0.24 シャルル六世崩御(2)

 父王シャルル六世崩御により、母妃イザボー・ド・バヴィエールはフランス王太后となり、孫がフランスに来る日を心待ちにしていた。


「カトリーヌとアンリはいつ帰ってくるのかしらね」


 イングランドにいる幼君ヘンリー六世は、フランス王としてはアンリ二世になる。


「王妃陛下の権勢はますます栄えるばかり。百合の庭園どころか、薔薇の庭園にも手が届きそうだと国中で噂になっております」

「嫌だわ。わたくし、もう王妃ではないのに」

「これは失礼を申し上げました。孫がいらっしゃるとは思えない若さと美貌を誇っておられるゆえつい!」


 リッシュモンの実母でもあるイングランド王太后はヘンリー五世・六世と血の繋がりがない。

 幼君ヘンリー六世が英仏両国の王になるなら、イザボー王太后は祖母として絶大な権力を手に入れると見なされた。


「んふふ……」


 王太后が「末王子のシャルルは王の実子ではない」と言い出したために、今やフランスは二人の王が並び立つ異常事態になっている。

 モントロー橋上の事件——王太子の家臣がブルゴーニュ無怖公を殺害する以前は、血筋にまつわる疑惑はなかった。だが、母妃イザボー・ド・バヴィエールが「淫乱王妃」と呼ばれるほど不倫に明け暮れていたのは事実だったから、「王太子の血筋は疑わしい」とみんなが考えるようになった。


 本当の父親は誰なのか、その真相はわからない。

 もしかしたら、母自身ですらわからないのかもしれない。


 明らかなのは、王太后から寵愛を受ければ宮廷で権力を得られるが、嫌われたら実子でも排除されるということだ。


「よろしくってよ。今日のわたくしは気分が良いから許してあげる」


 王の弔問を口実に、下心ある貴族たちはこぞって王太后のご機嫌伺いに訪れた。


「新しい国王陛下はイングランド生まれですが、あそこは辺境の島国。いずれフランスへご帰還するのでしょう?」

「それがねぇ……」


 王太后は不機嫌そうに眉をひそめた。


「イングランド人の摂政は意地の悪い男で、アンリを返してくれないの」

「まぁ!」


 ベッドフォード公は素早く即位宣言をしたが、英仏間の根回しで多忙を極めており、王太后のご機嫌うかがいは後回しになっていた。


「あのシャルル・ドルレアンのように人質にされないか心配だわ」

「王太后様、あの男は王位簒奪者の血筋ですから油断してはなりませんよ」

「んふふ、そういえば、ヘンリーの葬儀で人目もはばからずに派手に切れ散らかしていたわね」

「みっともない男ですこと」


 イザボー王太后と取り巻きたちが笑いさざめいていると、侍従が「王太子妃ドーフィヌ」の来訪を告げた。


「来たわね」


 王太后は先ほどまでの愁眉を開くと、王太子妃を通すように命じた。


「王太子妃ですって?!」

「まさか、アンジュー家のあの娘が……?」


 現れたのはマリー・ダンジューではなく、無怖公の長女でブルゴーニュ公フィリップの姉、マルグリット・ド・ブルゴーニュだった。


「お悔やみを申し上げます」


 マルグリット・ド・ブルゴーニュは夫に先立たれた未亡人で、その亡き夫とは私の兄・王太子ルイだった。つまり、元王太子妃である。


「お久しぶりね。わたくしに媚を売りに来たのかしら」

「亡き国王陛下は、わたくしにとって義父ですから」

「まぁ、殊勝な心がけですこと」


 マルグリットは生まれてすぐに王太子と婚約。

 次期フランス王妃の座が確約され、英才教育を受けて育った。

 義母のイザボー王妃は気まぐれな性格だったが、王太子妃マルグリットを一目見ると「フクロウみたいな顔」だと言って笑い、お気に入りの取り巻きにしていた。


「わたくしのことを王太子妃と呼ぶ方がいらっしゃるようですが……」


 ルイ王太子が亡くなると、若き未亡人マルグリットは故郷ブルゴーニュへ戻った。

 のちに、私が「王太子ドーファン」の身分を継承したが、パリにいた時分はまだ結婚していなかったため、王太子妃といえばマルグリット・ド・ブルゴーニュを思い浮かべる者が多かった。


「今となっては身に余る称号です。ご辞退申し上げます」

「本来なら、今頃あなたはフランス王妃だったのに。残念だったわね」

「滅相もございません」

「これからは何と呼んであげようかしら」


 ルイ王太子はギュイエンヌ公だったから、マルグリットはギュイエンヌ公夫人でもある。

 少なくとも、再婚するまでは亡き前夫の称号で呼ばれる。


「そうそう、ご結婚おめでとうと言わなくちゃ!」

「結婚ですか?」

「ギュイエンヌ公夫人と呼ぶのは、今日で最後かもしれないわね」

「わ、わたくしの結婚……?」


 王太后と元王太子妃の会話を聞きながら、取り巻きたちがくすくすと笑い始めた。


「聡明なあなたのことだからフランスとイングランドの情勢はご存知よね。両国の王家と有力な大諸侯の同盟を強化するために縁談がいくつか組まれているの」

「ええ、確かに。妹が近々、ベッドフォード公と結婚しますわ」

「いやだわ、弟君——ブルゴーニュ公から聞いてないの? あなたも結婚するのよ。お相手はアルテュール・ド・リッシュモン伯ですって」


 王太后は、呆然とするマルグリット・ド・ブルゴーニュを見下ろしながら「次に会うときは、リッシュモン伯夫人とお呼びしなくちゃね」と言って、小悪魔のように微笑んだ。


「アルテュール・ド・リッシュモン……伯?」

「イングランド王太后の実子で、ブルターニュ公の弟ですもの。血筋は申し分ないわね」

「リッシュモン伯夫人……?」

「ええ。あなたの妹はベッドフォード公夫人で、姉のあなたはリッシュモン伯夫人!」


 王太后の取り巻きたちは互いに目配せすると、聞こえよがしに談笑を始めた。


「次の王妃様になるはずが妹より格下の伯爵夫人だなんて、とんだ没落ね」

「聞くところによると、ベッドフォード公はバツイチの姉よりも未婚の妹を選んだとか」

「えぇっ、ギュイエンヌ公夫人はベッドフォード公より四歳も年下ですのに」

「あの男は初婚だから、処女にこだわっているのではなくて?」

「リッシュモン伯も同じ初婚なのにあなたを受け入れるというのだから、ベッドフォード公より優しそうよ。良かったじゃない」

「リッシュモン伯の称号は名前だけで領地を持ってないんですって」

「まぁ! 持参金をたくさんつけてもらわないと苦労しそう」


 取り巻きの誰かが「あの方、ロンドン塔の虜囚なんですってよ」と追い討ちをかけた。


 宮廷の華ともいえる貴婦人たちは美しいが、棘を持つ者も多い。

 容姿や態度を値踏みし、実家または嫁ぎ先の身分や財力をひけらかす。

 このとき、フランス宮廷の頂点に君臨する大輪の華が王太后イザボー・ド・バヴィエールなら、丹精に育てられながら花開く前に転落したのが元王太子妃マルグリット・ド・ブルゴーニュだった。


 私がポンティユ伯からフランス王位に上り詰めたのとは正反対に、彼女もまた数奇な運命に翻弄されたひとりである。



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