りを鍛え、高学年では適宜目的に応じた連携を求められる。この目的と言うのが肝でね。ここ次第で立ち回りが変わって来る」
ユーグは皆へ視線を向ける。
「今回の目的は相手のしっぽを取ることじゃない。生き永らえることだ。その場合、最大の障壁は誰か。君たちはよく知っているだろう? なら、君たちは迷わずに彼だけを狙うべきだった。先ほど、下の彼らがそうしたように。それが目的に応じた動きだ。この程度の判断はね、瞬時に出来るようにならねばいけない」
あの場で最も強いクルスが狙われたように、ノアにもそうすべきだったとユーグは語る。集団戦の訓練は本質ではない。
目的に応じた行動を迷いなく行う、それが訓練の本質である。
「騎士は目的、つまり任務を達成するために行動する。時には割を食うこともある。それでも迷いなく、澱みなく、瞬時に……何よりも重要なことだよ、これは」
目的に応じた結果、手を組む必要があるのなら迷わずそうすべき。遊戯であろうが関係ない。果たすべき目的があるのなら、全力を尽くすのが騎士の役割である。
「わかっていても俺を止められない、って判断をしたんじゃないですかね。何処かの誰かさんは……なぁ?」
ノアはテラに視線を向ける。テラは目を伏せ、ノアは舌打ちした。
「相手は同じ人間だよ。止められないことはないさ」
「へえ。なら証明してくださいよ、マスター・ガーター」
「……困った子だねぇ」
明らかな挑発。ノアはユーグを見据え、挑戦しようとしていた。今の自分と秩序の騎士、その隊長格との距離を、知りたいと思ったから。
「とりあえず元の広場に戻ろうか」
特別クラス一行はもう一つの広場へと移動する。
戻った後、ユーグは今一度皆の前に立ち、
「それじゃあ今から手っ取り早く組み手をしよう。僕が相手になるから、一人ずつ順番に剣を交わそう。で、僕に負けたら広場を一周、また並ぶ。その繰り返しだ」
次なる講義の内容を説明する。まあ、説明するまでもないほどにシンプル極まりないやり方であったが。
「マスター・ガーターに勝ったら?」
「んー、それはないから安心していいよ」
「……面白ェ」
ノアは早速前に進み出た。文句は言わせない、俺がやると彼の背中が、全身が語る。レムリアの騎士とはそれなりの頻度でやっている。学生が相手にならぬから先生や現役の騎士とばかりやり合い、普通に勝利もしていた。
上とやり合う経験は積んでいる。
「てっぺんとの距離、測らせてもらうぜ」
「僕は其処にいないけど……まあ、世界の広さぐらいは教えられると思うよ」
「へへ、楽しみだ!」
秩序の騎士隊長格と黄金世代最強の一角。普通に考えたら隊長格のユーグが負ける要素はない。だが、ノアを含めた三人は特別なのだ。
もしかしたら、誰の頭にもそれは過る。
彼はそれだけの天才であるから。
「じゃ、始めようか」
今、彼らの距離が示される。
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