7.9 神との契約(4)
ジャンヌ・ラ・ピュセル——、すなわち、ドンレミ村の農夫ジャック・ダルクの娘ジャンヌには、故郷の裁判所から出頭命令が下されていた。
「親が決めた婚約者が、結婚の履行を訴えているそうだが間違いないか?」
「あっ、それは……」
ジャンヌははっとして、しばらく言い淀んでいたが、うつむきながら「間違いありません」と観念した。
奇抜な男装、長い旅路、会ったこともない王太子への執着と預言。
すべては、結婚から逃れるための方便にすぎない。
苦境の王太子に気に入られて、聖人・預言者として認められれば結婚を無効にできる。
もしかしたら、ジャンヌを守ってきた護衛の中に恋人がいるのかもしれない。
だとしたら、謁見前日、熱心にジャンヌを称賛・擁護したことも理解できる。
ジャンヌの純朴な熱意にあてられて、一時はほだされそうになったが、私は冷静さを取り戻していた。
私が一声かければ、控え室の外で待機している護衛たちがジャンヌを捕らえ、両親と婚約者が待つ故郷へ強制送還することもできる。本来、そうすべきだろう。
しかし、私は迷っていた。
婚約の履行、結婚の無効など、婚姻に関する訴えは教会の管轄だ。
司祭たちは口を揃えて、「子供は親の言うことを聞き、女性は夫の言うことを聞くように」と諭すだろう。
だが、望まない相手との結婚を強要されているのだとしたら、なんとも気の毒なことだ。
「王太子さま、あたしは結婚がいやで逃げてきたんじゃないですよ」
「ん、そうなのか?」
「はい。お父さんとお母さんが選んだ人なら間違いないです」
うそをついているようには見えない。
「あたしは故郷に帰ったらちゃんと結婚します。だけど、その前にどうしてもやらなくちゃいけないことがあります。王太子さまを王位につかせるんです!」
ジャンヌは張り切っているが、これでも一応、父王シャルル六世が亡くなったあとに、ベリー領の首府ブールジュにあるサンテティエンヌ大聖堂で即位式を執り行っている。
イングランドとブルゴーニュ公の支配地域を除けば、ヨーロッパ諸国はおおよそ「フランス王シャルル七世」を認めていた。
「それじゃあダメです」
しかし、ジャンヌはきっぱりと否定した。
「どうしてもダメか?」
「ダメです。最初の王様が神様に認められたランスの大聖堂で聖油を注ぐ儀式をするまで、王太子さまがどんなに立派な人でも正式な王様ではないんです」
ジャンヌの理屈では、歴代国王と同じ場所、同じ聖具を使って即位式をするまで、神は王として認めないのだという。
しかし、ランスのノートルダム大聖堂はブルゴーニュ派の支配地域にある。
私がランスをめざして行軍すれば、ブルゴーニュ派は侵略と見なして抵抗するだろう。
また、即位式のために軍を編成すれば、他の地域の守りが手薄になる。
「大丈夫ですよ。あたしは同じルートを辿ってシノンまで来たんですから!」
ジャンヌはあっけらかんと胸を張るが、「無名の少女」と「一国の王」を一緒にしないで欲しい。
私はちょくちょく隠密行動をするが、即位式は公式行事だ。
平時であっても大掛かりな資金と事前準備が必須で、身軽にさくっと出かけて帰ってこれる
そもそも、この戦時下に、リスクを冒してまでランスでの即位式にこだわる必要があるのか……?
ジャンヌの言い分は理解できるが、今すぐにやるべきこととは到底思えない。
「王太子さま、犠牲を恐れていたら何も叶わないですよ!」
ジャンヌは私の迷いを見透かして、ぐいぐいと容赦なく詰め寄ってくる。
適当にあしらうことはできない。私たちは本音をぶつけ合った。
「オルレアン包囲戦を放ったらかしてランスに行けと言うのか? 民衆と親友を見捨てた王を、神が認めると思うのか?」
「じゃあ、オルレアンが勝ったらランスに行ってくれますか?!」
「……いいかい? 戦争に勝つことも、ランスで即位することも、口で言うほど簡単ではないのだよ。奇跡でも起きない限りは!」
私は冷徹に事実を告げたが、ジャンヌは諦めなかった。
充血した瞳を大きく見開き、呼吸が乱れてわなわなと震える唇から、今にも泣き出しそうな声を絞り出した。
「じゃあ、あたしが奇跡を起こします……!」
続けて、自分をオルレアンに派遣するように要請した。
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