0.18 ヘンリー五世崩御(3)シャルル王子の誘拐

 リッシュモンは立ち止まり、振り返ったブルゴーニュ公フィリップを冷めた眼差しで見た。


「歴代ブルゴーニュ公は、ああいった謀略の中心人物ではありませんか」


 言葉遣いこそ丁寧だが、体格に恵まれて厚みのあるリッシュモンと、細身でやや頬の痩けたフィリップが並ぶと、どちらが主従なのかわからなくなる。


「ひょっとして、王太子廃嫡のことで怒っているのか?」

「関係ありません」


 フィリップは、リッシュモンの憮然とした表情を探っていたが、「……まぁいいさ」と首をすくめた。


「実は、ベッドフォード公から『フランスの摂政をやらないか』と打診された」


 リッシュモンは平坦な口調で「おめでとうございます」と祝意を示した。


「悪だくみ一味を見るような目で見ないでくれ。私は違うぞ」

「そうですか」

「本当だ。丁重にお断りしたよ。英仏をひとつの王国にするなら、摂政もひとりでいいだろう。ヘンリー王は弟を指名した。私はふさわしくない」


 リッシュモンはにわかに信じられなかった。

 フランス宮廷の要職を断るなど、無怖公の時代だったら考えられない話だ。


「あなたは本当に無怖公の息子ですか」

「あのなぁ、貴公の遠慮のなさは承知しているが、さすがに失礼すぎるぞ」

「今、王太子が言われていることと同じです」


 フィリップは口をつぐみ、リッシュモンは非難するように畳みかけた。


「王太子の廃嫡も誹謗中傷も、ブルゴーニュ公の事件と無関係ではないでしょう……?」

「こんな話は、昔なじみでまじめな貴公にしか言えないが……」


 フィリップは、友の言葉を遮ると「フランス宮廷にできるだけ関わりたくない」と本音を漏らした。


「あの連中に関わっていたら命がいくつあっても足りない! 実はな、父が殺された後、王太子から密書が届いた」


 イングランドやブルゴーニュ派の中に、王太子の近況を知る者がいるとは思わず、リッシュモンは目を見開いた。


「言っておくが、直接会ったのではない。お互いに信頼できる使者を何度か送り合った。私は真相を問いただし、王太子は事情聴取に応じて詳細を語った。遺族として無念ではあるが、納得している。父がやってきたことを考えれば、自業自得だろう。……だが、私ひとりの力でブルゴーニュ派を止めることはできないのだよ」


 フィリップは、無怖公のただ一人の息子だった。

 上も下も姉妹たちに囲まれて育ったせいか、あまり武張った性格ではないが、父が殺されたときに王太子を非難してイングランドと同盟を結んだ。


「……なぜ、王太子ひとりが責められるんです? ブルゴーニュ公の正義はどこに?」

「貴公は理想が高すぎる。ブルゴーニュ派の正義は、未亡人となった母が握っている。私の時代はまだ先だ。それまで生き延びることが私の正義だ」


 ブルゴーニュ公フィリップの母、つまり無怖公の妻はマルグリット・ド・バヴィエール。フランス王妃イザボー・ド・バヴィエールとともに王太子廃嫡を主導した女傑だった。


「ああ、そうだとも。王太子は言われているほど悪くない。あの子は覚えていないだろうが、私たちが知っている昔のままだ……」


 リッシュモンは青ざめ、フィリップは昔を懐かしむように遠い目をした。


「なあ、覚えているか? 父は、王妃の気を引くために幼い王子をさらってきたが、持て余したあげく、私たちが遊び相手になった。私には男の兄弟がいなかったから、ずいぶん可愛がってあげたつもりだ。貴公もブルターニュの家族とは縁遠いから同じだろう?」


 私ことシャルル七世は、二歳の時にブルゴーニュ公になったばかりの無怖公に誘拐されたらしい。母を追いかけて湖へ向かう途中、無怖公の軍勢に襲われて、王子を乗せた馬車の手綱が切られて連れ去られた。

 目の前で子守り役と護衛が処刑され、解放されるまでの数ヶ月間、吹きさらしの城壁に死体が吊るされていた。


「湖畔の隠れ家で、王妃は王弟を寵愛することに夢中で、王子がさらわれても興味を示さない。父も王子のことなどすぐに忘れた。私たちが、あの子の泣き声に気づかなければ牢の中で餓死していたかもしれない」


 父王と母妃は、末っ子王子の行方に関心がなかった。

 無怖公は人質に価値がないとわかると自分がやったことも子供の存在も忘れた。名もなき誰かが、私を見つけて解放し、権力から離れた安全な修道院へ連れて行った——。


「あの子が私たちのことを覚えているかわからないが……」

「王太子にとってはでしょう。覚えてない方がいい」


 過去を懐かしむつもりが、リッシュモンから怒りを隠しきれない返答を受けて、フィリップはそれっきり黙ってしまった。








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