執行人 3

「松雪様は執行人を辞退する事も出来ますが、その場合は二度と執行人としても、待ち人としてもこの場所へは来ることが出来なくなります」


 一呼吸入れ、サハツキは話し続ける。


「現世で寿命を全うするか、事故に会って死ぬか、他者に殺されるか、自死をするか……、それらでしか死を得ることが叶わなくなります」


 もしも人を殺すという条件付きでなく、今すぐに苦痛なく死なせてくれるのであれば松雪は2つ返事で願い出ただろう。しかし、条件は5人の首を絞めて殺すことだ。


 それに疑いもあった、まぁ、どうせこれは夢なのだろうが。騙されることが多い人生を送った松雪は人よりも疑い深い。


 こんな話には裏がある、絵本や宗教の教え、漫画でも小説でも良い。こんな話の主人公は悲惨な最後を遂げる事を思い出す。


「俺は……。俺は、死ぬことは構わないのです。むしろ死んで消えてしまいたいです。ですけど……。こういうのって、ほら、アレじゃないですか? 死ぬより苦しい目に会うとか、地獄に行くだとか」


 普段は天国も地獄も、昔のお偉いさんが人を支配するために考えたデタラメだと言い張る松雪だったが、この非日常的な空間にいるとそういった場所があるのではないのかと思ってしまう。


「いいえ、そういった事は一切ございません」


 少し信じかけたオカルトはきっぱりと否定された。


「人は死んだら何もかも認識が出来なくなります。松雪様も執行人としての務めを終えたあかつきには、一切の苦痛なく亡くなります。何も感じられないようになります」


 天国も地獄もないとなれば、確かに死は安息になると松雪は思った。サハツキの言葉を聞いて、より一層死が艶美に自分の所へと近付いて来ることを松雪は感じた。


 死ねば苦痛が終わる、死ねばこんな惨めな人生も終わると。


「俺にもその……」


 言ってはいけないと松雪は思った、これを言えば本当に取り返しが付かなくなると。


「執行人ってやつ、出来ますか?」


 言ってしまった。引きつった笑顔を作って言ってしまった。


 松雪はもうこれで後には引き返せないんだなと感じ取ったが、同時に清々しさも感じていた。


 嫌で嫌で仕方が無い仕事場に退職願を出して、その勤務の最終日のような退廃的な清々しさだ。


「もちろんです、どうかお引き受け下さい」


 次の瞬間目の前の景色がねじれた。


 長い机の中心から先の天と地がひっくり返り、サハツキが椅子に座ったまま逆さまにぶら下がっているように見えた。しかし彼女の髪や服は重力に逆らって微動だにもしていない。


 景色がグルングルンと何周もしている、赤・青・緑・黄・紫……。ありとあらゆる光が大きな一つの円状に尾を引いて閃光している。


 これ以上は見ていられないと松雪は目をグッとつぶって歯を食いしばった。


 次に松雪が目を開けると、部屋は元に戻っていたが、紅茶と茶菓子が置かれた机の対面に座っていたのは男だった。


 こげ茶色で、少し長めで傷んでいる髪。


 そして、理屈っぽそうな顔だなというのが第一印象だった。


 相手は黒いスーツに黒いネクタイをしている、それじゃまるで喪服じゃないかと思った所で自分にも違和感を覚えた。


 さっきまでTシャツにジャージという部屋着だったはずが、自分も目の前の男と同じく黒いスーツとネクタイを身に付けていた。


「あちらは待ち人の『金結幸太かねゆいこうた』様です」


 左側からあの透き通った抑揚のない声がし、思わず松雪はビクリとした。最初から居たのか、それとも急に現れたのだろうか自分の隣にサハツキが立っていた。


金結かねゆい様、こちらは執行人の松雪総多まつゆきそうた様です。先程ご説明した通り、今から金結様には死を望む理由を松雪様におっしゃって頂きます」


 金結はじっと松雪のことを見ていた、人の目線があまり得意ではない松雪はつい目を逸らす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る