終章~おおかみちゃんだもの~

おおかみちゃん

 最近雰囲気の変わった人がいる。


 帰宅部でオタクな彼はコソコソとノートに落書きするのが日課。人に見られないように、見られることを恥だと思っていたが、今は見られても動じない。

 自分の描く絵を素敵だと言ってくれた人がいたから。


 人見知りでコミュニケーションに自信のない彼女は、なるべく目立たないように生きてきた。だが心内にある自分を見てほしいと言う願望との矛盾に悩み道に迷いそうになる。

 そんな彼女に自分のペースで人と関わることを教えてくれた人がいた。

 万人に受け入れられなくてもいい、自分を見てくれる人は必ずいるのだからと進む足取りは前よりも力強い。


 少年は恋をしていたのだと思う。でもまだ未成熟な彼は恋をどう型どって表現し、どう相手に伝えていいか分からなかった。

 視線を向けることしか出来なかった彼が雨の中、温もりを与えてくれた人は相手を思う気持ちを教えてくれた。


 ある日一匹のおおかみが生まれた。まだあやふやな姿のおおかみを生み出したきっかけとなった彼もまた、愛仕方を知らないのかもしれない。

 触れ合うことを愛情表現として教えた彼は、おおかみを飼い慣らしたとそう信じていた。

 自分がいつの間にか、おおかみの手のひらにいて首に付けられた首輪と鎖を妻となる存在に渡されていることなどと知らずに……。


 絆が強ければ強いほど壊れたときに修復する労力は途方もないもの。生半可に相手が分かるからこそ、拗れた原因が分かっても踏み出せないのかもしれない。

 二人の間に入って絆を修復してくれた人のファンになるのは自然な流れ。大切な友人との仲を修復する切っ掛けをくれた彼女に感謝し、そして大切なことを教えてくれた彼に寄せる淡い恋心は心の奥底へ。


 画面越しでも気持ちは伝わっていると、本気でそう思っていた。

 たとえ伝わっていようとも一方的な気持ちは相手を押し潰傷付ける。身を持って知らされた後、彼女は彼に報復ではなく愛を与えた。

 自らの浅はかさを知った彼は長年の堕落で重くなった腰を上げゆっくりと前へ進み始めた。


 母親が嫌いだった。

 だけども気付けば嫌いな母親と同じことをしていた。気に入らない相手を罵り、叩いた口と手は愛を語れ、温もりを伝えれるのだと知れた。

 犯した罪に向き合い償いつつ、自分の新たな道を見つけ歩むことが出来たのはあの人のお陰だと感謝する。


 夫婦の契りを交わし家族が出来た彼を待っていたのは暗く冷たい日々。仕事も家も彼にとっては意味のない場所で、生き甲斐なんてものはもちろん生きている意味さえも見失っていた。

 お金で繋ごうとした縁が呼んだ不思議な彼女は、自分の人生に小さいけど確かな光をもたらしてくれた。

 たとえ自分が光恋しい蛾だとしても、他人に蔑んだ目で見られたとしても羽ばたこうと決心させてくれた彼女へ感謝しつつ、広くなった自分の部屋でする晩酌に小さな幸せを感じる。


 彼は彼女であって何者でもない。曖昧? 元々人なんて曖昧な存在。性別はあれども好きになった相手のことを知っても好きならば何だって良いではないか。

 おおかみを胸に宿した一人の人間は自らを愛してくれる人を求め歩む。

 おおかみちゃんと同じ年に生まれた彼女は胸に蝶と薔薇を刻まれる。

『永遠不滅の愛』と言う素敵な言葉は、家族の崩壊を招き最大の皮肉として刻まれ続ける。

 息苦しい人生を支えてくれた少女を追い続け伸ばし続けた手。遂に届いた手は自分だけでなく孤独なおおかみも癒す。

 蝶の胸に刻まれた傷に心の奥をジクジクと刺される痛みは和らぎ、皮肉の象徴は幸せの象徴へと変わっていく。


 おおかみちゃんが歩んだ軌跡は誉められたものではないかもしれない。弱者が傷を舐め合い、慰め合っているだけかもしれない。

 それでも多くの人が通り、足跡だらけの道にまかれた種は芽吹き、必死に咲こうとしている。

 道端に咲く花を笑う権利など、誰にもないのだから。


 自分の鼻先でゆっくりと羽ばたく蝶を見ておおかみちゃんは優しく微笑む。


 自分の中にぽっかりと空いた穴にゆっくりと満たされる温かい何かを感じながら蝶を撫でるのだった。



          ──了──

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