episode18. 母と息子
漆原の力強く迷いのない言葉に美咲もその家族もどきりと鼓動が高鳴った。
どちらかといえば感情的で思い込みの激しい美咲にとって、論理的で付け入る隙のない話は芸術の様にも感じるほどだった。
それはおそらく美咲だけでないだろう。いつもほわほわしている美咲の母はともかく、いかなる時でも己が正義の久世大河から反論どころか暴言の一つすら出てこない事が漆原の圧倒的強さを物語っていた。
「さあ、裕子さんを迎えにいきましょう。放置すれば遠からず命を落とします」
「……なんだと?」
「実は先日お会いした際『私の家族は壊れたアンドロイドだけ』とおっしゃったんです」
美咲も両親も、それに深い意味があるようには思わなかった。自分が孤独であると感じている言葉ではあるが、死に直結する言葉には思えない。
三人は顔を見合わせて首を傾げていたが、ただ一人、美咲の祖父だけが目を見開いてぶるぶると震え出した。
「やはりお気付きでしたね。やけに動画を念入りにチェックなさるなと思ってたんです」
漆原はコツンとノートパソコンを突いた。
夫と我が子を置いて出ていく様子を、唯一動向を許されたアンドロイド視点で撮影された動画なんて見て楽しいものではない。
だが逃げられた夫本人はそれを何度も何度も入念に見ていた。美咲は言われて初めてそれがおかしい事だったと理解したけれど、だが祖母の言った言葉が震えるほど恐ろしい事である意味は分からなかった。
けれどそれを質問すれば十中八九漆原は馬鹿にしてくるであろう事は想像に難しくない。だが理解せず進められるのも気分が悪い。
嫌だと思いながらも意味を聞こうとしたけれど、その時母がひょいと手を上げた。
「あのぉ~、アンドロイドが家族だとだとまずいんですか~?」
楽しいと思います~、とのん気な口調で美咲の母が質問した。
これなら漆原も丁寧に解説をするだろう。よし、と美咲は心の中でガッツポーズをした。
「アンドロイドと心中する依存症末期患者に共通して発生する出来事があるんです。ハイ美咲、答えて」
「え!?答え!?え、え~っと……」
急に振られて美咲はあわあわと汗をかいた。
さては気付いてたな、と美咲はうう、と呻き声をあげる。
「……分かりません……」
「だろうよ。正解はアンドロイドが壊れる――パートナーが死ぬ事だ」
分かっててやらないでくれ、と美咲はぼそりと毒づいた。
しかしそんな事は気にも留めず、美咲の父が焦った顔をして漆原の腕をひっぱった。
「待って下さい。母のアンドロイドは壊れてるんですよね」
「はい。でも家族はアンドロイドだけだと断言してしまった。意識が正常なうちに保護をした方が良いでしょう」
「待て!駄目だ!それは駄目だ!!」
「父さん!?」
「……それは駄目だ」
「ちょっといい加減にしなさいよね!プライドと命どっちが大事なのよ!」
「美咲、止めろ」
「でも!!」
「いいから。お父様も落ち着いて下さい」
顔を蒼白にして焦る美咲と父宥め、漆原はがたがたと震える祖父の肩をぽんと軽く叩いた。
「大丈夫です。裕子さんはまだ末期ではありません」
アンドロイド依存症でアンドロイドと心中や自殺をするのは末期患者である。
末期患者というよりも、それをして初めて末期だったと断定されるのがほとんどだ。それまでは楽しく暮らしているのだから、末期だなどと誰も気付かない。
気付いてから出は遅いのだ。
「俺はあなたが何を考えているか、思想の是非について禅問答をする気はありません。けど美咲の言う通り、命より大事なものはありません」
ぐう、と祖父が息を飲むのが分かり、美咲は言葉を詰まらせた。
祖母を傷つけ苦しめ続けた祖父に何か言ってやりたい気持ちは募るけれど、自分を背に隠す漆原を見ると何も言ってはいけないような気がしたからだ。
「……連れ戻して悪くなったりはしないのか……」
「俺は医者じゃないので分かりません。ただ研究結果として、他者に受け入れられた末期患者は回復に向かう傾向にあるとされています」
「だが俺の元に戻りたくは無いだろう。お前達四人であのマンションに」
「大河さん。よく考えて下さい。縁を切りたいなら家賃なんて受け取らず研究者として社会復帰しましたよ。でもしなかった。どうしてだと思いますか」
「それは……」
「手を差し伸べるのは裕子さんが待っている人間でなくては駄目です。自分は行かなくて良いと、本当にそう思いますか」
誰も声を出さなかった。
しんと静まり返ったが、ぼそりと祖父の声が零れた。
「……美咲。裕子を連れて来てくれるか」
「う、うん!」
「よし。じゃあ俺の家に行くぞ」
「え?何でですか?」
「裕子さんには今俺の家にいらして頂いています。ああ、別にあなた方への思いやりではありませんよ。アンドロイド修繕のためです」
販売管理責任者なんで、と漆原はにっこりと微笑んだ。
どこまで先読みしてるんだこの人は、と美咲は呆れでも尊敬でもなくもはや恐ろしさを感じていた。
「少し距離があるんですが、車はありますか?」
「あります。四人乗りなので狭くなりますが」
「なら俺の車で行きましょう。ワゴンで来たんで」
「え?また違う車ですか?漆原さん、何台持ってるんですか?」
「自宅に五台と会社に二台」
「ゲ」
美咲も久世家男性陣も絶句する中、まあ~、と母だけがきゃっきゃと笑っていた。
*
漆原の自宅マンションに着くとリビングに案内された。
嫌味なほどに広く、いかにも高級なインテリア揃いの部屋に全員がきょろきょろと部屋を眺めまわす。
「裕子は」
「客間にいらっしゃいます。お連れするのでこちらでお待ち下さい」
漆原は美咲達をリビングのソファに座らせると客間へ向かった。
そこには隠れるように身を縮めてひっそりとソファに座る美咲の祖母がいた。
「お約束通り大河さんをお連れしました」
「……どんな魔法をお使いになったのかしら」
「お会いになりますか?」
「それは、どう、でしょう……」
「無理にとは言いません。所詮俺は他人です。けど、どうしても戻って来て欲しいという方もいらっしゃっていますよ」
その時、キイ、とドアを開ける音がした。
二人は音のした方を見ると、そこにいたのは美咲の父だった。
「裕太……!」
「久しぶり、母さん」
「……いいえ。私は母と呼んでもらう資格はないわ。私はあなたを置いて行った」
「悲しくないと言えば嘘になるけど、あの状況なら仕方ないよ。でも、できればそろそろ帰って来て欲しい」
「あの人は私が近くにいるのは嫌でしょう……」
「そんな事ない!心配してたよ!」
「口先だけなら何とでも言えるわ」
「そんな……」
息子の事は受け入れても夫を受け入れる気にはなれないようで、ふいっと逃げるように目を逸らした。
依存症だという事を思うと強く出る事もできず、息子はぐっと言葉を詰まらせていた。
しかしその時、漆原は胸ポケットから一枚の写真を取り出して差し出した。
「これは……私と裕太の……」
「大河さんの気持ちは分かりませんが、これを捨てようとした事を酷くお怒りになられたそうです」
「……これを、ですか……」
「ええ。それからこれも」
漆原はもう一つ何かを取り出した。
四つ折りにされていたそれを広げると、それは二枚の書類だった。
「私が置いていった離婚届け……?どうして、出して、いないの?」
「こっちは戸籍謄本。あなたはまだ久世裕子です」
漆原が美咲に取って来させたのはこの戸籍謄本だった。
そこには裕子の名前も記載されたままで、離縁したとはどこにも書いていなかった。
暴力を振るうほど捨てられたくなかった物は全て出ていった祖母の荷物というのを聞いて、漆原は違和感を感じていたのだ。
「疎ましく思うならとっくに離縁して荷物も捨てたと思いますよ。少なくとも俺はそうします」
「……母さん。戻って来てくれ。妻を紹介したいんだ。娘も」
母はうう、と涙を流して息子の手を取った。
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