誰かに話を聞いて欲しい、誰かに労われたい。そんな思いを心に持つ人は、実は少なからずいるはずですね。わたしもそうですし、きっとこのお話の男性もそうなのでしょう。
お話するだけ、とはいえ、罪悪感が無いではない。そんな背徳感を抱えての女の子との出逢い。
それは一体、彼に何をもたらすのでしょうか? 救済か、破滅か。
見届けたいと思います。
作者からの返信
長月そら葉さま、コメントをありがとうございます(。>v<。)ノ゙
既婚の中年男性が話を聞いて欲しいと言いつつ若い女の子との出会いを求める。
誰でもいいと言いつつ選択を狭めていることに疑問を持ちながらも進む。
盲目に踏み出した一歩がもたらすものを見届けていただけたら嬉しいです(*´∀`*)
これはっ。
私はお父さんの選択をどうとらえて良いか、自問自答してしまいました。
都市型の生活スタイルの中で、共同体の規模がどんどん小さくなり、核家族となって、更にそれが壊れていく今。
そんな中で人との繋がりを求めるとき、一個人にどんな手段が残されているのか。
お父さんの選択を、どうとらえて良いのか。
いえ昔からチャラい男は、こういったコミュを存分に使用して遊んでいるのだから、「何の後ろめたさがあるものか」と思うその一方で、お父さんのように真面目に生きて来た人が、追い詰められて悩んだ末、こう言った方法しか残されていない。
その選択肢の幅に、都市の縮図を見た気持ちでした。
長々となってしまいましたが、一言で申せば「すっごいせつねーっ」でした。
お父さんの心が少しでも癒されて欲しいと、願うばかりですっ(・v・)
作者からの返信
うちはとはつんさん、コメントありがとうございます(。>v<。)ノ゙
ネットを通じいつでも世界と繋がれる世界は人と人を繋げ易くしたように見えて、生身の個と個の壁は高くなった気がします。
個人の思いを聞いて欲しくて更に人の温もりを求める為、最も身近にあって容易く世界と繋がれるツールを使うことになるのは致し方ないのかなと思います。
この方法の全てが悪いとは思いませんが、男の中にどこか下心が見え隠れするのも事実かなと。
それに気付かない振りをしつつ踏み出した一歩は勇気ある一歩であり、後戻りの出来ない踏み外してしまった一歩でもあるのかなと思います。もちろん出会い次第では良い結果もあり得ますが、この度はどうでしょう?