7.10 声の主(1)

 私が知るジャンヌ・ラ・ピュセルは聖人ではなかったし、奇跡を起こしたこともなかった。見ず知らずのの苦境を知り、素朴な義侠心から「助けたい」と思い、人並外れた行動力を発揮してここまで来た。


 ジャンヌの言葉と行動力に、心を打たれたのは確かだ。


 しかし、ジャンヌに勧められるままに、オルレアン包囲戦を放置してランスへ向かうわけにいかない。不出来な王かもしれないが、君主として箔を付けるために民衆と親友を危険にさらすのは嫌だった。それだけは譲れない。


 すると、ジャンヌは「王太子さまがそこまで言うなら」と、ランス行きの当面の障害となっているオルレアン包囲戦を片付けると主張した。


 犠牲を恐れていたら何も成し遂げられない。

 奇跡は起きると証明する。


「あたしみたいな読み書きもできない女の子がやり遂げたら、奇跡を信じてくれますか? あたしを信じてくれますか? 神様がいると信じているなら、このあたしを、ジャンヌ・ラ・ピュセルを信じてください! そうすれば、ジャンヌが信じている王太子さまが、いい王様になるってことも信じられるから!!」


 私はついに根負けして、ジャンヌをオルレアンに派遣することを決めた。


 ジャンヌ・ラ・ピュセルの信者たちは、「シャルル七世がジャンヌを聖人として認めた」と大喜びだったが、そうではない常識的な聖職者たちは困惑した。

 わざわざ苦情を申し立てる者もいたため、オルレアンへ行くまでの間に、異端審問官による面接がおこなわれた。

 はじめ、ジャンヌは「王太子さま以外の人と話すことはない」と渋ったが、オルレアン派遣が立ち消えになりかけると、一転して異端審問に応じた。


 聞くところによると、ジャンヌは非常に態度が悪かったらしいが、信仰心と忠誠心は認められて「善良な少女である」と判定された。聖人として認めるかどうかは、ジャンヌいわく「オルレアンで奇跡を起こす」まで保留とされた。


 四旬節が終わると同時に、オルレアン包囲戦は再開する。

 私は内心に秘めていた「降伏」を先延ばしすることにした。


 ジャンヌのために武器防具を作らせたら、護衛の分までちゃっかり請求されたのは閉口した。シノンまでジャンヌを連れてきたベルトラン・ド・プーランジとジャン・ド・メスは、引き続きジャンヌを護衛したいと望み、オルレアン救援を願い出た。


 私は、二人の同行を快く許可したが、「ジャンヌも護衛たちもオルレアンの土地勘がないだろうから」という名目で、ラ・イルをまぜた。


 元・悪党で信仰心のことに定評のあるラ・イルなら、宗教的な理屈に惑わされずにジャンヌ一行の本性を見抜けると期待しての配置だ。


 そもそも、ジャンヌと護衛たちはからやってきた。

 もし、巧妙なスパイだとしたらオルレアン現地で本性をあらわすかも知れない。


「ふうん。今のところ、そんな大層な連中には見えねぇけどよ」

「同感だ」

「女スパイの可能性より、戦場でびびって逃げる可能性のが高いんじゃね?」

「そうかもしれない」


 ジャンヌが逃げ出すか、オルレアンが決定的に敗北したら、私は降伏するつもりだった。最終決戦になるなら、兵站の備蓄を気にせずに戦うことになる。味方は多いほうがいい。


「あのぅ……」


 甲冑を微調整しながら着付けを学んでいるジャンヌから声がかかった。


「これ、ひもで結ぶところが多くて着替えにくいです」

「ジャンヌの安全のためだ」

「あんぜん?」


 ジャンヌの甲冑一式は、女性であることを考慮して特別仕様にした。

 戦場で興奮した兵士というものはケダモノ同然で、本能のままに見境なく女性を襲うことがある。脱がしにくい甲冑と衣服なら、万が一、ジャンヌに危険が迫ったときに、命と貞操を守る時間稼ぎになる。


「恐ろしいと思ったら逃げていい」

「逃げませんよ」

「誰もジャンヌを責めない。オルレアンにいる親友にも……、総司令官にも伝えてある」


 まじめに話しているのに、ジャンヌは口元をにまにまさせて笑っている。


「何がおかしい」

「えへへ……、王太子さまはやっぱり優しいなあと思いました!」

「まったく、笑っていられるのも今のうちだぞ」


 次に、私はジャンヌを王の厩舎へ連れて行き、好きな馬を選ばせた。

 シノンまで来れたのだから、乗馬については問題ないだろう。


「この子がいいです!」


 ジャンヌが選んだのは老いた軍馬だった。

 私の兄ギュイエンヌ公が生前乗っていた名馬で、ポレールと呼ばれている。


「ジャンヌは見る目があるね……」


 名馬に違いないが、少女が騎乗するには少し大きすぎる気がした。


「なぜ、その馬を選んだ?」

「この子ね、王太子さまのことが大好きなんですって」


 ジャンヌは大きな馬を恐れることなく、手を伸ばしてポレールの鼻筋を撫でた。


「だから、あたしと心が通じると思うんです!」


 ポレールは、私にとって思い入れのある特別な馬だ。

 王の厩舎で余生を過ごさせてあげようと考えていたが、結局、ジャンヌに譲ることにした。

 体高があるから女性は騎乗しにくいだろうと思っていたら、ジャンヌの護衛たちがすぐに踏み台を持ってきた。踏み台がなければ自分の背中を差し出すのかもしれない。


「それではお嬢さん」

「はい!」


 手綱を引き渡しながら、心の中でポレールに話しかけた。


(あの子を、ジャンヌを守ってあげてくれ……)


 真新しい甲冑を着込み、大きな軍馬に騎乗したジャンヌ・ラ・ピュセルは一丁前の騎士のようだった。




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