7.12 声の主(3)

 ブロワ城では、再びオルレアンに行軍する編成が整った。

 ジャンヌの護衛たちのほかに、シノンに来ていたブサック元帥とラ・イルが加わり、いつものように兵站も十分に用意した。


 オルレアン市民に拒絶されたクレルモン伯の代わりに、新たな援軍を率いるのはアランソン公だ。シャルル・ドルレアンの娘婿という肩書きは、町の人々も受け入れやすいだろうと考えての人選だ。結婚したばかりの夫婦を引き離すのは心苦しいが、他に適任者がいなかった。


「あっ、王太子さまーーー!!」


 ジャンヌが白い軍旗をぶんぶん振り回している。

 武装した少女の周りには、顔見知りの二人の他に、新顔の取り巻きが増えている。

 シノンに来て数週間、ジャンヌの護衛たちが真偽の定かではない奇跡の話を吹聴して回っているせいで、少女の信奉者はますます増えていた。ある者はまぶしそうな表情で恍惚と少女を見上げ、またある者は好奇心からくる奇異の目を向けている。

 ジャンヌの呼びかけに、私は控えめに手をあげて応えた。


「武運を祈っているよ」

「心配しないで。神様がそばにいるからあたしは絶対に大丈夫です。勝利の知らせを楽しみに待っててください」

「うん、わかったよ」

「オルレアンの次はランスですからね。約束しましたからね!」


 ジャンヌの真の目的は、私をランスのノートルダム大聖堂へ連れて行くことだ。オルレアン包囲戦の勝利は中間目標に過ぎない。

 しかし、勝利も奇跡も、口で言うほど簡単ではない。

 もしかしたらこれが最後の対面になるかもしれないのだ。


「ひとつ、聞きたいことがある」


 感傷的な気分も重なって、ジャンヌを引き留めた。

 聞きそびれていたことを確かめる最後のチャンスでもある。


「初めて謁見した日のことだ。なぜ、玉座に向かわずに私のところへ来た? 私の顔を知っていたのか?」


 ジャンヌは聖人ではなく奇跡も起こしていない。

 信者たちはともかく、そのことはジャンヌ自身が認めている。

 だが、初対面のときに私を見つけたことだけは、いまだに腑に落ちなかった。

 王国で流通している金貨には王の肖像が彫られているが、こまかい人相を見分けられるほど精巧ではない。


「王太子さまの顔は知らなかったけど、声でわかりました」

「私の、声……?」

「いつものように呼ばれた気がしたんです。導かれた先に王太子さまがいました。本物の声を聞くまでは自信なかったけど、しゃべったらすぐにわかりましたよ!」


 単純なことだと言いたげに、ジャンヌはすらすらと答えた。

 しかし、私の疑問は深まるばかり。


「いつものように? 声とはいったい何だ?」

「あたしをここまで導いた声、そして未来を教えてくれる声——」


 シノン城の礼拝堂では、フランス軍の出立を知らせる鐘が鳴っている。

 ジャンヌは馬上でうっとりと耳を澄ました。


「あたしをここまで導いてくれたのは王太子さまだったんですね!」

「よくわからないな。私の声?がジャンヌを導いたというのか?」

「王太子さまにも聞こえてるんじゃないですか?」

「いや、私には何も……」

「ううん、王太子さまは声を聞いてます。たぶんあたしよりも声が聞こえてる。聞こえすぎるから迷うんです」


 戸惑いながらも、しばし考えた。

 聖書はそのまま読めば、一般人を啓蒙するシンプルな物語だ。

 しかし、キリストをはじめ聖人たちは比喩を多用するので、神学者は「書かれている内容」を深く掘り下げて、神の真意・摂理を探るものだ。


 神学者になったつもりで、ジャンヌの話を解釈してみよう。

 表面的な言葉にとらわれていては、真意を見抜くことはできない。


「あ、もしかして……」


 ジャンヌがいう「あたしを導く声」とは、心の中を飛び交うさまざまな思考のことだろうか。


「わかったみたいですね」

「い、いや、確証はない。それに私の声はひとつだけではない」

「あたしもたくさんの声が聞こえます。そう、この鐘の音のようにね」


 村や町にある時報を知らせる鐘と違い、大きな城や大聖堂にある鐘楼は、複数の音階で構成されている。楽士のいる聖堂では、音の響きごとに名前をつけているが、ジャンヌはそれにならって「あたしを導く声」にひとつずつ名前をつけたと明かした。


「ジャンヌの声、マリーの声、ミシェルの声、カトリーヌの声、マルグリットの声……。はじめは戸惑ったけど一番輝いているを中心に据えたら迷わなくなりました。あたしはそれをシャルルの声と名付けました」


 ジャンヌがあげた「声の主」はフランスに由来する聖人や天使の名前だ。

 15世紀フランスは名前のバリエーションが少なく、いずれもよくある命名だったが、それらの名を聞いた私は、初対面のとき以上に戦慄した。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……。一体どういうことだ?」


 ジャンヌ、マリー、ミシェル、カトリーヌ、マルグリット——私と血の繋がった姉王女たちの名前である。神のメッセージなのか、人為的な暗号なのか見当もつかないが、偶然にしてはできすぎている。


「あたしはその声に導かれてここまで来ました。……そろそろ行かないと」

「まだ話は終わっていない!」


 引き止めようとしたが、私自身が混乱していてとっさに何から聞けばいいのかわからない。


「ジャンヌ、聞きたいことがたくさんある! だから、必ず生きて帰ってくるんだ!」


 まごついているうちに行軍が進み、もう声は届かない。

 ジャンヌは白い軍旗をたなびかせながらオルレアンへ旅立った。







(※)第七章〈救国の少女〉編、完結。



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