episode11. 穂積蒼汰のお勉強① 企業編
――話は美咲が父を呼び出した前日に遡る
「D判定で再提出だぁ!?ただの論文だろ!?」
「なので……数日ほどお休みを頂きたく……」
Dって、と漆原は頬を引くつかせた。
時代を担うとまで謳われる人間には凡そ縁がない、それどころかどうしたらそんな低評価を得られるのかすら分からないだろう。
まじか、嘘だろ、と漆原は呆れ果てたようなうめき声と共にため息を吐いた。
「気になるのは分かるけどよ、他人の過去追って自分の未来駄目にするのは違うだろ」
「そうですけど……いえ、はい……」
漆原の言っている事が正しいのは美咲にも分かっている。
けれどそれを素直に飲み込むには、美咲が手にした祖母の真実はあまりにも重い。それが分かっているだけに、漆原もしょんぼりと俯く美咲を見ると頭ごなしに否定する事はできなかった。
ふうと一息ついて、漆原はコンッと美咲の額を小突いた。
「久世博士とコンタクトとれないか伝手を探してやる」
「本当ですか!?」
「その代わり条件!最低でもA判定取って来い!」
「うげっ」
論文の評価はA++、A+、A、A-、B++、B+……と続いて最低がD-で平均はB+。
つまりD判定はかろうじて最低点ではないというだけで落第点である。それなのに平均以上のAなんて、実質諦めろと言われてるようなものだ。うう、と美咲は涙目になった。
漆原は何回目になるだろうか、大きなため息をついて頭を掻いた。
「しょうがねえな。ちょっと待ってろ」
ぽんぽんと美咲の頭を撫でるように軽く叩くと、漆原はどこかに電話をかけ始めた。
数秒するとすぐに繋がったようで、親しげな口調で話し始めるとちらりと美咲を見る。
美咲はきょとんと首を傾げたが、その様子に漆原はまたため息を吐いた。そしてそのまま数分話し込み、今から行くから、と言って電話を切って美咲のつむじ辺りをぺんっと叩いた。
「オラ!来い!」
「ふぁっ!?」
漆原は有無を言わさず美咲の首根っこを掴み、ずるずると引きずってどこかへ向かって行く。
「ちょっと!どこ行くんですか!引っ張らないで下さいよ!」
「そのクソみたいな論文どうにかすんだよ!」
「え!?このクソどうにかなるんですか!?」
「クソって分かってんなら最初から勉強しろっての!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら歩いているとどうやら目的地に到着したようで、漆原は一つの扉を躊躇なく開けた。
中に入り漆原が誰かを探し始めると、頼んでもいないのに女性社員がササッと寄って来た。どなたかお探しですか、と親切に案内をしてくれたがフロア中の女性がざわついている。
「大層な人気ですねえ」
「お、嫉妬?」
「ここに何の用なんですか?というかここ何処ですか?」
漆原の軽口をさらりと躱してフロア内をきょろきょろと見回していると、あちらに、と言って女性社員が一人の男性社員を連れて漆原の元へやって来た。
「おー、蒼汰。悪いな」
「いいよ。朔也に貸しを作れるなんてなかなかないしね」
「貸し作るのはこいつだよ」
「うぎゃっ」
ぐいっと頭を引っ張られ、美咲は転びそうになりながら蒼汰と呼ばれた男性社員の前に立たされた。
いかにも優等生という雰囲気とほわんとした優しそうな笑顔が印象的で、美咲もつられてほわんとして微笑んでしまう。
「二人でぽやぽやしてんじゃねーよ!インターン挨拶!」
「はっ!久世美咲です!」
「穂積蒼汰です。よろしくね。名前、#みさ__・・__#ちゃん?」
蒼汰はインターン全員が胸に付けているネームプレートを見て、あれ、と不思議そうな顔をした。
やはり『美咲』の読み方に引っかかったようだ。漆原と仲が良いのならまた妙な事を言われるかもしれない、と美咲は身構えた。蒼汰はそれを感じ取ったのかは分からないが、ふんわりと微笑み返してくれる。
「#みさき__・・・__#ちゃんじゃなくて#みさ__・・__#ちゃんなんだ。可愛い」
「ほぁっ!?」
にこにこと微笑みながらさらりと言われ、美咲はつい顔を真っ赤にしてしまう。
けれどそんなほんわか空気を漆原は鬱陶しそうに低く呻いて拒否を示す。
「漆原さん、これですよこれ。爪の垢を煎じて飲んで下さい」
「はいはい可愛い可愛い。可愛いからあの可愛い論文出せ」
「うっ……」
「朔也、いじめないの。美咲ちゃん。僕論文得意なんだ。ちょっと見せてくれる?」
「え!?見て下さるんですか!?」
「うん。朔也は分かりやすく教えるの苦手だから。データある?」
「あ、あります!」
言われるがまま論文のデータを開くと、蒼汰はするするとスクロールしていく。全て読んでいるのではなく、小見出しや図が挿入されているところだけ目を通しているようだった。
ふんふん、ああなるほどね、と小さく頷きながら読み進めていく姿を見て、美咲は横でふんぞり返って何もしない上司をちらりと見上げた。
「こういうのって普通上司がやるものでは?」
「なんでタダで家庭教師やんなきゃいけないんだ。ふざけんな」
「上司じゃないですか」
「お前の論文は俺の仕事じゃねえよ」
「インターンの教育は仕事の一環では?」
「そりゃ業務の話でお前のプライベートは含まれねえの」
ええ~、と美咲が口を尖らせて不満を顔に出すと、あはは、と蒼汰に笑われてしまう。
「笑われたじゃないですか」
「お前の論文が可愛すぎたんじゃねえの」
「にゃにおう?」
「あはは。あのね、朔也は見てあげたくてもできないんだよ。朔也が個人的に勉強見てあげるって結構特別な事だから」
「そうそう。俺に教えてほしけりゃ開発論文A++取って来い」
最近美咲は忘れがちだが、漆原はそれなりに凄い人物だ。
それこそオンライン限定の家庭教師だけでも十分な収入になるくらいには知名度も人気もある。引く手数多の彼が報酬も無く勉強を教えるなんて、相当な特別扱いだ。もし手塩にかけて育ててるとでも勘違いをされたら美咲も普通の人生は送れないし、開発者として失敗は許されなくなる。論文D判定など論外だ。
「それにそうなったらなったで大変だよ、色々」
蒼汰が目線でフロアの座席をちらりと見る。
そこでは女性社員が仕事を放り出してここぞとばかりに漆原を見ていた。当の本人は気にも留めていないが、女性社員の刺々しい視線は美咲にもチクチクと突き刺さっている。
「そういう訳だから、今回は僕が見てあげるよ」
「でも、いいんですか?お仕事ありますよね」
「僕インターン教育係りの責任者もやってるからこれもお仕事なんだ」
「そうなんですね。あの、じゃあよろしくお願いします」
「ハイじゃあ後よろしく。今日は論文終わったら帰ってよし」
「え?それは終わるまで帰るなって事ですか?今日中なんて無理で――ぎゃっ!」
漆原は、無理です、と言いかけた美咲の頭を鷲掴みにしてぎりぎりと締め付けた。そして睨むように見下ろしていつもよりワントーン低い声で凄んでくる。
「できるかできないかじゃない。やれ」
「……ハイ……」
漆原の眼光で蛇に睨まれた蛙のようになり、美咲はつい頷いてしまう。
そして漆原は、よろしい、と満足げに頷くと蒼汰に美咲を押し付けて去って行った。
「……他に言い方無いですかね」
「愛情表現捻くれてるからなあ」
「愛情!?どこがですか!?」
「相当気に入ってると思うよ。だって論文の世話なんてしないよ、普通」
それは恐らく漆原でなくともそうだろう。
インターンにはトレーナーが付き指導に当たる。当然美咲にも業務を教えてくれるトレーナーがいるが、大学の勉強を教えてくれるわけではない。インターンは企業の実習なのだ。
ましてや漆原は単なるマネージャーではない。良くも悪くも影響が大きいと自覚もしている分余分に手を描けることもしない。
「あの朔也がここまでするんだから頑張ろうね」
「……はい」
「じゃあ論文の前に企業についてお勉強しようか」
「企業?」
蒼汰は美咲を連れてオフィス高層階にあるリラクエリアへと場所を移した。
食堂とコーヒーショップ、コンビニ等が揃った場所で、食事をする者もいればソファ席で仕事の息抜きでくつろいでいる者もいる。業務をするオフィスエリアで長く喋るのは周りの邪魔になるだろうけれど、ここなら話をしていても大丈夫だ。
ちょうど窓際のソファ席が空いていたのでそこに座ると、蒼汰は持って来たノートパソコンを立ち上げ美咲にモニターを見せる。
そこに写されていたいるのは美作の企業ホームページだった。メニューからサービスという項目を開くと、ずらりと子会社の名前が並んでいる。
「美作グループの事業は大きく二つに分かれるね。元々やってた医療関連と、後から始めたアンドロイド関連。でも医療とアンドロイドって全然関係無いでしょ?何でアンドロイド事業をやったと思う?」
「ええと、アンドロイドが好きだから?」
美咲は真面目に答えたが、蒼汰は何も答えずにこりと笑ってまた違うページを開いた。
今度は『通期決算』という文字が登場し、スクロールすると売上や営業利益がグラフになっている。しかしそれが何を意味していてどういう意図で見せられているのか分からず、美咲は首を傾げた。
「これはグループ全社のグラフ。美作はこれだけ利益でてますよ、っていう表ね」
「は、はい」
「今見たいのはこっち。医療関連事業とアンドロイド関連事業の利益比較」
また少し下へとスクロールすると、今度は分かりやすく大きな数字だけが書かれていた。
「医療事業の売上高が約三千億円。これに対してアンドロイド事業は約八千億円」
「え!?そ、そんなに違うんですか!?」
「アンドロイド事業やるのはこれが理由。凄く儲かるんだ。しかも需要に反して競合が少ない、時代を先取りできそうな新規事業。それがたまたまアンドロイドだっただけで、当てはまるならアンドロイドじゃなくてもいいんだよ」
「でもアンドロイド専門の大学まで作ったじゃないですか」
「そりゃそうだよ。先駆ともなれば入学者数は多いし美作の名声も上がる。これは大きな利益になるね」
「……アンドロイドには興味ないって事ですか?」
「アンドロイドが好きなのは生徒や現場の社員だけで、経営者は興味無いよ。興味あるのは売上」
美咲は頭を殴られたような衝撃を受けた。
美作へのインターン目的は漆原ではあったが、元々はアンドロイドが好きだから美作アンドロイド大学に入り勉強をした。アンドロイドを大事にする企業だと思っていたから選んだ大学で、その創立である美作グループには大きな憧れを持っていた。
でも実際はどうでも良かったのか、とがくりと項垂れてしまう。蒼汰はよしよしと頭を撫でるとぱたりとノートパソコンを閉じた。
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