第五章〈ニシンの戦い〉編
勝利王の書斎15:塩を入れる
第四章から第五章へ——。
勝利王の書斎は、歴史小説の幕間にひらかれる。
こんにちは、あるいはこんばんは(Bonjour ou bonsoir.)。
私は、生と死の狭間にただようシャルル七世の「声」である。実体はない。
生前、ジャンヌ・ダルクを通じて「声」の出現を見ていたせいか、自分がこのような状況になっても驚きはない。たまには、こういうこともあるのだろう。
ただし、ジャンヌの「声」と違って、私は神でも天使でもない。
亡霊、すなわちオバケの類いだと思うが、聖水やお祓いは効かなかった。
作者は私と共存する道を選び、記録を兼ねて小説を書き始めた。この物語は、私の主観がメインとなるため、歴史小説のふりをした私小説と心得ていただきたい。
便宜上、私の居場所を「勝利王の書斎」と呼んでいる。
作者との約束で、章と章の狭間に開放することになっている。
*
少年期編(https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614)では、フランスの慣用句を『勝利王の書斎』のサブタイトルにしていた。
本作のストーリーとこじつけるのが面倒でやめていたが、思いがけず好評だったと聞いたので、今回から復活する。
"Mettre son grain de sel."
直訳すると「自分の塩の粒を入れる」
その意味は「いらない意見を述べる」とか「自分と関係ない話に口出しして邪魔になる」とか「聞かれていないのに勝手なことを言う」とか……。
日本語の「塩対応」と同じく、塩のしょっぱさを不快感として捉えている言葉だ。
よく、シャルル七世はリッシュモンの扱いが塩対応すぎるといわれるが、私からすると、リッシュモンの言動は「塩を入れてくる奴」そのものだ。
しかし、「人生の塩(Sel de la vie)」という正反対の慣用句もある。
こちらの意味は「人生を味わい深くするもの」
塩気がなければ味気なく、物足りないが、入れ過ぎればくどい。
素材の良さを殺してしまうこともある。
しかし、ちょうどいい塩加減は、素材のうまみを引き立てる。
食べ物も人生も人間関係も、扱い方次第。適量が大事というわけだ。
フランスの塩といえば、ブルターニュとプロヴァンスとロレーヌが有名な産地として知られている。味わいや質感がそれぞれ違っていて、フランス料理では塩を使いこなすことを求められる。大粒の粗塩グロ・セル、細かな粉末のセル・ファン、塩の花と呼ばれる結晶フルール・ド・セル——。
なお、ブルターニュはリッシュモンの故郷、プロヴァンスはアンジュー家の所領のひとつ、ロレーヌは義弟ルネ・ダンジューの婿入り先だ。
読者諸氏の時代では、塩を化学的に合成できるようになり、安く手軽に使えるが、かつては自然がもたらす神の恵みだった。通貨の代わりにもなるし、聖書をはじめ、慣用句にもよく登場する。
私を取り巻くキャラクターを良質の塩に例えるなら、うまく使いこなす技量が求められる。
さて、時間が来たようだ。
これより青年期編・第五章〈ニシンの戦い〉編を始める。
(※)フランス北西部のブルターニュ地方ゲランドで取れる塩は、大西洋の海塩。南部のプロヴァンス地方カマルグで取れる塩は、地中海の海塩。北東部(内陸)ロレーヌ地方で取れる塩は、アルプスの岩塩です。
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