4 そばにいなくても

 急いでパスタをかきこみ、「ピッコロ」をあとにした私は、全速力で料理番の自室に帰った。


「確かここに……あった」


 引き出しの一番上、飾りのついた小さな箱の中に、私の大切な『宝物』は眠っている。

 細い鎖を持ち上げて、そのペンダントトップをつまみ上げる。

 これで、国の役にたつ魔術師になろう。

 そう誓った日から、ずっと使っていた私の魔法道具ネックレスだ。両親が贈ってくれたオレンジ色のマンダリンガーネットは、かなりくすんできてしまっているけど、もう何回か魔力を通せるはず。

 首から石をぶら下げる。胸元で煌めく宝石に、体の奥底からマグマのような熱い何かが湧き起こって、集中していくのがわかる。よし、ちゃんと使えそう。


 自室をあとにしたら、次は料理長のところだ。全力で廊下を走る。もちろん衝突には気をつけて角を曲が……っと!


「わっ……ごめんなさいっ」


 思ったそばから誰かの背中にぶつかった。


「って、シリルじゃん! ごめん!」

「ああ、アナベル。怪我はないか?」


 シリルはカゴいっぱいの野菜くずをもっていた。料理番では剥いた皮やヘタは捨てずに、じっくり煮込んでスープのもとを作る。それを運んでいるということは、野菜の切り込みはあらかた終わったということだ。えっ……早くない?

 私の視線の意味を察したのか、シリルは「ちょっと裏技を使った」とバツが悪そうに笑った。シリルのことなので流石に直接魔法を使って食材をバッサリ切ったりはしてないだろうけど、裏技ってなんだろう。すごく気になる。あと、そのはにかみ笑いみたいな表情が珍しくて、シリルの笑顔を割と見慣れてる私でもうっかりドキッとしちゃったんですけど。なんなんですかその顔は。


「どうだ、進捗は」

「さっき少しヒントもらって、いけるかも! って思い始めたところ。こんな感じなんだけど」


 私が手に持ったメモを見せると、シリルは廊下にカゴを一度置いて私の走り書きをざっと眺めた。

 シリルから見て、どうかな。けっこう無茶なところがあるのは承知の計画なんだけど。それから、けっこうシリル頼みなところもある。だいぶアテにしてしまっているんだけど果たして彼は乗ってくれるだろうか。


「……なるほど。面白そうだな」

「ホント?」


 彼のセリフを聞いて、私はどっと肩の力が抜けるのを感じた。


「これならいけるかもしれない」

「やった!」


 シリルのお墨付きがあるなら安心だ。偶然だったけど料理長室にいく前に会えてよかった。

 私が鼻歌でも歌いそうな気分で自分のメモを読み返していると、シリルが頭上でふっと笑う気配がした。

 頭ひとつ分大きい彼を、そっと見上げる。


「なに? なんか笑った?」

「いや。半日会わなかっただけなのに随分久しぶりに感じるなと思って」

「あー……うん。ホントだね」


 シリルにとっては、私みたいなうるさい相方がいなくてさぞ静かで快適だっただろうと思うけど。


「私、試作中何回も『ねえシリル』って声かけそうになったよ。居ないのに」

「俺も、アナベルはどこにいったんだっけと思って何度か探したな」


 なんだ、おんなじ事してたんだ。

 キョロキョロしているシリルを想像すると少し笑ってしまう。

 私がときどきシリルの視線を感じる時は、大抵目が合うか合わないかでぱっと逸らされていた。そのことに思い至って、私ははっと気付く。もしかして、いつもけっこう観察されてた? そうか、だからミスを先回りしてくれたり、やたら手回しが良かったりしてたのか。そう考えると途端に腹の底から羞恥心が込み上げてきて、顔がぶわりと熱くなる。


「じゃ、じゃあ、私これ持って料理長室行ってくるから! シリルも無理しないで、頑張って。私の分もあって悪いけど」

「……ああ、終わったら合流する」


 私はなんとなくシリルの顔を見られなくなって、慌ててその場をあとにした。シリルが何かを言いかけたことには、気が付かないふりをした。



「失礼しまっす!」


 料理長室をダダダ、と勢いよくノックすると、まるで私が来るのがわかっていたかのように「アナベルだろう、入れ」と呑気な声が中から聞こえた。


「料理長相談なんですが」

「思ったより早かったな。明日まではかかるかと思ってたぞ」


 そんな悠長なことは言ってられないんですよ。こちとら猶予が三日しかないんだよ、三日しか。


「料理番見習いが使う実習室をひとつ、式典の日まで借してください! あと当日、ガッツがあってヒマしてて優秀な料理番見習いちゃんを貸して欲しいです! 足が速くて腕力がある子を見繕ってください! お金の計算も早いと助かります!」

「またそんな無茶な事を言う」

「先に無茶を振ってるのはそっちですよね!?」


 これに関しては謝りませんよ、私は。

 鼻息を荒くして叫ぶと、料理長は「確かに」と笑って負けを認めたようだった。よし。


「実習室は一番奥のD室を使っていい。手伝いのメンバーはこっちで選んでおくから、当日何時にどこへ集合すればいいかだけ連絡してくれ。他に必要なものは?」

「クレイトン商会と、その他諸々で色々材料を買おうと思いますので、そのお支払いだけよろしくお願いします」


 メモを渡すと、料理長はヒグマのような顔をしかめる。


「本当に全部使うのか? これを?」

「逆にこれだけ用意しないであと三日で全部在庫がはけると思っていらっしゃるんですか?」


 睨み合う事数秒。


「分かった。分かったよ。この件を任されたのはお前だし、必要なものは出すと言ったのは俺だしな。イアンにもこの程度の出費は目をつぶらせよう」

「そうですね、お願いします。利益が出る所まではいかないと思いますが、出費分くらいは稼ごうと思ってますけど」

「……稼ぐ?」

「あ、いえ。なんでも」


 そうだ、大事な事を聞き忘れていた。訝しげに私を見る料理長の視線は無視し、私はコホン、と咳払いをする。


「確認なんですけど、このグラノーラの消費期限って本来あと一ヶ月くらいは保つものですよね?」

「ん? どういう意味だ?」

「長期保存魔法かけ直して、吸湿魔法かけて湿気が袋内に入らないようにしたらあと一ヵ月は保ちますよね?」

「まあ、そうだな。そこまできっちりかけ直せば一ヶ月は保つ」


 よし、言質はとった。あとは諸々準備するのみ。


「ではD室はお借りしますので」

「おう、好きに使え」


 背を向けた私に、ハワード・オルムステッド料理長は「成長したなあ」と独り言のような言葉を投げた。

 彼の目には、一年前に半べそをかきながら駅で座り込んでいた、私の姿が映っていたに違いない。

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