8.2 オルレアン勝利までの12日間(2)

 確かにジャンヌ・ラ・ピュセルは好戦的なところがあったが、決して英雄狂ではなく、義侠心からくる「正義感」と異常な「行動力」が原動力だった。


 オルレアン到着直後のショックが収まると、ジャンヌは口述筆記でイングランド軍の総司令官ジョン・タルボットに宛てて手紙を書いた。デュノワいわく、公文書としてはかなり稚拙な言葉づかいだったらしいが、山育ちの少女らしい素朴な言葉で「イングランド軍の撤退」と「英仏両国の和平」を説いた。

 誠意と清らかな心を示すために、ジャンヌを導く「声の主」——天使や聖人の名をいくつか連ね、末尾に自分の名前を署名した。


 心を尽くした手紙を使者に託し、イングランド軍の砦に持っていくと、タルボットは「魔女の使い」として使者を捕らえて、火刑に処すことを決めた。


 幸い、本物の火刑は行われなかったが、オルレアンの城壁から見える場所に火刑台が設置された。


 それを見てジャンヌは大いに憤慨し、砦の周囲を駆けながら同じ内容の手紙を投げ込み、「使者を帰しなさい。神を信じるなら降伏してオルレアンから離れなさい。フランスから出ていきなさい!」と何度も叫んだ。

 砦に立て篭もるイングランド兵たちは、ジャンヌの呼びかけに耳を傾けるどころか、げらげらと嘲笑しながら「おまえも燃やしてやろうか?」と挑発した。


 ジャンヌはいままで経験したことのない罵詈雑言を浴びせかけられながら「ああ、これでもう戦いは避けられない」と絶望した。

 また、イングランド軍の非礼と横暴を目の当たりにして「絶対に王太子さまにフランス王になってもらわなければ!」と決意を新たにした。


 シャルル七世の重い腰を動かすには、オルレアン包囲戦の勝利が条件だ。


 ジャンヌはオルレアンの町に戻ると、教会にこもって長い時間をかけて祈りを捧げた。本当にただ祈っていたのか、身の振り方を迷っていたのかはわからない。逃げることを考えてもおかしくない状況だ。あるいは、「声」たちと対話していたのかもしれない。


 夜の礼拝堂は、たかぶる心を鎮め、静謐な精神を取り戻すには絶好の場所だ。

 ジャンヌのいう「声の主」は私にはよくわからなかったが、重大な決意を前に一人になりたくて引きこもる心境は、私にも覚えがある。


 時報の鐘がいくつか鳴り、ようやく教会から出てきたとき、ジャンヌの人相が少し変わっていたらしい。


「戦う準備をしましょう」


 ジャンヌは武器を帯びていたが、それを振りかざすことはなく、もっぱら軍旗を振って味方を鼓舞する役だった。威勢だけはデュノワ以上に勇ましく、旗を掲げてすぐに最前線へ出て行ってしまう。


「あたしの声がッ! もっと前に行けと言っているッ!!!」

「ジャ、ジャンヌ、もう少し落ち着いて……!」

「遅い!! 前・進・あるのみッ!!!」

「ああ、聖女さまぁ〜」


 ジャンヌの護衛や信奉者は大いに振り回されたが、勇敢な少女を目の当たりにして、戦いを生業とする男たちが臆病な振る舞いをするわけにいかない。

 ニシンの戦い以来、どんよりと敗色気分だったオルレアン市民は急速に活気を取り戻し、フランス軍は強気で攻め立てた。


 あの乱暴者のラ・イルでさえ、ジャンヌを気に入った。


「おい、やるじゃねえか!」

「……祈りなさい」

「ああん? 急にどうした?」

「祈り方を知らないなら一緒にうたいましょう。はい!」

「お、おう……?」


 ジャンヌはしばしば讃美歌を歌った。

 この時代にはまだ存在しないが、音楽は聞くものの心を打ち、肉体のパフォーマンスをも引き上げる。


 フランス軍の兵士も武器弾薬も、一部を補給した程度でこれまでの構成や戦略を変えたわけではない。だが、見違えるほど変化が起きていた。




「あの、陛下……」


 つい、伝令の報告に聞き入っていた。


「何だ?」

「恐れながら申し上げますと、私が最後に見たのは5月7日の戦況でした」

「えっ、昨日ではないか」

「仰せの通りです」


 オルレアンの正面にある大きな橋と、そこにそびえるレ・トゥーレルの城砦——開戦12日目にフランス軍が放棄し、イングランド軍に奪われ、上階から視察中の総司令官ソールズベリー伯が「謎の狙撃手」に撃ち殺された因縁の場所——を取り戻そうと、ジャンヌがはしごをかけて乗り込もうとしたその時。


 何者かが放った矢がジャンヌの体を貫通し、まっさかさまに転落した。



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