8.3 オルレアン勝利までの12日間(3)
レ・トゥーレル城砦の奪還作戦中に、ジャンヌ・ラ・ピュセルは矢で射られてはしごから落下した。
ジャンヌはつねに最前線にいたから、はしごの下には進軍が遅れぎみの兵士たちが溜まっていて、そのおかげでジャンヌの体は硬い地面に叩きつけられる事態をまぬがれたようだ。
それでも、「聖人かもしれない少女が高みから落下した」光景は、両軍の兵士たちに強烈な印象を残した。
ジャンヌがオルレアンに来て10日余り。
押されぎみだったイングランド軍では「吉兆だ!」と歓声が上がり、勢いを取り戻していたフランス軍では「悪夢だ!」と悲鳴が上がった。
動揺が広がるかと思われたその時、
「退却すんな!!」
ジャンヌは倒れたまま、はしごにたむろする兵士たちを怒鳴りつけた。
「あたしの『声』を聞きなさい! あたしがいなくても進むの!! 今すぐに砦を取り戻すの!!! 早く行って!!!」
それで、攻勢を中断してはしごを降りかけていた兵士たちは、ジャンヌの剣幕に喝を入れられて再びはしごに手をかけ、レ・トゥーレルの城砦を取り戻すべくのぼり始めた。
あれほど大きな声を出せるなら大丈夫だと安堵したのもあるだろう。
しかし、本当は自力で起き上がることができなかった。
「あたしに構うな……!」
ジャンヌを抱きかかえて起こそうとする兵士の手を払い除け、涙と血にまみれながら興奮気味に、しかし掠れた声でまくし立てた。
「あ、あたしを可哀想だと思うなら……、あたしを聖女だと担ぎ上げるなら……、早く奇跡を起こしてよ……! できないなら死んだ方がましなんだから……!!」
痛みと恐怖で動転しながらしゃくり上げ、すすり泣いた。
そのとき、射られた時に手放してしまった軍旗が、どこかに引っかかっていたのか、一足遅れてふんわりと落ちてきた。
「あたしはきっと死んじゃうんだ……。今日かもしれないし明日かもしれないけど、こんなことしてたらいつか絶対に死ぬ。でも、奇跡が起きてこの傷が治ればいいと思ってる……。痛い、痛いよぉ……」
デュノワの指示で、ジャンヌは後方に下げられた。
人目につかないところで武装が解かれ、矢傷にオリーブオイルを塗って応急処置を受けた。
「大丈夫だ。死にはしない」
「すんすん……」
矢は肩を貫通していた。ひどい痛みと見た目だろうが、中途半端に刺さって矢の破片や折れた木片が肉体に残るよりも予後はいい。
「あたしの旗はどこ?」
絹のフリンジで縁取られた白い旗で、青い盾と王家の金百合、聖句を取り囲む天使たちが刺繍されている。泣きじゃくりながら、柄に巻きつけた旗をしばらく抱きしめていた。
「これを持って行ってくれる?」
ジャンヌは自分の身代わりに、涙の染み込んだ白い軍旗を最前線へ持っていくように頼んだ。
「承知した」
「今日中に勝ちたいの」
「……善処する」
「あたしの『声』がそう言ってるの。絶対に勝って……!」
この日、ジャンヌ・ラ・ピュセルの旗下で、二十回におよぶ攻防が繰り広げられ、ついにレ・トゥーレルの城砦を奪還。ジャンヌの指示で、オルレアン勝利を知らせる伝令がシャルル七世の元へ送り込まれた。
*
ジャンヌの12日間におよぶ武勇伝は、胸が痛む。
つい夢中になって聞いていたが、話の締めくくりに違和感がある。
「いい話だと思うが、私の理解するところでは……、まだ勝ち確定とはいえないのではないか?」
私からの突っ込みに、伝令はしどろもどろになりながら、ジャンヌいわく「心配しないで! 伝令くんが王太子さまに伝えるころには間違いなく勝ってるから」と自信満々で送り出されたという。
「むう、そんな不確定なことを言われてもな……」
「陛下のご懸念はもっともですが、私から見ても八割、いや九割がた勝っていました。どうか信じてください!」
ずいぶん熱心にかばうので、私は内心で「この伝令は間違いなくジャンヌ信者だな」と当たりをつけた。
「ジャンヌはいつも私たちの先を行き、前進し続けています。勝利が確定する前に伝令を送り込んだのも、時間を無駄にしないための策です」
もちろん、ジャンヌのひたむきさは称賛に値する。
その一方で、自己犠牲も辞さないほどの格別な思い入れは少々心配でもある。
「せっかちな少女だ。私としては、もう少し自分を労ってほしいのだが」
「仕方がありません。すべては一刻も早く戴冠式をおこなうため、陛下のためです」
オルレアン包囲戦の「ほぼ勝利」を成し遂げたジャンヌは、すでに次を見据えていた。
約束通り、二度目の戴冠式——ある意味、正式な戴冠式をおこなうためにランスへ行軍する準備をしてこっちへ来いと、私を呼びつけたのである。
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