13 未来が見えるなら

 夕日が、最後の明かりを街に残して落ちる頃。

 薄闇になってきた王都には、暖かい色のガス灯が灯り始める。


 日が落ちてくると、流石に昼間の暑さは和らいで、いくぶんか過ごしやすくなってくる。


「僕はクレイトン商会の方に挨拶してきます。パレード終わりの出迎えがあるので、今日はこれで失礼しても大丈夫ですか?」

「もちろんです! 今日は本当に一日、ありがとうございました」


 レオナルドさんは本当に働き者だった。一人で二役以上の仕事をして手早く帰っていった。なんとよく出来た人だろう。


「俺は外を片付けてくる」

「あ、うん。ありがとう」


 シリルも外の仕事に行ってしまった。私はポツンと最後の店番に残される。


 シャーベットは暑い時間帯に、いい塩梅でなくなった。残るはあと、ちょうど三人分くらいのグラノーラだ。

 これくらいならもう、私が食べきっちゃおうかなあ。流石に三食分は多いか……

 そう考えていた時だった。


「もし、すみません、そこの方」

「は、え、私?」


 突然呼びかけられて、私は飛び上がる勢いで顔を上げた。なんか今日、こういうシーン多くない?


 さっきまで気配が全くなかった場所に、フードを目深に被った女の人が立っていた。黒のローブは、ずいぶんくたびれているけれど、よく見れば元は質の良さを窺わせる上品なものであることがわかる。フードから覗く紫色の瞳が綺麗だった。ミーシャのアメジスト色の瞳よりもっと濃くて、妖しい魅力を纏っているようにも見える。


「はい、あなたです。こちらで、食べ物を配っていると伺ったのですが、本当ですか?」


 その人は今にも倒れそうなか細い声で、私に問いを投げかけた。


「ええ。そうです。お召し上がりになりますか?」

「可能であれば……ぜひ」


 よし。待ってました!

 私はいそいそとグラノーラをよそう。彼女は「ありがとう」と丁寧にお礼を言って食べ始めた。

 よほどお腹が空いていたのだろう。がっつくほど品は悪くないが、私が盛ったグラノーラを驚くスピードで平らげていく。私は慌ててお代わりを差し出した。

 彼女は一瞬申し訳なさそうにしたが、空腹には勝てなかったのか、おずおずと差し出された二杯目のグラノーラに手をつける。この際だから、残り全部食べ切ってもらっちゃおう。

 三杯目を差し出すと、彼女はびっくりした様子で首を振った。


「さ、さすがに頂きすぎでは……」

「お腹、空いていらっしゃったんでしょう。実はそろそろ店じまいなんです。食べ切ってもらえた方が私たちも助かります。それにほら、ちょっと味付け変えてみましたよ」


 三杯連続じゃさすがに飽きるだろうと思って、締めにはナッツ類を混ぜた甘じょっぱいテイストに仕上げてみた。実は味を変えられるように、いくつか他のアイテムも持ってきていたんだよね。ナッツは腹持ちもいいし、小さい粒にさまざまな栄養がバランスよく含まれていると言う。お姉さんにピッタリじゃないかな。


 彼女は小声で「……すみません」と呟くと、三杯目のグラノーラを受け取った。


「はるばる旅をしてきたもので、お腹が空いてしまったの……お恥ずかしいところをお見せしてしまったわ」


 食べ終わった彼女はようやく落ち着いたのか、少しだけ顔を上げてくれる。フードは被ったままなのではっきりとした面差しは見えにくいけれど、色白で美人な人だった。はにかむ姿は可愛らしく、庇護欲をそそる可憐さだ。


「いえいえ、とんでもありません。おひとり旅ですか?」

「ええ、そうなんです。演舞を見たくて王都まで来たのですが……道に迷ったり、ちょっと人助けをしたりしていたら……間に合わなくて、残念だったの。パレードはこれからかしら」

「そうですね。今から場所取りをするなら、この通りをまっすぐ行った大通りの隅の方が、一番よく見えるんじゃないかと思いますよ。道路側の前の方じゃなくて、お店とかが並び立つ、隅っこの方がおすすめです。ちょうどいい段差があったりして、背の低い方でもわりと顔がはっきり見えるので」


 お目当ての魔術師さんでもいるのかな。一応、私のオススメスポットも熱弁しておく。私も今から片付けをして、パレードの通る道へダッシュするつもりだ。彼女は「うれしい」と目を輝かせて聞いてくれた。


「ねえ、あなた」


 紫の瞳がきらりと輝く。私は思わず、彼女の美しい瞳に見惚れた。


「は、はい……なんでしょう」

「あなた、とっても素敵な精霊がついているわ」

「精霊?」


 ええ、と頷いたその女性は、その瞳をすっと細めて私を見た。


「水を操ったり、火を出したりするような、自然の精霊の加護は、目に見えやすくて誰もが憧れるものだけど。あなたが愛されている精霊は、そうねえ……『頑張り屋さんの精霊』とでも言うのかしら。どんな時も一生懸命で、自分にできることを諦めないあなたのことを、とっても応援してくれているわ」


 にっこり笑って、彼女はそんなことを言った。


 頑張り屋さんの精霊、か。私には見えないけれど、魔力が高い人の中には、本当に精霊の姿が見える人もいると言う。もし本当にそんな精霊が私を愛してくれているのだとしたら、それはとても、とても光栄なことだと思う。


「あなたの大事な夢、きっと叶うわ。これからも、頑張って」

「はい」


 私が素直に返事をすると、彼女は満足そうに頷き返してくれた。


「それじゃあ、私は行くわね。これからも、ミーシャをよろしくね」

「いってらっしゃい……え? ミーシャ?」


 普通に手を振って見送る……つもりが、最後に引っ掛かることを言われたので、私は首を傾げて固まった。

 しかし彼女は振り返ることなく、夜の雑踏に消えてしまったのだった。


「ミーシャ……どうしてミーシャの名前がこんなところで……あ!!」


 あの紫色の瞳。ふわりと微笑む顔に覚えた既視感。

 髪の色はフードに隠れてほとんど見えなかったけれど。

 もしかして彼女、未来視や千里眼を得意とする「天啓の魔術師」。イザベラ・ガードナー……ミーシャのママだったのでは!? 確か今って、各地を遍歴してるんじゃなかったっけ……え、ということはお忍びで王都にきてたってこと? そんなの聞いてない!


「ああああ! そんなことならもっといっぱい色んなことを聞けば良かったあああああ!!」

「どうしたアナベル。大声出して」


 天幕の外で撤収作業をしていたシリルが、ひょいと顔を覗かせる。


「今、稀代の魔術師に出会ったかもしれないのに、色々質問するチャンスをふいにしてしまって落ち込んでいるところ」

「……ふうん」


 ジタバタ暴れる私を眺めつつ、シリルは興味がなさそうな相槌を打つ。いいけど。すごい魔術師に囲まれて育ったシリルには、この感動と悔しさが伝わるはずないよね。分かっているけど!


「悔しいいいいいいいい!!」

「早く片付け終わらせないと、パレード間に合わなくなるぞ」

「それは困る!」


 ともかく、これで今日の仕事は片付いた。

 私たちはグラノーラを売り切ったのだ。


 やり切った……! なんて、感傷に浸っている場合ではない。報告も売り上げも、とりあえず今は後回しである。


「シリル、行こう!」


 私は天幕を飛び出した。









 王宮と魔術師寮を繋ぐ、大きな一本道。

 王宮の前の広場で演舞を披露した魔術師たちは、ここを通ってみんなに顔見せをしつつ、魔術師寮に帰還する。

 私たちが着く頃には、通りはすでにパレードを見たい観客たちでごった返していた。

 私はイザベラさん(と思われる女の人)に自分がアドバイスしたとおり、端の方で見えやすい位置を確保する。


「見えそうか?」

「うん、バッチリ」


 道端の石の上に乗ったので、いつもは見上げなければいけないシリルとも目線が近い。柔らかな銀色の髪が、私のすぐそばで揺れている。

 街の喧騒が、パレードの行列がすぐそばまで来ていることを知らせていた。華やかな楽器の演奏が風に乗り、私たちの耳に届く。


「来た……!」


 やがて列の先頭が見えてきて、私は興奮に手を握りしめた。


 音楽隊の行進の後ろに、立派な白馬が姿を現す。

 騎乗しているのは、英雄役の魔術師……もちろん、イアン・スタンフォード司令官だ。

 白銀の髪を緩く束ねて後ろに流し、アイスブルーの瞳を細めて、たおやかに微笑む姿は、王家の人かと見紛うほどに堂々としている。ホンモノの王子様だ、と説明されても今なら納得しちゃうな。

 優美に手を振りながら沿道を見渡していたイアンさんが、ほんの少しだけ目を見開く。どうやらシリルを見つけたようだった。一見、大きな表情の変化はなかったけれど、おもむろに右手を掲げて指を高らかに鳴らす。パチン、と小気味いい音が響いた。

 すると一瞬にして、星屑のようなキラキラとした粉がふわりと舞い降りる。たぶん、氷魔法を繊細にコントロールした雪のようなものだろう。大きな歓声が沸き上がった。


「さすが司令官。魅せ方が違うねえ」

「ああいう派手なのが好きなんだ、昔から」


 呆れたようにシリルが言うが、その目元は優しい。お兄さんのこと、好きなんだろうな。


 続いて現れたのは二頭立ての馬車だ。魔術師の紋章と幾何学模様の国旗を施した、屋根のない豪奢な馬車の上で手を振るのは、我らが天使ミーシャ・ガードナーとスーザン・アローラの二人である。


 緩く波打つプラチナブロンドの髪に、ガラス細工のような繊細な花の髪飾りをつけたミーシャは、まるで動くお人形のようだ。見ているだけで癒される。隣のスーザンは美しい金髪を結い上げて、大人の色気を醸し出している。ああ、私もあんなお姉さんになりたかったな……方向性が違いすぎて、多分この先も無理だけど。


 二人はそれぞれの魔導書を宙にふわふわと浮かばせていた。時折ひとりでにページが捲られていく様こそ、魔術師のロマンというやつである。


「ミーシャ! スーザン!」


 この歓声の中じゃ絶対に聞こえないだろうけど、精一杯の声で二人の名前を呼んだ。

 すると私の声が届いたかのようなタイミングで、パチリとスーザンと目が合う。スーザンがそっとミーシャをつつき、私の姿を教えてくれたようだ。花が咲くように笑った二人の、笑顔が何よりも嬉しい。


 あの日グラウンドで、スーザンが倒れてしまった時のことを、昨日のことのように鮮明に思い出す。彼女が本来の姿を取り戻してくれて、この景色を見ることができて、本当に良かった。


 私たちの前を通り過ぎる時、ミーシャがくるくると右手の人差し指で円を描いた。スーザンも同時に指で合図を指し示す。

 すると二人の間でぶつかった魔力が、一筋の光になって空へ空へと昇っていき――


 パッと弾けて、光の雨が私たちに降り注ぐ。

 沿道からはまた歓声が沸き上がった。


 抱き上げられた子供が夜空を指差す。


「ママ、みて、光がお空から降ってきた!!」


 はずむ声が愛おしい。私も思わず笑顔になる。

 ああ、この光景を守るために魔術師が、私たちがいるんだ。守るべき物がある幸せを、私は噛み締める。


 私、料理番になる道を選んで、本当に良かった。

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