月蝕の花園

歌川ピロシキ

楽園の妖精姫(1)

 ふと気がつくと、わたくしは一面の春紫苑の花の中に横たわっておりました。

そう、まるで衛生兵小隊の仲間たちと「こんな場所で死にたい」と言っていたような、木立の中のささやかな花畑。

 空には琥珀色の見事な満月があたりを晧々と照らしています。


「ここはいったい......」


「気がつかれましたか?」


 柔らかな声をかけられ、わたくしは弾かれたように飛び起きました。自分の置かれた状況もわからぬまま、全く聞き覚えのない声が聞こえたのです。

 最大限の警戒をしつつ、腰の拳銃を取り出そうとして空振りしてしまいました。

 それもそのはず、わたくしは処刑されたのです。つい先程まで広場に集まった群衆の前で最後の最後でご挨拶をしておりましたのに......


「フェルティング・ポクリクペリ少尉、生贄たちの楽園ヤシュチェの園へようこそ。よく頑張りましたね」


 木立の間から現れた人物が、まるで中天にかかる満月のような琥珀色の円い瞳を細め、優しく微笑んで言いました。軽やかな足取りにつれ、太い三つ編みがしっぽのように揺れています。年のころは十五、六歳ほどでしょうか?

 ふっくらした頬にこぼれおちそうに大きな瞳、月明かりの下でも輝いて見えるほど艶やかな美しい真紅の髪。一見、愛らしい少女にも見えますが、骨盤の狭さや歩く時の関節の動きは少年のもの。

 鮮やかな青藍色に金の装飾が施された華やかな軍装は、半世紀ほど前の騎士のようです。それにしては随分と小柄で幼いようですが。


「……どちら様でしょう?」


「僕はヴィゴーレ・ヤシュチェ。ここの管理人です」


「ここは一体……?」


 ちらっと「楽園」と聞こえた気がしたのですが、どういうことでしょう?

 わたくしが死んだのは間違いないでしょう。

 先ほどまでわたくしを苛んでいた全身の痛みも、浴びせられていた群衆の嘲りもなく、ここは穏やかで優しい静謐に満ちています。


「ここは僕の主の楽園です。誰かを守るために我が身を捧げた人、何かの犠牲にされて生命を奪われた人、出産で亡くなった人、自殺に追い込まれた人……そうした方々を迎え入れて安らかに過ごしていただき、また次の生へと旅立つ前に心と魂を癒していただくための」


「わたくしは罪びとです。そのような楽園に迎え入れられる資格はございませんわ」


 つい俯いて、自嘲気味に吐き棄ててしまいました。

 わたくしが、戦友たちを救うためと信じて行ってきた治療は、放っておけばほどなくして死の平穏という救いが訪れたはずの兵士たちを、無理やりまた立ち上がらせ、このおぞましい現世に生命を縛り付け、あの地獄の戦場に何度も何度も送り返すことそのものでした。

 わたくしの傲慢な心得違いが、大切な戦友たちを地獄の悪夢の中に縛り付け、何度も何度もその心身を苛んだのです。とうてい許される罪ではありません。


「誰しも罪を犯すものです。それに、あなたは良かれと思って、救いたい一心だったのしょう?」


 いつの間にかわたくしの目前に来ていた少年が、わたくしの眼をじっと覗き込みながら言いました。

 不思議な事ですが、この少年はわたくしの生きてきた道、犯した過ちを全て知っているような気がします。そのうえで、本心からわたくしを労わってくれている。

 だからこそ、彼の言葉を受け容れることはできません。


「知らなかった、そんなつもりではなかったからと言って、免罪符にはなりませんわ」


「そうですね。無知も無見識も、それ自体は罪ではないけれども、免罪符にもならない。罪も過ちも、なかった事にはなりません」


「ええ、だからわたくしは……」


「でもね、罪は償えるし赦されるものなんですよ?」


 男性にしてはやや高めで、女性にしてはやや低めの柔らかな声が、頑ななわたくしを優しく諭します。


「貴女は罪を償うために厳しい拷問にも耐えて、処刑された。堂々とした、とても立派な最期でした。僕の主はあなたを赦してねぎらいたいと思っています。貴女は僕の主の想いを許して下さらないのですか?」


 わたくしより少しだけ低い位置から見上げてくる少年の瞳はどこまでも澄んでいます。混じりけのない純粋ないたわりがわたくしの心を締め付けます。

 この無垢な少年はわたくしのようなけがれを知らぬからそのような事が言えるのでしょう。


けがれた事のないあなたにはわかりませんわ……」


「人の血で汚れた手は、いくら洗っても綺麗になりませんよね。僕も……二桁ではおさまらない人を殺しているから。その気持ち、わかるとは言えませんが想像はできます」


 少し哀し気に伏せられた瞳がうっすらと曇りました。

 このような年端も行かぬ少年が、そこまでしなければならない戦場を経験してきたのでしょうか。その顔に一瞬だけきざしたかげりは紛れもない深い闇を隠していました。


「それでも……貴女が自分自身を赦せなくても、貴女を赦したいと願っている者がいることを受け容れてはいただけませんか?」


 もう一度しっかりと目をあげて、こてんと少し首を傾けわたくしをじっと見つめる琥珀の瞳は、やはりどこまでも透き通っておりました。

 わたくしは本当に、わたくしを赦すと言ってくれる存在を受け容れてしまっても良いのでしょうか……もうわたくし自身を責め続けなくても良いのでしょうか……

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