第六話 「絶対に、負けないわよ」

 鮮血を噴き出しながら、父は地面に倒れた。


「パ……パ……」


 真っ赤に染まる視界の中、あたしは突然の光景に唖然とし、立ち竦む。


 その様子を見たダリアは、あたしが戦意を喪失したと判断したのか、ほくそ笑んでその場をゆっくり立ち去ろうとし、あたしの耳元で囁いた。


「アナタのお父さん……なかなか楽しめたワ」


 その言葉で心の糸を切られたように、あたしの足腰から力が抜けていく。


 目の前で起きたことが信じられず、思考がまとまらない。


 あたしの父は、強かった。あたしなんかよりずっと。


 だけど、負けた。あっさりと、あっけなく。


「なんで……こんな……」


 父との十五年の思い出が、走馬灯のように脳裏を駆ける。


 あたしが生まれてすぐ母さんを亡くしたせいもあって、男手ひとつでよく育ててくれた。

 暑苦しくてウザいこともあったけど。優しくて、厳しくて、頼りになって。


 そんな自慢の父が、あんな女に、負けた。

 まだ辛うじて生きているが、もう、虫の息だ。


 出血多量でもうすぐ、死ぬ。


「レ……ヴィ……ン……」


 弱々しくなった父があたしの名を呼ぶ。

 思わず出た涙に後押しされる形で、父に寄り添った。


「パパ……ッ」


 父の右手を握る。ぬくもりを忘れないように。


「もう俺は……駄目みてえだ……な……自分でも……わかっちまう」


 呼吸をするたびに、傷口から大量の血液が流れ出る。

 助かる見込みなどない。


 それでも父は、何かを伝えようと必死に口を動かす。

 あたしはただ、泣きじゃくりながらそれを聞くことしかできなかった。


「でも……その前に……やれることは……あるよな……」

「パパ……何する気よ……」


「俺の『ソルマドラ』の契約権を……お前に……移す」

「えっ……」


 父の右手から魔力が溢れ、あたしに伝わる。あたしたちの足元にはエーテルで描かれた魔法陣が現れていた。


 気力を振り絞り、父は静かに、詠唱を始めた。


「『我、契約者レオン・ゾンネ……ソルマドラの使用権を……レヴィン・ゾンネに……譲渡せん……』」

「ちょ……ちょっと待ってよ……何でこんな……」

「『我が魔力……今ここに集いて……汝の血肉となりて……その魂を護らん……!』」


 父の身体が光り輝き、あたしの中に膨大な量の魔力が流れ込んでくる。

 今まで感じたことの無いほどの強い熱を感じ、同時に身体中の痛みも引いていった。


 足元の魔法陣も収束していき、赤い魔法陣があたしの右手の甲に現れる。


「これでお前は……魔獣とも……さっきの女とも戦える……無事……継承完了だ」

「いらないよ……こんなもの……」

「そう……言うな……本当なら……儀式の後に……成人祝いとして……コイツをやる……予定だったんだ」


 言葉が出なかった。


 父の愛に。そして何より、この力を自分が手にしてしまったことに。


「なあ……レヴィン……」

「なによ……」


「そろそろ……無理そうだし……言いたかったことを……言うぜ……」

「……うん……」


 徐々に熱を失っていく父の身体。最後の言葉を、一言一句聞き逃さないよう、耳を傾ける。

 あたしの手を強く握りしめ、涙を流しながら、父は、言った。


「デカく……強く……なったな……お前は俺の……自慢の……娘……だ……」


 その瞬間、父の瞳孔が開いた。


 そして、握っていた手が、ゆっくりと地面に向かって落ちていく。


 父の目からは光が消え失せ、もう二度と動くことはなかった。


 あたしは声にならない叫びを上げながら、父の亡骸を抱きしめた。


 ひとしきり泣いた後で、ゆらりと立ち上がる。


 目の前には、ダリアが立っていた。


「いい顔になったわネ」


 ダリアは満足げに微笑み、あたしは拳を固く握りしめる。


 意識を右の拳に集中させ、父が大狼に食らわせた頭突きを思い出す。

 怒りと憎しみで頭の中はぐちゃぐちゃだが、不思議とその感情が落ち着いているのを感じる。


 全身に力がみなぎっているのがわかる。これならば――。


解放リリース、『ソルマドラ』」


 右手の魔法陣から鎧が形成されるその前に、あたしは拳を振りかざした。


 そしてフード越しに、その憎らしい顔を、殴る!


「ガハッ!?」


 籠手が顕現されるその瞬間の出来事である。

 予想外の攻撃に、ダリアも反応できずにまともに受けた。


 勢いよく吹き飛んだ彼女は、地面に叩きつけられる。

 衝撃で粉塵が舞い上がり、辺り一面に砂埃が舞う。


 しばらくしてそれが晴れると、そこにはうつ伏せで倒れているダリアの姿があった。


 起き上がったダリアのフードは風を受けて剥がれ、素顔が顕になる。

 ツーサイドアップの髪型をした、可愛らしくもどこか毒のある表情の少女だった。


 あたしとあまり変わらない歳に見える。


「へえ、意外と綺麗な顔してるじゃない」

「アナタのせいで台無しだけどネ……まさか籠手だけ出して殴るとは思わなかったワ」


「……負けてないわよ」

「急になニ?」


 あたしは右手の甲にある赤い魔法陣を見せながら言う。


「パパはあんたにまだ負けてない。『ソルマドラ』を継いだ、あたしがいる限りね!」

「ウフフフ……面白いコ」


 その時、雲の中から『キー!』という鳴き声と共に、鳥のような影が姿を表した。

 いや、鳥のようで鳥ではない。脚が四つだから……グリフォン?


 グリフォンがダリアの近くに降りてくる。どうやらダリアが呼んだ魔獣のようだ。


「目的は果たしたシ……お暇するわネ。生きてれば、また会いまショ。レヴィンちゃン」


 ダリアはグリフォンに乗り、雲の奥へ飛び去っていく。


「へへっ……絶対に……負けないわよ……」


 ふと、身体が重くなる。疲労からなのか、それとも別の何かか。


「レヴィンさん!!」


 ミュウ君の声が聞こえた辺りで、あたしの意識は、落ちた。

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