1.4 フランス王22歳、大元帥31歳(1)
アルテュール・ド・リッシュモン伯が少々うっとうしい。
王の側仕えをする新米家臣として、単に仕事熱心なのか、あるいは他に理由があるのかもわからない。四六時中、私に張り付いている。
そういえば、以前のリッシュモン伯は私の兄ルイに仕えていた。当時のやり方を踏襲しているのだろうか。生まれながらの王太子ならこの「近すぎる距離感」に慣れているのかもしれないが、私は居心地が悪かった。
「少し、近すぎるのではないか?」
そう言うと、一歩下がった。
しかし、しばらくするとまた振り出しに戻る。
「あのなぁ……、いや、何でもない」
わざとなのか天然なのか。それとも、私が意識しすぎているのか。
とはいえ、リッシュモン伯の他にも「張り付いている」取り巻きは何人もいる。
下心丸出しで媚びへつらう
表情の硬い鉄面皮の下で、一体何を考えているのだろうか。
「お呼びでしょうか」
リッシュモン伯はブルターニュ公の弟だ。
冷遇して、友好関係に亀裂が入る事態は避けたい。
私は、リッシュモン伯の誇りを傷つけずに遠ざける目的で、ある策を講じた。
「ブシコー元帥を知っているか?」
「アジャンクールの戦いで上官でした」
「先日、亡くなったそうだ」
ブシコー元帥は、アジャンクールの戦いでフランス王国軍の司令官だった。
イングランド軍に捕らわれて虜囚となり、長らくロンドン塔に幽閉されていた。
「そうでしたか」
ブシコー元帥は、古式ゆかしい騎士道精神を体現した人物だった。
若い頃は、十字軍帰りの騎士崩れの集団にたったひとりで挑んでみたり、自身が編み出した鍛錬法をまとめて騎士志望者向けのトレーニング教本を書き残している。
また、ロンドン塔幽閉中は、身内から定期的に送られてくる身代金に手をつけず、困窮する部下の生活費や身代金の足しに充てていた。
「若い同胞を早く帰国させたい。それが、ブシコーの口癖だったそうだ」
そうして、ブシコー自身は二度と故郷へ帰れなかった。
アジャンクールから十年も経つと言うのに、痛ましい話である。
「……戦いの前と虜囚だったときに、何度か元帥閣下と話したことがあります」
「確か、貴公もロンドン塔に幽閉されていたのだったな」
「最期まで立派な方でした」
つい、しんみりと悲嘆に暮れそうだが、故人を偲ぶためにリッシュモン伯を呼んだのではない。
「悪い知らせがもうひとつある。ヴェルヌイユで指揮官だったバカン伯が戦死し、ジルベール・ド・ラファイエット元帥がイングランドに捕われてしまった」
「聞き及んでおります」
「バカン伯は大元帥だった。
元帥とは、王国軍最高位の役職だ。
さらに上の大元帥は、元帥をも統率する絶大な権限を有する。
王族関係者が就く名誉職でもあるため、空位になっていることが多い。
「大元帥に、ぜひ貴公を……と考えている」
王国軍を統率する者がいなくなり、軍事分野の立て直しが急務となっていた。
私は、青地に金百合を散らした元帥杖と大元帥の剣を差し出した。
前者は「杖」と呼ばれているが、読者諸氏の時代で例えるなら、楽団の指揮者が振るう指揮棒くらいの大きさだ。
「これを、受け取ってほしい」
元帥杖を持つ者は、フランス王の名代として王国軍を指揮する権限を得る。
さらに大元帥となれば、国王に次ぐ最高司令官であり、伝統的な式典では王剣ジョワユーズを掲げて王を先導する栄誉を授かる。戦時でも平時でも欠かせない、重要な役職だった。
「……謹んで拝命いたします」
リッシュモン伯はひざまずいて元帥杖と剣を受け取ると、うやうやしく頭を下げた。
付き合いが浅く、私はまだリッシュモン伯のことをよく知らないが、まじめな性格で優れた人物だと聞いている。つまらない王の監視役をさせるより、軍事に専念させた方がよほどいい。
「陛下にお仕えして、まもなく半年……」
リッシュモン伯が顔を上げた。
お互いに立って並んでいると、体格に恵まれたリッシュモン伯の方が長身だったが、今は私が見下ろしている格好になる。
平身低頭でひざまずいても、リッシュモン伯は堂々としていて
「陛下から信頼と寵愛をいただいた
口上を述べるリッシュモン伯を見下ろしながら、はっとした。
表情が硬く、愛想笑いひとつしないあのリッシュモン伯が、わずかに目を潤ませている。
「貴公は大袈裟すぎる。あまり重く受け止めないでほしい」
「はっ。役目に恥じぬよう、より一層、精進することを誓います」
少し、良心が痛んだ。
リッシュモン伯の大元帥任命は、「昇進に見せかけた厄介払い」に等しい。
役職を与えれば、私への過剰な監視がゆるむと考えたからだ。リッシュモン伯を信頼したわけでも評価したわけでもなかった。半年足らずの付き合いで分かることなど、たかが知れている。
「……礼なら義母上へ。アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンに伝えるといい。貴公も面識があるだろう。リッシュモン伯を大元帥に推薦したのはあの方だ」
アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは、私の妻マリー・ダンジューの母だ。
系図上は「義理の母」だが、私が王太子になる以前から——10歳から世話になっている。心情的には、義母より「養母」がふさわしい。
思い返すと、ヨランドはずいぶん前からリッシュモン伯を気に入っている兆候があった。
義母の交友・主従関係に口を挟むつもりはないが、ヨランドはお気に入りのリッシュモン伯を自分の家臣にするのではなく、どういうわけか私に近づけようとする。
「だって、お似合いなんですもの」
「お似合い……」
私が絶句するのを見て、ヨランドはふふっと笑った。
「まぁ、陛下は何を考えてらっしゃるのかしら。温厚な王の近くには、
この貴婦人は、昔から人をからかって煙に巻くのが好きだった。
といっても、意地の悪い皮肉や、軽率な戯れではなく、ヨランドの「からかい」は深慮を和らげる効果があった。
「それだけじゃありません。アンジューとブルターニュは領地が隣り合ってますから、リッシュモン伯を厚遇すれば友好の証になります」
ヨランドの言い分は、確かに一理ある。
私とアンジュー家とブルターニュ家の友好が深くなれば、ノルマンディーとメーヌに駐留するイングランド軍を牽制できる。
ヴェルヌイユの敗戦で、アンジュー領北部のメーヌをイングランドに奪われてしまったが、ヨランドは私を責めなかった。だからといって、やられっぱなしで済むほど甘くない。すぐに次の政略・戦略を考えなければならない。
アンジュー防衛のために、ブルターニュ公との同盟を強化する必要に迫られていた。
ブルターニュ公の弟リッシュモン伯を通じて、こちらの味方に引き込むのだ。
「もっとリッシュモン伯と親密になるべきだと……」
「そういうことです」
少し前に「下心丸出しで媚びへつらう
私の心に引け目があるから、リッシュモン伯の視線に気まずさを感じるのだろう。
この時はそう思っていた。
1425年3月5日。
私情と政略とさまざまな思惑を孕みながら、こうしてアルテュール・ド・リッシュモン伯は弱冠31歳の若さでフランス王国軍最高位の大元帥となった。
(※)日本では、リッシュモン元帥または大元帥で知られていますが、実はシャルル七世時代に大元帥(Maréchal général des camps et armées du roi)という役職はありません。リッシュモンが叙任されたのは、元帥(Maréchal、マレシャル)を統率する大元帥(Connétable、コネタブル)です。
もう少し詳しく説明すると、ブルボン王朝時代に
リッシュモンの身分は、現在意味する「大元帥」とは別物ですが、適切な日本語がありません。
最近知り合った中華圏の有識者は、古代中国の「太尉(大尉ではない)」や「丞相」を例に挙げていました。歴史的な称号を翻訳するのは難しいですね。
とりあえず、絶大な権限を持つ「軍事分野に特化した宰相」に就任したと考えていただければ。
なお、1425年3月5日といえば、リッシュモンは誕生日(8月24日)前だから31歳で、シャルル七世は22歳になったばかり。フランス王国ツートップが若すぎる!
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