8.味と香りを感じて彼女に見入って

 床も壁も匂いも慣れない空間を、丁寧な対応をしてくれた定員に案内され座った席はやっぱり全てが慣れなくて、メニュー表の文字が上手く目から脳へ伝わってこない。


「麻琴はやっぱりフルーツピザかなぁ。悠真さんは何にしますか?」


「え、ああそうだな……こ、コーヒーとか」


「何か食べます?」


「ん、あ、いやぁ……」


 緊張してメニューの中身が頭に入ってこないとは言えず、お腹が空いてないと答えようとしたとき俺のお腹が空腹を知らせてくれる。

 店内に香る食べ物たちの匂いに、素直に反応した空気の読めないお腹を押さえると、麻琴は可笑しそうに笑う。


「麻琴はあまりコーヒーを飲まないので詳しくはないんですけど、酸味がある食べ物が合うらしいですよ。レーズンが食べれるならこれとかどうです?」


 メニュー表に載っているパスタとレーズンパンのセットを指差して見せてくる。

 麻琴の指先にあるのはコーヒーもついていてお得なセットの写真。


「悠真さんの好みは分からないので、最後は自分で決めて下さいね」


「値段も安いし、これにするよ」


 そう答えてハッとする。日頃、値段のことばかり考えて安いものを選んでいるのがバレたと思い慌てて口を閉じる。


「悠真さんって、分かりやすいって言われません?」


 そう言いながらクスクス笑う麻琴見て、自分のことを見てくれ、言葉に反応して答えてくれること。それは当たり前のことなのかもしれないが、当たり前を感じて嬉しくなってしまう。


 『自分が存在している』


 大袈裟かもしれないがそう思ってしまった。


 そうこうしている間にも麻琴は店員に手を振って呼ぶと、注文をしながら楽しそうに会話を始めるので、知り合いかと聞けば違うと答えられる。

 話したこともない人と親しげに話せることに感心していると、店員が俺の目の前に注文したパスタとレーズンパンのセットを持ってくる。


「今日のコーヒーはコロンビア、モカ、ブラジルに──」


 コーヒーの詳しい説明をされるが、頷くだけで頭には入ってこない。店員が去って早速口につけたコーヒーは酸味が強く香りも香ばしかった。


「ブラックで飲めるなんて尊敬します」


 フルーツピザに小さくかぶりついた麻琴が俺を見つめながらそう言ってくる。

 なんてことのない称賛の言葉が恥ずかしくて、誤魔化すために生返事をしつつレーズンパンにかぶりついてコーヒーを飲む。


「うまい……」


 レーズンの酸味とコーヒーの酸味が程好く合わさっていて、その美味しさに言葉が漏れてしまう。はしたないとは分かっていたが、久々に美味しいと感じた食事にがっついてしまう。


「美味しそうに食べますね」


 クスッと笑うと自分のフルーツピザにかぶりつく。麻琴本人の美しさも然ることながら、所作も美しく爪の先まで魅力に溢れ、釘付けになってしまう。


「じっと見すぎですよ。恥ずかしいから見つめるのは程々にしてくださいね」


 麻琴言われ自分が見つめていたことに気付く。慌てて謝ると微笑んで許してくれる。


「お腹も落ち着きましたし、ここからはゆっくりお話しながら食べませんか?」


 さっきまで俺が見ていた爪先を向けた麻琴が静かに口を開く。


「麻琴は悠真さんのことがもっと知りたいです。特になんで今にも泣きそうな顔をしていて、目に涙を溜めているのか……とか」


 泣きそうだと言われたことにも驚いたが、それよりも目の前にいる二回り近くも年が下であろう女の子に全てを見透かされ敵わないと思わされたこと。

 そしてなによりも彼女から目を逸らせず見入ってしまう自分自身に動揺を隠せなかった。

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