過去も未来も夢見て

1.冷えた心に温もりを感じたと思った日

 確か今年で43歳だったか。


 子供の頃を楽しみだった誕生日も今は数字が増えるだけの日。


 ある程度年を重ねると自分の年齢に興味がなくなる。まして祝ってくれる人がいないなら尚更だ。


 うだるような夏の陽射しにうんざりしながら辺りを見渡せば、露出の増えた女の子たちが楽しそうに笑いながら通り過ぎていく。


 ──まったく何がそんなに楽しいのか。


 心の中で悪態をつき、今年高校生になったばかりの自分の娘のことが頭に過る。


 ことあるごとに反抗してきて文句ばかり言う。挙げ句、弟と一緒になって俺をバカにするような言動を取って来る。


 それもこれも──


 モヤモヤとした不快な気分になったところで、娘たちから妻である美智子みちこのことを思い浮かべる。


 出会った頃の煌めく笑顔は今はなく、あるのは眉間にシワを寄せチクチクと文句を言ってくる姿だけ。


 美味しいものが食べたい、服が買いたい、そんな小さな望みも叶えられないのは、この歳になっても大した役職にも着けず給料の低い誰かのせいだと、役立たずだと子供の前で言う。


 だから子供たちも、ことあるごとに欲しいものがあるのに買えないし、成績もあまり振るわないのはまともな塾に行けていないからだと、父ガチャ失敗とか言い出す始末だ。


 会社で真面目に働き、ミスも少ない。小さな部署だが部下もいて、それなりに上手くやっていると自分では思っている。


 確かに給料は少ないかもしれないが、仕事は歩合制でもないし、金額を上げようにも方法もない。

 転職なんてしようにも大したスキルもない40歳の男を今更どこの企業が雇うというのだ。


 稼がない代わりと言ってはなんだが、酒もたばこも吸わない、お金のかかる趣味もないのだから勘弁してほしい。これ以上俺にどうしろというのだ。


 40代男性の自殺率が高いというのも納得できる。今まさにそんな気分になりかけているのだからよく分かる。


 じゃあなぜそうしないか? と尋ねられればこの世と決別するのは嫌だからだと答える。

 目的はないが生きていたい、死ぬのは怖くてこの世にしがみついていたい。それは必死の抵抗でもなく、何処へも踏み出せない臆病な中年男の行進足踏み


 留まろうと足踏みして進みも後退もしていないはずなのに、ジリジリと追い込まれ後がなくなっていく感覚。

 俺が追い込まれるのを、世間は望んでいるのではないかと勘繰ってしまう。


 ふと妻の顔が過る。


 ニタァっと人ではない張り付いた仮面ような笑みを思い出し背筋が寒くなる。自分に掛けてある保険金ですら怪しく思え、恐怖にかられ頭を抱えてしまう。


 ──子供たちも俺のことを……


 そこまで考え、幼き日の子供たちの笑顔が過る。


 ──いや違う。そんな訳がない……


 幼い子供たちの無邪気な笑みを思い浮かべ、自分の考えを打ち消す為に否定の言葉を並べる。その無邪気な笑顔を求め頭を撫でようと手を伸ばすと、幼い子の後ろに立つ成長した今の子たちが、妻と同じ仮面のような笑みを浮かべ俺をあざ笑う。


 ここ最近よく見る夢が真昼間にまで浸食してくる。このまま考え続けても深みにはまるだけだと感じ、逃げるように勢いをつけてベンチから立ち上がり自動販売機へと向かう。


 財布から小銭を取り出し自動販売機の投入口に入れようとするが、なぜか指先が震えて上手く入らない。


 チリンッ


 自分の手から離れ地面に落ちた100円玉は、軽い音を立て転がっていく。


 やがて転がっていた100円玉は勢いを失い、フラフラと揺れ始めたかと思うとすぐに、地面に倒れてしまう。


 それはこれから自分の身を暗示しているようにも思え、転がり倒れる100円玉をただ見つめることしかできなかった。


 ぼんやりとした視界に何かが過り、倒れた100円玉の上に指がふれ摘まみ上げらるのが見て取れる。


「お金落としましたよ」


 そう言って100円玉を拾った女の子が自分のもとにやって来て、手を差し出す。無意識に手を出すと女の子は手の上に100円玉を置く。


 冷たくない100円玉とほんのり冷たい女の子の指先が俺の手のひらに触れる。


「ありがとう」


「いえ、拾っただけですから」


 女の子は笑顔を向けるとさっと背中を向け、友達と思われる集団のもとへと小走りで戻っていく。

 そのまま楽しそうに話、笑いながら歩いて去って行く女の子の集団を見送った後、手のひらの100円玉を再び見つめる。


 ただお金を拾ってくれ、渡してくれたそれだけのこと。


 それでも温かくなった100円玉を強く握りしめたとき、なんだか救われた気がして、もっと人の温もりにふれたいとそう思った。

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