10.温もりは近くにあって

 触れて重なり擦れた肌の熱さが、体の奥から涌き出る熱を押さえ込み、火照る体をいつまでも冷ましてくれず余韻として残る。


 顔まで火照る熱は視界を煌めかせ、目の前にいる麻琴を愛おしく映し出す。

 麻琴が私を引き寄せ唇を重ねてくる。


 幾度重ねた唇は慣れたもので、私自ら麻琴の唇を求めついばむ。自分でもぎこちないと思うついばみを優しく返してくれ、リードしてしてくれる麻琴に負けまいと必死になってしまう。


 しばらくじゃれあった後、麻琴が私の前髪を上げ髪を優しく撫でてくれる。そのまま目元を指でなぞると微笑む。


「やっと麻琴を見てくれた」


 そう言って胸に抱き寄せて両腕で優しく包んでくれる。


「出会ったときの弥生ちゃんの目、誰も受け入れないし受け入れて欲しくないって悲しい目をしてた」


 麻琴の胸に頬を付けたままの私は黙って聞く。


「弥生ちゃんの声、聞きたいな」


 それが私に向けられた言葉なのだと、今まで掛けられたどの言葉よりも強く感じ、自身でも大きく目を見開くのが分かってしまう。

 答えるために頭を起こそうとするが、優しく押され麻琴の胸に戻されると頭を撫でられる。


 ほんの僅か離しただけなのに、頬に麻琴の温もりが伝わってきて、自分の頬が冷えていたことに気付く。

 そしてなにより力強くも心地好いリズムを打つ胸の鼓動に安心感を覚えてしまう。


 このまま話してということだと理解した私は胸に頬を付け、麻琴の心音を聞いたまま話し始める。

 私の話に頷き、言葉に詰まるとゆっくりでいいよと優しく撫でられながら家のこと、母親のことを中心に話していく。


「弥生ちゃんのお母さんもお仕事とかでストレス溜まってるんだろうけど、だからってその言動は嫌だよね。傷付くよね」


 肯定され、ホッとする。


「今、弥生ちゃんが生活できて学校へ行けていること、そこには感謝すべきだと思うの。でも弥生ちゃんが自立できるとき、親のことよりも自分のこと、もっと身近な人のことを考えてもいいかもしれない。

 ひとまず進学や就職を期に家を出て、両親と距離を取ることから始めてみるのをオススメするかな」


 一つ一つ丁寧に言葉を掛けてくれたことも嬉しかったけど、自分のことを考えてもいいのだと言われたことがなによりも嬉しかった。


「それと……弥生ちゃん?」


 声色に僅かだが冷たさが含まれ、私は身を強ばらせてしまう。


「弥生ちゃんは傷付いている。そして誰かを傷付けてる……よね?」


 心地好い心音を奏でていた私の心臓が大きく跳ねる。速く打ち始めた鼓動はたくさんの血液を送り出しているはずなのに、血の気が引いてしまい寒ささえ感じてしまう。


 今まで感じたことのない感情は、目の前にいる麻琴に嫌われたくないというもの。


 頬に触れる麻琴の手は心地好いはずなのに、叩かれると思ってしまい反射的に身をすくめてしまう。


「麻琴は弥生ちゃんを叩かないよ」


 そう言って優しく抱き締めてくれる。


「ごめんね、嫌なこと思い出させちゃったみたいだね」


 私の背中を擦りながら耳元で謝られる。


 ピリッと痛みが走ると同時に頭の中に聞こえてくるノイズは、蚊の鳴くような声からハッキリした言葉罵りに変わっていく。



 ──なんでこんなことも出来ないの? バカなの?


 ──ったく、今日は折角の休みなのにあんたの為に時間を割かなきゃいけないのよ。


 ──絵で賞を取った? それよりもこの間の算数のテスト散々だったでしょ。絵を描くヒマがあるなら問題の一つでもやりなさいよ。

 ホンット、何が大切か優先順位ってのが分かってないんだから。なんであんたはこんなにとろくてバカなの。



 頭に響く声は、頬に未だに残る皮膚を焦がすほどの痛みを伴う熱と共に蘇る。


 気付けば涙を流していた。


「弥生ちゃんが誰に何をしたかは分からないけど、その相手の気持ち、弥生ちゃんは分かってるんじゃない?」


「うん」とすら言えずに必死に頷くだけの私を抱き締めたまま、頭を撫でてくれる。

 包んでくれる麻琴の温もりだけが今の私の支えで、ここに存在できる命綱と言ってもいい。


 母にされてきたことを思い出し、クラスメイトの詩織しおりにやったことを思い出した私は震えが止まらなくなる。

 無言で震える私を抱きしめ優しく包んでくれた麻琴がゆっくりと手を伸ばし、再び私の頬に触れた手は先ほど怖がったのが嘘のように温かく心地いい。


 頬から伝わる麻琴の手の温もりを感じて、すがるように頬を擦り付ける。


「麻琴の手、温かい?」


 私が素直に頷くと、麻琴は私の手を取って麻琴の頬へと誘われる。


「弥生ちゃんの手も温かいよ」


 愛おしそうに頬にある私の手に触れる麻琴を見て、私は自分の心の中にある鼓動に気付く。

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