2 家族の支え

 とはいえ、だよ。

 そう簡単に天才的な閃きが降りてくるとは限らない。


「うーん……イマイチ」


 目の前にはいくつもの味付けを試してみたグラノーラの皿の山。

 甘いのはグラニュー糖、はちみつ、メープルシロップ、いちごやブルーベリーのジャム、と試してみたけど、「コレだ!」と言うものにはまだ巡り会えていなかった。結局、シリルが試した砂糖ぶっかけグラノーラが一番美味しいという状況。最悪これで行くしかないの? それじゃあ料理番にこの食材が回ってきた意味がない。


 試しにしょっぱい味付けの方もやってみた。塩加減がなかなか難しくて、こちらもピンとくる割合に至っていない。

 短時間での栄養補給、という意味では、いい線行ってる食べ物だと思うんだけど。牛乳かけてかき込むだけなら、忙しい人も簡単に食べられるよね。用意時間が短いのもいいし。他の人にも意見を聞きたいな。


「でもシャノンやレイさんは式典で配布するパンを焼きに行っちゃったし、鍋担当のディアンさんとエリックさんも今日は忙しいよね……」


 ミーシャは演舞の練習中。料理長は教えてくれる気配なし。イアンさんは宿題を出した当の本人だし、頼れる人が思い当たらないよ。


「あー、だめだめ。まだまだ頭が硬過ぎる。もっと柔軟にいこう」


 ここでこうしていても仕方がない。私は大きな独り言をわざと呟いた。散乱するテーブルをざっと片付ける。これからまだ使うものの山に『試作中』の紙を貼り、しまえるものはとりあえず貯蔵室へ。考えをまとめるために一度離席することにしよう。

 

 皆忙しくしているのか、裏厨房を出た先は誰もいなくて静けさを保っている。

 カツカツと靴音だけがこだまする、寂しい廊下を歩いていると、ふと料理番見習いになりたての頃を思い出した。

 あの頃は自分のことに必死で、友達もろくにいなかった。

 人としゃべるのが好きだったはずなのに、それすら忘れるくらい会話をしなかった。


 それが少し、緩んだのは……なにがきっかけだったっけ。


 視線を横にふると、目に飛び込んできたのは電話機だった。

 電話って、すごく不思議で便利な機械だよね。目の前にいない人と、リアルタイムで会話ができるなんて。一見なんの変哲もない、この壁掛けの箱にはたくさんの神秘が詰まっている。それこそ以前には魔法でしか不可能だった出来事を、科学の力で形にした人には尊敬しかない。


 そうだ。たまには気分転換に、懐かしい声でも聞いてみよう。


 吸い込まれるようにそちらへ近づいた私は、ぼうっとするまま受話器をとった。

 電話交換手に「クレイトン商会をお願いします」と頼んで待つこと数秒。


『久しぶりねえ、アナベル』

「久しぶり、お母さん」


 懐かしい声が耳に届いて、私は思わず笑みをこぼした。


「父さんか兄さんが出るかと思った」

『あら、二人ならそろそろ王都に着く頃よ。連絡行ってない? 式典の日はだいたい重要な取引があってそっちに行くじゃない。あなたも小さい頃、毎年連れて行ってもらったでしょう』

「そうだった! なんで忘れてたんだろう」


 魔術師の演舞が見たくて、毎年せがんでいたのは私なのに。毎回気合いでじゃんけんに勝つので、兄には白い目で見られていたっけ。ちなみに弟と妹にはずるいと泣かれたけど譲らなかった。ひどい姉である。


『まあ、連絡がないっていうことは元気な証拠だと思っていたけど。今日はどうしたの?』

「んー? とくに理由はない。なんとなく電話ボックスが目に入ったから」

『あらそう。でもあなたの声が聞けて嬉しいわ』


 ころころと笑う母の、電話口に立つ姿が鮮明に思い浮かぶ。父の事務机の上に電話があって、机の上は相変わらず書類が山になっているに違いない。仕事を本格的に手伝いだした兄の机もあるのかな。料理番見習いになってから、全く帰っていないので分からない。けれど雰囲気とか匂いとか、変わらないものもきっとあるだろう。

 懐かしい記憶が蘇り、胸の奥がきゅんとなる。悲しさや苦しさではない、どこかじんわりと温かい気持ちだ。

 

『前にかかってきた時よりも生き生きしてるわね、声が』

「そう? 前に電話したのいつだっけ」

『料理番見習いになって半年くらいした頃じゃない? 「忙しすぎて誰とも喋らないから、会話の仕方忘れそう」なんていって』

「あー……思い出した。火傷する直前くらいの時だ」

『やけど?』

「あ、いや、友達が火傷しちゃった事件があって、その前くらいだな〜って」


 危ない危ない。私が半身火傷を負ってシリルに世話になったことは、心配されると思って家族には話してないんだった。慌てて誤魔化しながら、私は当時のことを反芻する。


「あの時、お母さんが言ったんだ。『せっかく人の役に立つ仕事をしてるのに、「大切な人」を作らないのはもったいない』って」

『そんなこと言ったかしらね』


 本人は覚えていないのか。私はあれで当時結構救われたんだけどな。

 抽象的な言葉だったけど、毎日をただ猛然と過ごしていたあの日の私にはすごく沁みた。大切な人を作るっていうのは、他人に興味を持ってよく知ろうとすること。そして、自分を知ってもらうこと。それが財産になって、結局はその人のために動くことが自分の力になった。


『でも、そうねえ……あなた、自分のためよりも他人のためになる方が馬力を発揮できる子だから、あなたの良さが消えたらもったいないとは、思ったのよね』

「うん、そうそう。そんなことを言ってくれた」


 はたから見たらちょっと抜けていて、ぽやぽやしているお母さん。けれど私には、必要な時に必要な言葉をぽんと投げてくれる、大事な人だ。


「なんか、あの時のことを思い出したよ。今ちょっと難問にぶつかってるんだけどさ、頑張れそうな気がする。ありがとう」

『そう? ならよかった。お母さんは何もしてないけどね』


 母の笑い声を聞いていたら、不思議と元気になってきた。

 何も解決していないけど、なんだかスッキリした気持ちだ。裏厨房に戻ったら、何か名案が浮かぶかも。

 こういうちょっぴり楽観的なところも、たぶんお母さん譲りだったりするんだよな。


『もし何か悩みごとがあるなら、話せる範囲でいいから、そっちに行っているお父さんや兄さんに直接会って相談なさいな。アナベルのためなら、きっと力になってくれると思うわ』

「あーうん。それもいいね。聞いてみよう」


 根っからの商人である二人のことだ。私には無い視点から、グラノーラについて考えてくれるかも。

 こういう時に話せる家族がいるって、私はとっても幸せ者だ。

 母にそう伝えると、『私もアナベルがいて幸せよ!』と少々ズレた返事が返ってきた。それも母らしいと思った。

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